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Posted by TI-DA at
 

2014年01月09日

★大晦日



























このところ忙しくてブログの更新が出来なかった


みなさんはどんな年を越されたのだろうか?


20代の頃12月30日に風邪を引いてしまい


一人暮らしだったので熱で寝込んだまま


大晦日を迎えてしまった


ふらふらだったが近くのコンビニに


なんとか食べ物を買いに行った


ポカリスエットとカップヌードルを何個か買った


部屋で明かりを消しいつでも寝れるようにして


すぐに飲めるように枕元にポカリスエットを置いた


熱にうかされながらウトウトしたり


ぼんやりとテレビを見たりした


お腹が減ったらお湯を沸かしてカップヌードルを食べた


カップヌードルはなんだか満腹感が無い気がした


ウトウトしてふと目を覚ますと


時計の針は午前零時を過ぎていた


テレビでは行く年来る年をやっていた


「もう 新年か…」と僕はつぶやいた


窓を少し開けると外は真っ暗で


とても寒く静かな夜だった


家々には明かりがついている


きっと家族で正月を過ごしているのだろう


冷たい空気が熱のある体に気持ち良かった


僕は静かに窓を閉めると布団に入った


テレビをつけっぱなしにしていたのに


明かりの消えた一人の暗い部屋は


なんだかとても静かに感じた


正月二日目に友人が僕のアパートを訪れて


コンビニでおでんを買ってきてくれた


「生きてたか」と冗談を言って笑った


これが僕のちょっとさびしい年越しの経験だ


昨年の12月31日、嫁と娘の三人で


茅ヶ崎の海に行った


いい天気で寒さを忘れるほどだった


僕は着ていたダウンを脱ぐと


海岸で石を拾い波にむかって投げた


水面を3~4度はじいて石が飛んでいった


娘もやりたいと石を投げるのだが


水面にドボンと沈んでしまった


しばらく娘と水面に石を投げて遊んだ


打ち寄せる波に嫁と娘が


声を上げて笑いながら逃げ回った


特別な場所に行くわけでもなく


ただ家族で砂浜で過ごすだけだったが


楽しいというより幸せを感じる


そう言った方がしっくりくるだろうか


最近ウルトラマンにはまっている娘が


「パパ りみ大きくなったらね


宇宙警備隊に入るの」と言った


「そうか 宇宙の平和は任せたぞ」と


僕は娘に真顔で答えた


砂浜に落ちていた枝を見つけると


娘が「えいっ!えいっ!」と


ヒーローのようにその枝を振り回した


暖かな陽の光がキラキラと輝く砂浜で


ちっちゃなダンサーが


クルクルと回りながら枝を振り回す


その姿が僕には眩しく映る


「まったく 女の子なのにね 


怪獣大百科なんか読んじゃって…」と


腕組みをして呆れ顔で嫁が言った


砂浜から上がると海岸沿いの小道にある


海を一望できるベンチに腰かけた


えぼし岩や江の島が遠くに見えた


ベンチで腰かけている後ろを


マラソンをする人達が駆け抜けていった


今日が大晦日なんて信じられなかった


「なんかいつまででもいれるね」と嫁が言った


時々あの熱に浮かされ一人で過ごした


大晦日を思いだすことがあった


特につらい経験ではなかったが


妙に忘れられなかった


あの窓を開けた時の冷気と


熱で火照った体と家々の明かりを


今でも覚えている


嫁と付き合っていた時に過ごした大晦日や


結婚して共に過ごした大晦日も


楽しいものだったが


娘ができて共に過ごす大晦日は


より大きな幸せを感じた


大切な人が多いほど喜びも大きいものだ


それが家族を持つ喜びなのだろう


何処で過ごすかという事よりも


誰と過ごすかという事が大事だ


なにせ僕たちは未来の


宇宙警備隊隊員と過ごしているのだから(笑)


遅れてしまったが


昨年僕のブログを訪問してくださった方々


本当にありがとうございます


今年も皆さんにとって


素晴らしい年でありますように


心より祈っています


ニヌファ









  


Posted by ★ニヌファ at 21:48Comments(0)★日々の雑談
 

2013年10月24日

チャーリー多幸寿(タコス)

タコス



コザ(沖縄市)のパークアベニューにある


チャーリー多幸寿は沖縄に帰ると


最低三回はいくほど好きな店だ


ここで食べるビーフタコスと


オリオンビールの組み合わせは最高だ


横浜や東京でもタコスは食べるが


やはりチャーリー多幸寿は別格だ


僕はここよりうまいタコスを食べたことがない


横浜の友人たちにも紹介したが


全員チャーリーの虜になってしまった


ぼくは面倒くさいグルメではないが


ただ愛着がわく味があると思う


僕の横浜の友人が言った言葉だが


「ここ以上に美味しいタコスは無いよね


もしあったとしても行かないけどね


チャーリーが好きだから」


この言葉につきると思う


チャーリー多幸寿は創業1956年の老舗タコス店だ


Aサインのレストランとして


スタートしたと聞いている


Aサインとは米軍による衛生基準に


合格した業者に与えられた


Aサインの「A」は「Approved(許可済)」の頭文字だ


店内もまるで日本とは思えない


ハワイのローカルな店かと


思ってしまうほどのたたずまいだ


特におしゃれなものがあるわけでもない


客も沖縄市という事で米軍基地がある為


外国人も多いのでなおさらそう感じられる


天井のステンドガラスには


「メキシコ生まれ沖縄育ち」と書いてある


僕はカウンターに行くと


タコスとオリオンビールを注文した


カウンターにもたれて店内を見渡すと


昼時をずいぶん過ぎていたからか


僕を入れて四組ほどの客しかいなかった


のんびりとした地元ならではの時間が流れていた


ビーフタコスとオリオンビールを


いつも最初に注文するのが決まりだ


というかそれしか注文しない


以前はほかの物も注文した事もあったのだが


沖縄を離れなかなか来れなくなってからは


タコスとビールしか頼まなくなった


一番好きな物を腹いっぱい食べたいからだ


タコスに絶品のサルサソースを


たっぷりとかけ食べるのが最高だ


このサルサソースがまたたまらないのだ


店内には迷彩服姿のアメリカ兵が2人と


アメリカ人とフィリピン人らしき


子連れの母親たちがいた


子供がオモチャを投げ出して


フィリピン人らしきお母さんに怒られた


それを眺めているとその母親と目があった


母親が笑顔で肩をすくめて見せた


ぼくも思わず微笑んだ


そのなにげないやり取りが


なんだかたまらなくいいのだ


穏やかな午後の店内での 


日本なのか外国なのか


よく分からない空間で


何もないけど特別に思える時間


僕は3杯目のオリオンビールを注文した


昔と違い寂しくなったパークアベニューで


なぜだかチャーリー多幸寿の店構えは


今のパークアベニューにしっくりくる感じがする


チャーリー多幸寿は現在では


本店以外に他の店舗もあるのだが


他の店舗では味も微妙に違うし


なにより本店の雰囲気が僕は好きだ


タコスでベタベタになった指を


紙ナプキンで拭くと


グラスに残ったビールを飲みほした


店内の子連れの母親たちに手をふり


僕は店の外へと出た


まだ日差しが強かった


今度沖縄に帰れるのはいつだろう


閑散としたパークアベニューをしばらく歩くと


僕は振り返りチャーリー多幸寿に


遠くから別れを告げた







  


Posted by ★ニヌファ at 19:34Comments(0)★ 沖縄
 

2013年09月10日

★海に沈めたもの






ここの所 職場でのストレスが多く


精神的にあまりいい状態ではない


上の人間たちの思惑が絡まり


現場で働く者達は仕事に集中できない


彼らの権力争いに現場の人間を巻き込み


本当にバカバカしい状況だ


職場にいると息がつまりそうになる


僕が沖縄にいた頃は悩みがあると


よく海を見に行った


何かあれば海に行くなんて


さもカッコよく思えるだろうが


小さな島なので他に行く所もなかった


砂浜に腰かけ海をボーッと眺めた


そこで何かが解決する訳でもない


よせては返す波を眺めている間は


頭の中が空っぽになって


その事を考えずに済むからだ


その悩みを海に沈められたらどんなにいいかと思った


白い砂浜にビーチサンダルを脱ぎ捨て


裸足で砂浜に腰かけただ海を眺めていたり


ラジカセで好きな曲を聴いたりして過ごした


気が向けば海でひと泳ぎしたものだ


その日も僕は10代の若者が抱える


よくある悩みをかかえラジカセと


6パックになったペプシの缶を持って海に来た


僕はペプシの6パックの缶を一つむしり取ると


残りを水の中の砂に半分沈め


波に持っていかれないようにして冷やしておいた


ペプシのプルトップを開けると


泡が勢いよく飛び出してかなりの量がこぼれてしまった


来る途中に自転車でガタガタ道を通ってきたせいだ


僕は舌打ちをしながら海水で手を洗った


強い日差しを避け日陰に腰を下ろした


海からの風が気持ち良かった


海を眺めているとついウトウト寝てしまった


30分ほど寝ていただろうか


僕はさっき海に沈めておいたペプシを


もう一本取りに行った


海の水なのでキンキンに冷えてとはいかないが


普通に置いておくよりは冷えている


ラジカセのスイッチを入れ音楽をかけた


砂浜には誰一人いなかった


白い砂浜が日差しの照り返しでまぶしかった


ふと気ずくと砂浜を50代くらいだろうか


白人の男性が海に似つかわしくない


ワイシャツにズボンを膝まで折り曲げ


打ち寄せる波に素足を濡らしながら


砂浜をゆっくりと歩いてきた


僕の前で立ち止まると片手を上げ


「グッドミュージック!」と言って笑った


僕は海に沈めていたペプシを1つとると彼に渡した


「サンキュー」と言って笑顔でペプシを受け取ると


軽く手をふり砂浜を歩いて行った


何となくだがお互い話をする感じではなかった


この穏やかな時間をおしゃべりで


台無しにはしたくなかったし


彼もそう感じているように思えた


僕はまたぼんやりと海を眺めていると


スーツを着た日本人の30~40歳ほどの


男性が砂浜をかけて僕のそばに来た


「外人の偉そうな男の人見なかったかな?」と


汗だくの顔で僕に話しかけてきた


「あっちに歩いていきましたよ」と答えると


「まったく勝手に行っちゃって…ありがとう!」


そう言うと砂浜を走って行った


僕がいた砂浜の近くにはリゾートホテルがあった


多分その客かなんかだろうと思った


夕暮れも近づき帰ろうかと思った時だ


先ほど僕に声をかけてきた男性が


フルーツの盛り合わせを手にやってきた


「うちの社長が浜辺で一人で


音楽を聴いてる子がいるから


その子にこれを渡してくれって」


そう言ってフルーツの盛り合わせを


僕に渡すとそそくさと帰って行った


僕はフルーツの籠を手にポカーンとしていた


なんだかおかしくなってきた


悩みが解決した訳でも


誰かに聞いてもらった訳でもない


ただ海で外国人のおじさんに


ペプシを一本渡しただけなのに


どうしてこうなったんだろう


悩んで海に来たはずなのに


おかしな展開になってしまった


海が僕の悩みを沈めてくれたのだろうか


フルーツを食べてから帰ろうと


僕は浜辺で食べ始めたのだが


ふとあの社長に手渡したペプシが


プルトップを開けた瞬間に


泡がぶっ飛ばなかったか気になったが


その事を気にしている自分がおかしくて


フルーツ片手に笑い出してしまった


きっと彼もコーラまみれになって


浜辺で一人笑ったのかもしれない


夕暮れの太陽が誰もいない砂浜を


オレンジ色に染めはじめていた








  


Posted by ★ニヌファ at 08:35Comments(0)★ 沖縄
 

2013年08月05日

★プチ旅行

































ここ最近 ぜんぜん遠くない近くの町の


ホテルに宿泊するプチ旅行がマイブームだ


ホテルといっても豪華なホテルでなく


ビジネスホテルのような


とにかく安いホテルだ


何故そんなことをするようになったかと言うと


たとえば電車で20分~1時間の場所の町で


遊んでいて遅くなると帰らなければいけないが


何かせわしい気がしたのだ


その街に宿泊してしまえば


ゆっくりその街を楽しめると思ったのだ


特に何か見どころのない街でも


ブラブラと散歩したり


その街の地元で人気の定食屋とか


散歩の途中で見つけたパン屋とか


ハワイアンが流れているような


時代遅れの商店街とか


古臭い喫茶店とかが好きなのだ


その街で宿泊し朝目を覚ますと


普段知っていた街とは


また違う発見をするものだ


先日も横浜から電車で一時間ほどの


熱海にホテルをとった


まあ僕のプチ旅行からすると


少し遠い気がするがホテルも平日で


親子三人でも格安だったからだ


チェックインまでの時間


熱海の海岸やすたれた商店街を散歩したりした


何十年も前に時が止まったかのような喫茶店や


その喫茶店に併設された


これまた時代遅れのオモチャを


販売しているコーナーは


僕の心と共に五歳の娘のハートを撃ち抜き


30年くらい前でもどうかと思える


安っぽいレーザーガンを模した銃で


電池を入れると時代を感じさせる音と共に


おかしな光がぐるぐる回る銃を


50円で購入し娘はご機嫌だった


そしてフニャフニャの10㎝ほどのおかしな弾を


撃ち出すことのできるこれまた安っぽい


ライフルも同時に購入した


女の子なのに銃を二丁も購入し


いったい何に備えようとしているのか


娘の未来に不安を感じる瞬間だった


ホテルにチェックインすると


ホテルの小さなプールで娘と遊び


その後、海が見える温泉に入った


部屋は僕たちが宿泊する日に


リニューアルが完了したとのこと


和室で12畳ほどの部屋できれいだった


部屋のベランダに出ると海が一望でき


遠くに見える初島に船が行き来するのが見えた


ホテルでは無料の飲み物もあり


なにより娘を歓喜させたのが


かき氷食べ放題だった


もちろんセルフサービスなので


僕はかき氷機のハンドルが抜けるほど


何度もかき氷をつくらされた


温泉に入りかき氷を食べて


購入した安っぽいおもちゃの銃で


遊んでいた娘も疲れて寝てしまった


僕と嫁はベランダに出ると夜の海を眺めた


普段は特に気にしていないが


こうしていつもの生活から少し離れると


毎日の暮らしに自分たちが


どれほど流されていたかがわかる


普段の生活からすこし離れリラックスし


家族で過ごすことは大切だ


普段見失っていた事や忘れていた事


大事な何かを発見することもある


なにより家族の思い出を娘につくれることだ


嫁の家は子供の頃、家族で旅行に行くことは


ほとんどなかったそうだ


学校の同級生達が家族旅行の話を


楽しそうにする度に寂しい思いをしたらしい


だから嫁は子供が出来たら


色々なところに連れて行って


自分のように寂しい想いはさせたくないと言っていた


その為旅行の計画を練るときの嫁は


本当に楽しそうにしていた


なにより僕達親が楽しんでこそ


子供も楽しめると言うものだ


彼女が大きくなった時


僕たちと行ったたくさんの思い出を


懐かしく思い出して欲しい


暗い海の遠く初島に明かりが見える


あの明かりの中にはどんな家族が


暮らしているのだろうかと思った


布団に入ると隣で寝ている娘の寝息が聞こえた


彼女の小さな手にそっと手を添えて


僕は静かに眠りについた


翌朝 ホテルのフロントの女性が


駅まで車で送ってくれた


電車の中でおもちゃの銃を手に


楽しかったと話す娘に


「実は…違う場所にあと一泊しま~す!」


突然の僕の発表に「やったー!」と


娘がおもちゃの銃を握りしめたまま


座席から飛び降りると


両手を上に突き出して喜んだ


その姿に僕も嫁も大笑いした


向かいに座っていた年配の女性が


娘の喜ぶ姿を見て微笑んだ


電車の窓には道路沿いのドライブインと


その後ろに広がる海の景色が流れていった









  


Posted by ★ニヌファ at 21:23Comments(0)★日々の雑談
 

2013年06月23日

★ベランダの青い空








昼休みに携帯が鳴った


電話を取ると嫁からだった


嫁の友人が亡くなったとの事だった


以前僕は「起こって欲しい奇跡」という


記事を書いたことがある


嫁の高校時代の同級生で


乳がんになり旦那さんが


癌保険で出たお金を使い込み


浮気もしていたので離婚した


子供が二人いたので障害者の施設で働いたが


その後再婚することが出来た


癌で二人の子供がいる女性と


結婚を決意した素晴らしい旦那さんと


巡り会う事が出来た


という内容の記事だった


その彼女が亡くなったので


仕事帰りに同じ高校の同級生たちと


通夜に行くと嫁が電話で泣きながら話した


自分があとどれくらい生きられるのか


残される子供たちの事を思いながら


癌と戦ってきた彼女と彼女の家族の気持ちは


僕などには想像することもできない


亡くなった彼女の旦那さんと二人の子供たちが


まるで本当の家族のように仲が良かったと


通夜から帰った嫁が話した


家族とは血でも理屈でもない


たとえ血の繋がりが無くても


お互いが家族だと思えば


その絆があればそれが家族だ


僕はそう思う


最後は家に帰りたいという本人の希望で


自宅に帰り家族に見守られながら亡くなった


本当に家に帰りたかったんだろうね


家族が待つ家に・・・


嫁がぽつりと言った 


僕が働く介護施設の午後


入居者の中田さん(仮名)の車イスを押して


施設のベランダに出た


時計の針は午後4時を回っていたが


まだ日が照りつけていた


住宅街に建つこの施設は


目の前の道路を車が行ききするものの


わりあい静かな環境だった


何棟か建っている築40年ほどの


団地のベランダに布団が干してあるのが見える


両手を広げ深呼吸をすると


外の空気を胸いっぱいに吸った


僕はやりきれない気持ちだった


ベランダで花の植木鉢を見ていた中田さんが


近所で犬を飼っていたという


おじさんの話をしてくれた


その犬をとてもかわいがっていて


よく散歩する姿を見かけたそうだ


その犬が病気かなにかで


亡くなってしまった


おじさんはとても気落ちしたそうだ


しばらくすると犬と散歩していた道を


犬の骨壺をもって散歩するおじさんの姿を


見かけるようになったそうだ


「可哀そうにね 亡くなっても散歩に


連れてってあげたかったんだろうね」


と中田さんが言った


僕の気持ちとは相反して


空は青く広がっていた


それは憎たらしいほどに


澄み切ってどこまでも高かった


少し生暖かい風が吹き抜ける


ベランダの手すりにもたれながら


「たまんねーなー」と僕が言うと


「たまんないね」と中田さんが答えた













  


Posted by ★ニヌファ at 08:54Comments(0)★日々の雑談
 

2013年05月30日

★格子の向こう






小学校の低学年のころだ


オバーの家の近くに


とある木造の平屋の家があった


戸が閉め切ってあり


2~3か所ある窓も開いてはいるが


窓に太い木の格子があって


昼なのに家の中は真っ暗だった


精神的におかしくなってしまったオバーを


そのオバーの親戚がそこに閉じ込め


朝昼晩と食事を運んでいるとの噂だった


子供は好奇心が旺盛なものだ


その格子の窓から中を覗き込み


声をかけ逃げ出したり


小石を投げ込む悪ガキも多かった


格子を握って中を覗き込むと


突然、そのオバーに手をがっとつかまれ


怖い思いをしたという話も聞いた


暗いので顔を見た者は誰もいなかった


前々からその家の前は通っていたが


近づいたことはなかった


噂話や誰かの体験談で


お化け屋敷のような印象だったからだ


自分が何年生だったか覚えていないが


多分1~2年生だったと思う


窓の位置が当時の僕には少し高く


窓の下の地面にあった木のでっぱりか何かに


足をのせて覗き込んだ覚えがあるのだ


その日は友人と学校から帰る途中だった


その家の前を通りかかった


友人と二人でその家の格子の窓に近づき


息を殺して中を覗き込んだ


何か音がしたのでびっくりして


そこから友人と逃げ出した


今まで近づくこともできなかったので


なんだか少し大人になったような気がした


それから何度かのぞきに行った


最初の時より長く覗くことが出来た


あいかわらず中は暗くて何も見えなかった


窓の格子の中に手を入れぶらぶらさせながら


中を覗き込んでいると突然


手をがっちりつかまれた


「あっ!」という僕の声に友人は逃げ出してしまった


何とか抜こうとしたが手首をがっちり掴まれていて


手を抜くことが出来なかった


心臓がのどから飛び出だしそうだったが


子供ながらにここは暴れたり泣いたりするのは


あまり良いことではないだろうと思い


静かに相手に握られるままにしていた


暑い夏の昼下がりだった


汗が背中を流れ僕は息を殺した


しばらくすると僕の手首を握りながら


そのオバーが僕の腕をそっと撫でた


何度かなでると握っていた手首を外した


僕はゆっくり手を抜くと窓から離れた


何歩か歩き振り向くと窓の格子を


内側から握っている手が見えた


胸がドキドキしていたのを覚えている


その後僕はその格子の窓に近づく時


なるべく一人で行くことにした


もちろん怖いという気持ちもあった


ただ何人かでワイワイ行くのはよくないと


漠然とそう思ったからだ


怖い気持ちもあったため格子に手を入れ


中を覗き込む時は「オバー来たよー」と


声をかけるようにした


手首を握り腕をさすられる事も何度かあったし


声をかけたが窓のそばに来ないこともあった


僕のオバーの家に行った時


お祝いのお菓子をオバーがくれたので


家に帰る途中 その格子の窓の家によると


窓の中にむかって「オバーお菓子を置いていこうねー」と


僕は声をかけ窓の中にお菓子を何個か入れて帰った


それから何日かして僕はそこに行った


格子を握り「オバーいるねー?」と暗い家の中に声をかけた


しばらくするとそのオバーの手が僕の手をにぎり


何度かさすると何かを僕の手に握らせた


格子からゆっくり手を抜くと


僕の手にみかんが一個のっかっていた


突然の事で僕はびっくりしたが


「オバーありがとう」と暗い窓の中に声をかけ


僕はみかんをにぎり帰った


とても嬉しかったので帰ると


その話を二番目の姉に話した


それからしばらくして姉と二人で


格子の窓の家にお菓子をみやげに持って行った


すると家の窓や入口が全部開いていて


家の外に荷物らしきものが置いてあった


僕は初めてその家の中を見た


閉め切ってあった時とは違い


明るく風通しのいい


板間と畳のある沖縄の古い家だった


荷物を片付けていた人が


その家のオバーが亡くなった事を教えてくれた


僕はそのオバーの顔を知らない


その家の中で一人ぼっちで


どんな暮らしをしていたのかも


暗い家の中で格子の窓から


どんな思いで外を眺めていたのかも


僕が知っているのは


腕を優しくなでてもらった事と


みかんを一個もらった事だけだ








  


Posted by ★ニヌファ at 11:08Comments(0)★ 沖縄
 

2013年04月27日

★チャーハンの味





















娘が2歳くらいだった頃


僕は当時働いていた仕事を辞め


次の仕事を探して求職中だった


嫁も子育ての為辞めていた仕事を


また探し始めた頃だった


夫婦無職なので節約をしなければいけなかった


同じアパートに住む仲の良い夫婦の旦那さんが


お米の流通センターに働いていたので


安くお米が買えるのかたずねてみた


「お米っスか いいっスよ


今持ってきますよ 待っててください」そう言って


袋に入った30㌔のお米を持ってきてくれた


いつでも米は手に入るから 


お金はいいから無くなったら


いつでも声をかけてくれと言ってくれた


お米がいっぱいあるならと


何種類ものチャーハンの素を購入し


チャーハンをよく食べた


もらっといて言うのもなんだが


かなりまずい米だった(笑)


チャーハンなら味付けでなんとかなるし


味も色々変わるのでうってつけだった


暑い夏の日だった 汗をかき


はふはふ言いながら


家族三人でチャーハンを食べた


仕事も決まっていなくて


この先の生活を考えると不安だらけだった


娘がチャーハンを食べながら


「おいしいね」と笑顔で言った


僕も嫁も笑顔になった


不安で暗い気持ちだった心に


暖かな日差しが差し込んだようだった


よし 頑張るぞという気持ちになった


その後僕たちは仕事に就くことが出来た


「うちは家族三人元気で仲良くて幸せだね」と


嫁がよく僕に言う事がある


どの夫婦にもいえるだろうが


僕と嫁の道のりも色々あった


娘が生まれ二人だけではなくなり


家族の大切さを知った


そして家族の絆を感じている


笑う時も、泣く時も一緒だ


そしてまずいチャーハンを食べる時も(笑)


家族みんなで食べれば笑顔になれるのだ


きっと…










  


Posted by ★ニヌファ at 09:49Comments(0)★日々の雑談
 

2013年03月30日

★別れ

parting




彼女が僕の働く施設に来たのは二年前の事だ


学校を卒業したばかりでまだ初々しく


「大島です(仮名)よろしくお願いします!」


と可愛い笑顔で挨拶をしてくれた


真面目で明るく入居者にもかわいがられた


夜勤も何回か出来るようになったある日


僕が早番で来ると入居者の女性が


夜、居室の中で転倒し怪我をしたと


彼女は動揺し泣き出した


介護施設での夜勤は一人で20人ほどの


入居者の世話をする大変な仕事だ


夜は何が起こるかわからない


肉体的に精神的にもつらいものだ


ナースの女性が「ニヌファちゃん


新しく入ったあの子使えないの?」と聞いてきた


「そんなことはないですよ なぜですか?」


僕がそう答えると事故が起きた時


一階にいる先輩の女性に彼女が助けを求めたのだが


その女性職員がナースにそう告げたらしいのだ


正直 僕は腹が立った


新人の子が不安の中で夜勤を頑張っているのに


先輩である職員がカバーするどころか


役立たず呼ばわりした事にだ


先輩ならば私がいたのにすみませんと


新人の子をカバーすべきだ


大島さんは夜勤明けで帰って行ったが


それから精神的にまいってしまい


会社に来れなくなってしまった


そして会社を辞めたいと言ってきた


大島さんの所属する二階の僕たちは


心配し彼女に何度も電話した


この仕事が嫌いになったのなら仕方がない


そうでなければしばらく休んでから


来れるようになったらくればいいと話した


しばらく休んだ後に彼女は会社に復帰してくれた


夜勤は精神的に難しいため昼間だけの仕事となった


それでも彼女は頑張ってくれた


ナースの中には意地の悪いナースもいて


新人の子をいびるナースもいた


大島さんも何度かやられたが


僕は彼女に声をかけたりメールや電話をした


頑張っている彼女を守りたかったのだ


それから二年がたった


仕事で僕が忘れてしまった事や


これからやろうとしていることも


彼女は気をまわしてやってくれていた


新人の子にも的確な指示をして


現場の把握もすばらしく


先輩の僕から見ても頼りになる職員になった


ただ 何事もなく彼女が来たわけではない


彼女は抗鬱剤を飲み続けながら働いていた


仕事中に具合が悪くなり動けなくなることもあった


吐き気や頭痛も多く体調の悪い日も多かった


僕は照れくさく過度の心配したような


態度を彼女に見せなかったが


正直心配でならなかった


そして彼女が新人でこの会社に入ってきて


あの夜勤で精神的に追い詰めてしまい


薬を飲み続ける結果になってしまった事に


先輩として責任を感じていた


確かに他の職員やナースが彼女にひどいことをした


だから僕は関係ないとでも?


それは違う 僕がもっとしっかりして


彼女の事を守ってやるべきだった


事故は誰が夜勤をしていようと起きるものだ


ただ事故が起きた直後の彼女への


僕達のフォローとその後の対応が甘かったのだ


僕は先輩として彼女を教えてきたし


彼女とともに働いてきた


僕が彼女の事にもっと気を配って


もっと助けてやるべきだった


感傷的になって言っているのではない


一人の若い子が会社に入社し


そんな状態にまで追い詰められてしまった事


また僕にも子供がいる 


自分の子供が会社でそんな状態になったら


僕は会社に怒鳴り込むだろう


若い女の子をそこまで追い詰めて


抗鬱剤まで飲むようになってしまった事


そんなことはけっして許されない


大島さんには新潟に彼氏がいた


その彼氏と結婚することになり


会社を辞め新潟に行くことになった


みんなとても残念がったが


彼女の幸せの旅立ちを心から祝福した


会社での最後の日 三時のおやつ時に


入居者のみんなに辞める事を彼女が告げた


入居者も涙を流し寂しくなると言った


入居者への挨拶が終わり


ステーションに戻ると


「今までお世話になりました」と


大島さんが僕に挨拶してくれた


二人とも胸がいっぱいになってしまい


大泣きしてしまった


そして彼女から手紙をもらった


その手紙には今までのお礼とともに


「ニヌファさんは 私のお兄ちゃんであり


お父さんであり おじさんでした」と書いてあった


おじいちゃんと書いていなかった事は救いだった(笑)


本当にうれしかった 僕は彼女の事が大好きで


本当に妹のように思っていたからだ


心を病んでしまっても頑張って働き


自分が辛くとも入居者に笑顔を見せる


そんな彼女は僕なんかよりも


ずっと素晴らしい介護士だ


僕が言えた義理ではないが


彼女の彼氏がもしも彼女を幸せにしなかったら


新潟に行き彼をぶっとばすつもりだ


彼女の新しいスタートとこれからの生活が


幸せなものになって欲しいと願っている


会社のパソコンで入居者のその日の状態を


ケース項目に打ち込んでいるとき


以前に彼女の名前で打ち込まれた


ケース内容が目に入った


僕はパソコンを打ち込む手を止めた


なんだか とても寂しくなってしまった












  


Posted by ★ニヌファ at 09:28Comments(0)★日々の雑談
 

2013年02月22日

★雪


























僕が雪を初めて見たのは


受験で東京に来た時だった


東京に来るのも初めてで


電車の路線図と地図を握りしめ


不安と好奇心でいっぱいだった


羽田で飛行機を降りた時


寒いだろうと沖縄でよく着ていた


MA-1とTシャツとジーンズ姿だったが


沖縄では体験したことのない寒さに


すぐに何枚か服を買い重ね着をした


予約していた新宿の駅前のホテルに着くと


前もって調べていた場所や


行きたかった店に出かけたものだ


親には悪いが正直受験は二の次だった


東京の町は刺激的で楽しかった


我を忘れて色々見ていると


手の指や足先が寒さでキンキンになった


手袋を買うという発想が


沖縄生まれの僕には無かったのだ


大学に入学してからも


寒くて部屋にコタツを置いたのだが


寒くて寒くて仕方がない


大学の友人に話したところ


「なんでストーブ買わないの?」と言われ


はっと気づいたくらいだ


寒さに対して無防備というか


どう対処していいのか分からなかったのだ


原宿の駅前に服や雑貨を売っている


屋台のようなお店がたくさんあって


そこで帽子を見ている時に


何か白いものがパラパラと降ってきた


何が降ってきたのかと空を見上げ


それが雪だと知った時


「うわー」と思わず声が出てしまった


これがTVで見たことのある雪かと


しばらく空を見上げていると


お店のおじさんが「雪初めて見るの?」と


空をぽかんと見上げている僕に声をかけた


「はい 沖縄から来たんで初めて見るんです」


そう答えると僕はようやく空から目線を下げた


「へぇー沖縄か 沖縄は暖かいところだもんね


どう?沖縄と違って寒いかい?」と


店のおじさんに尋ねられたので


「ケツがもげるかと思ったほど寒いです」と答えると


店のおじさんが座っていた椅子から


転げ落ちるほど大爆笑した


そしてわざわざ沖縄から来たからと


帽子を1000円引きで売ってくれた


あれから何度も僕は雪を見た


アルバイト帰りの深夜の駅のホームで


凍える手に息を吹きかけながら見たり


当時付き合っていた恋人と


傘を差し雪の中を一緒に歩いたり


友人たちと雪だるまを作り


雪合戦でバカ騒ぎをしたり


結婚し赤ん坊だった娘を抱きながら


窓の外に降る雪をみたりした


そういえば愛犬のニヌファが生きていた時


バーニーズはスイスの犬なので


その為雪が大好きなのかしらないが


大喜びで雪の中を駆け回っていた


雪でボールを作りニヌファに投げつけると


近くに落ちた雪の玉を口にくわえたのだが


噛み砕かれ無くなった雪のボールを


首をかしげながらキョロキョロと


探し回っていた事を覚えている


雪を見た情景は色々だった


孤独な時も 幸せな時もあった


南国生まれの僕には今でも雪が降ると


なんだか意味なくわくわくするのだ


空から舞い落ちる雪を見ていると


ちっぽけな南の島から


不安と期待に揺れながら


一人で都会に出てきて


あの原宿の駅前で降ってくる


雪を初めて見た時の


あの感動を今でも思い出す











  


Posted by ★ニヌファ at 22:09Comments(0)★日々の雑談
 

2012年12月31日

★一年の挨拶








































今年もあと少しで終わる


毎年言う事だがあっという間だった


一日一日を大事にしていきたいと思っているが


毎日の生活に追われるそんな日々だった


もちろん家族との楽しかった思い出もあるが


もっと大事に過ごせばよかったと思う


生活していくことは大変な事だ


楽に暮らしている人の方が少ないと思う


仕事の悩み 暮らし 家族 


自分自身と悩みは多い


家族で幸せに暮らしていきたいと


願うのは僕だけではないはずだ


一人暮らしの時には分からなかったが


今はハッキリとわかる


家族は僕のすべてだという事を


帰る場所が 待っていてくれる人達がいるからこそ


今日も頑張ろうと思える


僕は一人ぼっちではないんだと


信じてくれる人がいるんだと思える幸せ


人生で信じ続けることが


どれほど難しくそして大事かよくわかる


そして今日も明日も変わらず


家族で居続けられる大切さ


喜びや悲しみも分かち合い


ともにいるからこそ日々が素晴らしいと思える


一か月に一回の更新だったり


まともにみなさんのブログに


訪問やコメントもできていない僕のブログを


読んでくださって本当にありがとうございます


来年もみなさんにとって素晴らしい年で


ありますように心から願っています


良いお年を!


   ★ニヌファ








  


Posted by ★ニヌファ at 22:27Comments(0)★日々の雑談
 

2012年12月15日

★エンジニアブーツその2

































その店に例のエンジニアブーツがあるのは


夏ごろに気付いていた


プールの帰りにたまたま嫁と入った店で


棚の上にエンジニアブーツが


4~5足置いてあるのが目に入ったのだ


手に取ってみるとWESCOと書いてあった


「履いてみなくていいの?」との嫁の声に


そのブーツの値段を知っていた僕は


「うん いいんだ」と言って棚に戻した


それから何ヶ月か経つが


ずっと心の片隅で思っていた


エンジニアブーツにはまっていることは


以前も記事で書いたことがある


先日とある商店街で行われた


フリマに出かけた時の事だ


60歳くらいの女性が出店していて


なんとなく通りかかった時に


エンジニアブーツらしきものが目に入った


かなり履きこまれたブーツだった


手に取って見るとレッドウィングだった


「それ オートバイに乗ってる人に頼まれてさ


500円でいいよ」とその女性が言った


僕は耳を疑った 500円だって?


レッドウィングは中古でも人気が高く


値段もそれなりにする


サイズは嫁が履けるサイズだった


もちろん即購入した


家に持ち帰りさっそく手入れをした


ソールも張り替えたのか


全然すり減っていなかった


革ジャンやエンジニアブーツを


手入れするのは嫌いではない


愛情もって育ててる気がして


次に着るとき 履く時も頼むぜ


なんて気になるのだ


それは嫁のエンジニアでも同じだ


磨きながらそのフォルムや


革の感じを見るのが好きなのだ


嫁もエンジニアが好きになったのか


そのブーツを気に入って履いていた


かなり履きこまれたブーツは


新品のブーツなど比べものに


ならないほどカッコいい


革に出来たクセや細かな傷そして時間が


よりそのブーツを重厚に見せる


嫁が履いて歩いていると


振り返って見る人がいるほどだ


その店に先日行った時も嫁は履いていた


店に入ると僕は気になって棚に目をやった


そこに例のブーツが置いてあった


店員が嫁のブーツに目をやると


「ちょっと見せてもらっていいですか?」


そう言ってブーツを手に取り色々調べると


「レッドウィングの古いエンジニアブーツで


かなりいいものですね」と言った


「そうですか 私何にもしらないんですよ!」と


嫁が嬉しそうに答えた


僕はウエスコのブーツを手に取ると


「これ 試しに履いてみていいですか?」


そう言って恐る恐る足を通した


その履き心地にゾクゾクきた


足をすっぽり包んでくれるような履き心地で


アーチの部分がまたたまらなかった


今まで履いていたブーツがただの長靴に


思えてしまうほどの違いだった


以前も僕は記事でも書いたのだが


有名だからという理由で僕はブーツを選ばない


自分で履いてみて決めることにしている


しかしウエスコのブーツは


エンジニアブーツ好きは最終的に


そこに行きつくとすら言われていた


この履き心地ならよくわかる


そして形やソールの武骨さ


TheBossというモデル名のとおりだ


もうウエスコのブーツにかなりやられていた


嫁は店員にブーツを褒められ上機嫌だった


ちょっと 相談してみようかな…


「和尚さん いや お嬢さん…


俺さ やっぱ年齢的に本物のブーツが欲しいんだよね


一生ものっていうかさ 本物の作りでこれだって奴がさ」


「そうかもね ちゃんとした物って必要かもね」と嫁が言った


「このブーツサイズも俺にぴったりの9Eだしさ


なんて言っても履き心地 作り デザイン


どれをとっても文句なしなんだよな


これ…買ってもいいかな…」


「いくらなの?」嫁が気軽に答えた


「…○○万円なんだ…」


「うげっ…○○万円!!!」


「奥さん そこをなんとかお願いします


頑張りますから」と僕は嫁に頼み込んだのだが


いったい何を頑張るつもりで言ったのか


いまだに分からないのだが…


僕の必死の顔に嫁も折れ


「パパがどうしてもっていうんなら


仕方ないよ また頑張って働こう」と言ってくれた


店を出た後は夢心地だった


途中で寄ったマックで早速履き替えた


「子供か!」という嫁の声も


夢心地の僕には耳に入らなかった


ウエスコの値段はネットで見てもらうと分かるが


ここではバカ高いとだけ言わせていただく


それから何度も履いているが


ついついブーツを眺めてしまう


僕は勝手にこのブーツと縁があったのだろうと


初めて目にしたときから購入にいたる過程を


そう思うようにしている


これから自分の足のくせがついて


重厚なブーツに育っていくと思うと楽しみだ


ブーツ好きではない方には


こいつはさっきから何を言っているんだと


なんのことやらさっぱりかもしれないが


僕はそのブーツを眺めながら


酒が飲めるほど嬉しいのだ(笑)






  


Posted by ★ニヌファ at 16:14Comments(0)★日々の雑談
 

2012年12月15日

★オバーヤー(オバーの家)






















僕の働く施設に100歳になる


Sさんという女性がいる


最近 具合がよくなくて


食事もあまりとれなくなってきた


昼休みに気になってSさんの居室を訪れた


部屋には ラジオの音が小さく流れていた


レースのカーテン越しに


暖かな日の光が差し込んで


時間がゆっくりと流れているようだった


ベッドで寝ているSさんを


居室にある籐の椅子に腰かけ


眺めていたら僕はウトウト寝てしまった


しばらくして部屋を訪れたスタッフが


「なんだ ニヌファさんじゃないですか 


びっくりしたなー家族の方が


来てるのかと思いましたよ」と言った


僕は「ごめんごめん」と笑いながら


ふと子供の頃のオバーの家を思いだした


よくある沖縄の赤瓦の家ではなかったが


台風の為にコンクリートの丈夫な家だった


この辺で見かける家とは違い


家の入口にブロックの曲線を利用した


幾何学模様のような戸袋と


風を通すための多くの窓があった


家の周りを囲むように庭があり


オバーが味噌を作ったりする小屋があった


急な斜面に沢山の家々が立ち


斜面の頂上にオバーの家があった


そこから家々や港や隣の島が見えた


やることもなく暇なときはオバーの家に行った


テーブルに丸いお菓子入れがあって


中身は黒糖やちんすこう 氷砂糖


あんこ入りの饅頭などがあった


全部一緒に入れてあるので


互いの匂いが染みついて


訳のわからない味になっていた


壁にはウミガメのはく製が飾ってあって


床の間に飾られた洋酒のウイスキーや


泡盛のビンに並んで三線が置いてあった


居間には家庭円満と書かれた


額縁がひもで吊るしてあり


その近くに平気で1時間は遅れる


ボンボン時計があった


ネジを巻かないと止まってしまうので


よく止まっていたが誰も気にもしなかった


壁に古いスピーカーのような形の


ラジオが取り付けてあって


そこから沖縄民謡がいつも流れていた


一分が一時間に感じられるほど


いや 時間さえも止まっているように感じられた


ただ琉球民謡とお線香の匂いと


少し潮の香りのする


そよ風だけが通り抜けていく


子供だった僕はオバーの家に行くと


その雰囲気にやられ


ついつい昼寝をしてしまった


プラスチック製の籐の枕もあったが


枕が高すぎるうえに籐を模して作ってあるので


その編みこんだ部分に髪の毛が


よく挟まって痛い思いをしたものだ


畳の上で寝てしまった時は


ほっぺたによく畳のあとがついた


僕の一番のお気に入りの昼寝の場所は


オバーの部屋の窓を開けると


そこに畳三畳ほどのウッドデッキのような


まあウッドデッキなんてかっこいいものではないが


とにかく木でできたベランダのようなものがあって


そこにゴザがひいてあった


井草でできたものでなくプラスチック製のやつだ


そこでの昼寝は最高だった


日陰で涼しい風も吹いてくるのだが


何よりも斜面に立つ家々や港や海を


一望できるその景色は素晴らしかった


よくオバーと一緒にその景色を眺めた


二人言葉少なになっていた


夕暮れの景色もまた最高だった


家々に明かりがポツポツと灯りはじめ


空と海がオレンジ色に染まっていく


シュッと音がしてオバーがマッチをすると


蚊取り線香に火を点け僕のそばに置くと


まだ火がついているマッチでタバコに火を付けた


夕暮れの景色に蚊取り線香の煙が溶けて行った


「夕ご飯 食べていきなさいねー」と


オバーがボソッと言った


僕が横浜に出てきた頃に


オバーの家は建て替えて


二階建ての家になったのだが


今でも昔のオバーの家を懐かしく思う


あの家の時計やラジオやお菓子入れ


そしてオバーと一緒に眺めた


あの夕暮れの風景を









  


Posted by ★ニヌファ at 12:01Comments(0)★ 沖縄
 

2012年10月26日

★ゆりかごの歌









































ゆりかごの うたを


カナリヤが 歌うよ


ねんねこ ねんねこ ねんねこよ


娘が3歳の時 この唄を歌ってくれた


その時携帯のムービーで


歌っている姿を撮った


照れながらも一生懸命歌ってくれた


時々 僕はその動画を見ることがある


見ると泣いてしまいそうになるので


見るのは時々にしている


5歳になった娘はプリンセスや


ヒーロー物に夢中で


側転やブリッジした状態から足で蹴り上がり


くるりと回って立ち上がったりと


色々な事が出来るようになった


喋ることも一人前で


時々吹き出してしまうほどだ


先日の運動会でも娘は頑張っていた


色々な事がどんどんできていく喜びと


成長し親から離れていくような寂しさ


もっとゆっくりでいいんだよと


くだらない事を思ってしまう


子供を育てているつもりが


父親として人間として


子供に育ててもらっている


娘は僕に大事な事を教えてくれる


ある日 仕事から帰った僕は


疲れていたので床に大の字に寝転んだ


娘が寝ている僕の上に


馬乗りになり抱きついてきた


それから僕はウトウト寝てしまった


しばらくして目を覚ますと


寝ている僕の上に抱きついたまんま


娘もすやすや寝ていた


幸せな瞬間だった


彼女が幸せな一生を過ごしてほしいと


本当に心から願う


娘の小さな手をつなぎ一緒に歩いた


保育園への坂道を


夕暮れの保育園の園庭で


迎えに来た僕に手をふる姿を


僕はずっと忘れない


いつもどこでも


娘の事を思う時 この歌が


頭の中にながれている


少し照れたような でも


一生懸命歌う娘の声が


ゆりかごの うえに


びわの実が ゆれるよ


ねんねこ ねんねこ ねんねこよ






  


Posted by ★ニヌファ at 10:38Comments(0)★日々の雑談
 

2012年09月25日

★Island Fever






























僕と嫁はハワイが好きで


結婚する前からハワイに何度も出かけた


慣れてくると海側の高いホテルでなく


山側の景色が見えるホテルに宿泊するようになった


ホテルのレベル的に変わらなくとも


海側はやはり高く設定されているものだ


山側の景色も美しいが値段が格段と安くなる


一日中ベランダで海を眺て過ごすなら


海が見えるホテルがいいだろうが


僕も嫁も海に直接いくので


海が見える部屋の必要はなかったのだ


ホテルを朝出るときに


フロントのジェシカに声をかけた


彼女は韓国系の女性で25歳くらいだろうか


最初の印象はあまり良くなかった


無愛想でかったるそうな対応だった


宿泊中何度か話をするようになると


明るく声をかけてくれるようになった


大きなホテルと違って長期滞在者が多い


こじんまりとしたホテルで


フロントも小さく基本的に一人だった


ジェシカのほかにも50代くらいの


白人の男性や50~60代の女性も


フロントに立っていた


サーフパンツ姿にはだしで


ビーチから戻ってきた僕たちに


「Wow!すごく焼けたね」と声をかけた


「ジェシカは色白いね」と僕が言うと


日焼けはしないのだと答えた


「ヨコハマはBigCityでしょう?


私もニューヨークかトウキョウに行きたい


友達がトウキョウにいる


トウキョウはBigCityでも


Very Safe Right?


Maybe トウキョウ行くよ


トウキョウは寒い?」


「ハワイは世界中から旅行に来る人多いのに


ハワイの人は出ていきたいんだ」と嫁が言うと


「ハワイはアイランドでしょう とても小さいネ」


とジェシカがウンザリ顔で答えた


大きな都会に出て自分の可能性を試したいと


彼女は目を輝かせながらそう言った


アイランドフィーバーという言葉がある


ずっと島にいると飽きてしまい


どこか行きたい 刺激を求めたくて


飛び出したくて我慢できなくなる事らしい


沖縄の島に育った僕にも経験がある


ちっぽけで 退屈な島を


飛び出したくなるのだ


ただ僕の生まれた島はハワイのように


世界的な観光地ではなくただの島だったが


あれほどの観光地でも


やはり島は島なのだろうか


「ドーナツ食べる?」


フロントの下からジェシカがおもむろに


ドーナツを取り出すと僕たちにすすめた


「Dietしてるヨ」と笑いながら言った


部屋でシャワーを浴びて服を着替え


フロントの前を僕たちが通ると


ジェシカが退屈そうにフロントで


ファッション雑誌をめくっていた


出かける僕たちに「Enjoy!」と


声をかけ手をふってくれた


僕たちは観光で楽しんでいるが


ハワイに生まれた彼女には


この日常が退屈でたまらないものなのだろう


沖縄だとみんな外に出たがるが


結局 島に戻ってくる者が多い


文化的な違いと言うか


他人との関係性やスピード


そして生活が自分達のリズムではないからだ


ハワイも同じような気がする


ハワイの匂いハワイの風や太陽や海


ハワイのリズムが恋しくなって


帰ってきたくなるのではないだろうか


それが何年後か何十年後かは分からないが。



翌年 ハワイに行った時


そのホテルの前を通ると


ホテルの名前が変わっていた


ハワイではホテルが買収や倒産で


違うホテルになってしまう事は多い


外からフロントをのぞくと


見知らぬ女性が立っていた


彼女は僕たちに言っていたように


東京かニューヨークの都会に行ったのだろうか


それともハワイのどこかのホテルのフロントで


退屈な顔で あの時と同じように


ファッション雑誌をめくっているのだろうか


スナップルズを一口飲むと


僕はそのホテルの前を通り過ぎた











  


Posted by ★ニヌファ at 22:09Comments(0)★日々の雑談
 

2012年08月18日

★一杯のCoffee




















僕はコーヒーが好きだ


誤解のないように言っておくと


やたらとコーヒーに詳しいとか


豆がどうのこうのとか一切ない


ただコーヒーが好きなのだ


インスタントでもレギュラーでも


どちらでもいい 


おいしいにこしたことはないのだが


コーヒーは一日に2杯は最低飲む


常にホットコーヒーだ


アイスコーヒーも好きなのだが


注文するときは95%はHOTだ


昔はブラックで飲んでいたが


ハワイでコナコーヒーを飲んでからは


甘いコーヒーも好きだ


以前 泊まっていたハワイのホテルで


少し早く目を覚ました僕は


窓を開け裸足のまま一人ベランダに出ると


上半身裸にサーフパンツ姿で


コーヒーカップを手に


ベランダの手すりによりかかって


ハワイの朝の風景と海を眺めていた


朝のワイキキの浜を散歩する年配のカップル


道路を走っているランナー


派手なムームーを着た


ホテルの従業員らしき3人連れ


サーフボードを手に海から帰ってくる人


ホテルや店の前に止まっている


配達だと思われるトラック


隣のベランダで僕と同じように


60歳~70歳くらいの外国人のおばさんが


ベランダの椅子に腰かけ外を眺めていた


ふと目が合うとコーヒーカップをかるく持ち上げ


「Morning!」と笑顔で言ってくれた


「Morning!」と僕もコーヒーカップを


軽く持ち上げながら笑顔で答えた


ただ挨拶を交わしただけなのに


なぜか幸福な時間を過ごしている気がする


今日はいい一日になる気がする


僕が単純な人間だからかもしれない


そのおばさんがベランダ越しに


ビスケットを5枚ほどくれた


肉厚でココナツやナッツ入りで


かなり甘目なテイストだったが


たとえそれがどんな味だったにしろ


その時の僕にはおいしく感じられたと思う


ホテルのベランダから眺めていると


家々のベランダにコーヒー片手に


外を眺めている人たちを目にした


僕はみんなにコーヒーカップを軽く持ち上げ


「おはよう!」とつぶやいた


日本ではこんな気分にはなかなかならない


仕事やストレスで心に


そんな余裕がないのかもしれない


コーヒーの味がどうこうでなく


コーヒーを味わうという時間


コーヒーを楽しむという時間


周りの景色やシュチエーション


そして他人との人間的な接触が


一杯のコーヒーの味を豊かなものにする


出会いや別れ 喜びや悲しみ


色々なシュチエーションで


コーヒーの味わいも変わるのだろうが


日々の生活の中で変わることなく


僕はコーヒーを飲み味わい続ける


外国映画で僕が好きなのが


朝 仕事に行く父親が


コーヒーカップ片手に


子供や妻にキスをして


カップ片手にそのまま車に乗り込み


仕事に出かけるシーンだ


見ていてなんだか暖かい気持ちになる


よく見るが好きなシーンだ


僕はスタバでブログの記事を書いたり


本を読んだりするのが好きだ


僕はスタバフリークではない


他の喫茶店やカフェでもいいのだが


スタバはいい意味で店員がほっといてくれる


そしてこれは重要な事だが


ゆったりと座れるソファー席がある


これがあるカフェならどこでもいい


自分のお気に入りの場所で


自分の好きなものに囲まれて


飲むコーヒーほど美味いものはないだろう


ファイヤーキングを集めているのも


それでコーヒーが飲めるからかもしれない


この時期 外は暑く仕事から帰ると


汗びっしょりになってしまうが


風呂に入りクーラーのきいた部屋で


コーヒーを入れて飲む安堵感


それは何とも言えない気分だ


えっ 今夜もコーヒーを飲むのかって?


もちろんビールに決まっている(笑)







  


Posted by ★ニヌファ at 22:26Comments(0)★日々の雑談
 

2012年08月07日

★迎え

























仕事を終え帰る途中


夕暮れのせまる十字路で


信号待ちをしていた


今日は少し嫌な一日だった


長く道路まで伸びた自分の影を


ぼんやり眺めていると


向かいの道路から声が聞こえた


「パパーッ!」4歳になる娘が


大声で手を振っている


嫁と一緒に迎えに来た娘の姿を見た時


何とも言えない幸せな気持ちになる


7月18日は亡くなった愛犬ニヌファの


6歳の誕生日だった


娘にロウソクを吹き消してもらった


娘が「パパ おにいちゃんの話をして」と


ニヌファの話を聞きたがった


ニヌファの面白い話や


娘の面倒を見てくれた話をした


それから何度も同じ話を


聞きたがるようになった


夜 部屋の明かりを消したとき


娘がニヌファの話をして欲しいと言った


ニヌファが病気になったこと


治療に頑張った事


そしてニヌファが亡くなった事


僕と嫁がとても悲しんだことを告げた


「パパ 泣いたの?」


「・・・いっぱい泣いたよ」


「・・・パパ りみも悲しい


おにいちゃんに会いたい・・・


パパ おにいちゃん 帰ってくるかな?」


「帰ってくるといいね・・・」


僕は少しうわずった声で答えた


しばらくして娘が小さな寝息をたて始めた


僕はなかなか寝付けなかった


娘が赤ん坊の頃 


ニヌファは病気がひどくなっていた


赤ん坊の娘がニヌファの毛を引っ張ったり


耳の中や口の中に手を入れたりしても


ニヌファはじっと我慢していた


寝ている娘の足を娘が泣かないように


そっと注意深くニヌファはなめてくれた


そして娘の背中に自分の背中をくっつけて


一緒に寝てくれた


僕が娘を抱いてあやした後


嫁に娘を渡すと横でじっと見ていたニヌファが


突然 僕の胸に飛び込んで甘えてきた


本当は自分が甘えたかったのに


娘の為に我慢してくれていたのだ


病気で辛くて心細かったろうに


本当にかわいそうな事をした


僕は流れる涙を枕で拭いた


僕や嫁が亡くなった時


一番最初に迎えに来てくれるのは


ニヌファに違いないと嫁と話すことがある


あの嬉しそうな笑顔で


美しい毛をなびかせ


左の前足が必ず先に出る


少しどんくさいあの走り方で


きっと迎えに来てくれるだろう


きっと・・・










  


Posted by ★ニヌファ at 21:48Comments(0)★ニヌファ
 

2012年07月13日

★夏の夜の記憶



















中学生の頃だ 夏の夕方に


寝てしまい9時ごろに目が覚めた


ふらふらとなぜか二回のベランダに出た


おかしな話だが感覚が妙に冴えていて


普段は自分自身の中にあるはずの感覚が


自分自身の外に出て周りの色々なものや


外から自分自身の存在も感じることが出来た


夜空を見上げると星空が広がっていて


それを見ていると自分の体が浮いて


そのまま星空に溶け込んでしまいそうな感覚に襲われ


怖くなって感覚を遮断してしまった


後にも先にもその一度だけだが


おかしな体験だった


スピリチュアルな話をしたい訳ではない


寝ぼけていただけかもしれない


ただ 夜にはほんの少しだけ


魔法がある気がする


夏の夜には特に…


子供の頃 夏の夜


家でスイカを食べていた


二番目の姉とスイカの種を庭先に飛ばした


ベープマットの香りがしていた


我が家は蚊取り線香もあったのだが


ベープマットがやけにあった


あの四角いマットのようなものが


くるまれたシートがびろびろと


つながった部分を切り取り線から切り取り


熱くなった鉄板のような部分に置くと


あの独特の香りがした


朝になり使い終わる頃には


青かった四角いマットが真っ白になっていた


一番目の姉がスイカを食べる僕の横で


パチンパチンと音を立てながら


足の爪を爪切りで切っていた


オヤジはビールを飲みながらテレビで野球を観戦し


おふくろは台所で皿を洗っていた


虫の声と隣の家のラジオの音が聞こえていた


なにげない夏の日の記憶だ


先日 夜、娘と嫁と家でスイカを食べていた時


ふと その事を思い出した


スイカを食べる娘を見ながら


大きくなったら今の僕のように


子供の頃の このなにげない夜の風景を


彼女も思い出すのだろうか


そう思うとなんだかこの一瞬が


とても愛おしく感じてしまった


「私が子供の頃 夏の夜に


パパはビールを飲んでいてね


私はお気に入りのお花のワンピースを着て


大人用の椅子に腰かけ


足をブラブラさせながら


ママとスイカを食べていたの


蚊取り線香の匂いがしていたわ


とても穏やかな夜だったの


パパがママに私が大きくなったら


このなんでもない夜の事を


子供の頃の記憶として


思い出すのかなと話していたわ」と


娘が将来 誰か大切な人に


話してくれる日が来るのだろうか


特別な事やサプライズや記念日でなくても


何でもない夜の記憶を


ずっと覚えている事があるものだ


家族が何事もなく過ごす


平凡な夜の記憶は


本当は平凡などではなく


自分では気付かなくとも


それは特別で幸せな


夏の夜の家族の記憶だ











  


Posted by ★ニヌファ at 21:03Comments(0)★日々の雑談
 

2012年07月07日

★紫陽花

































浜崎さん(仮名)は名古屋で女二人男三人の


5人兄弟の一人として生まれた


旧家の出で何不自由なく育ったそうだ


結婚し横浜で暮らし子供3人を授かった


旦那さんを癌で亡くした後は


次女と三年ほど暮らしたが


気を使うのが嫌だと自宅に戻り


一人で暮らし始めた


70歳の頃まではボランティアや


民生委員をしていたそうだ


その後知人や友人が相次いで亡くなった事や


動脈硬化の発作を起こしたこともあり


一人で暮らすことに不安を覚えていた


長男と暮らしたかったが


長男宅には妻の母親が暮らしているため


暮らすことはできなかった


それで僕の働く施設へ入所してきた


掃除好きで部屋はいつもきれいにしていた


同じ入居者の吉田さん(仮名)と仲が良く


いつも一緒に過ごしていた


浜崎さんは物忘れがひどく


特にお風呂に入ったことを忘れてしまい


よくお風呂に入れてもらっていないと


スタッフに詰め寄っていた


僕は浜崎さんが入浴の訴えが出るたびに


入っている事を説明した


初めはそんなはずはないと


浜崎さんは言っていたのだが


過去の入浴表や一緒に入った入居者の言葉に


「なんで忘れちゃうんだろう」と


落ち込んだように答えた


「浜崎さん 年取って物忘れがひどくなるのは当たり前だろ


物覚えがどんどん良くなっていったら気持ち悪いよ


浜崎さんが忘れても俺たちが覚えているから大丈夫!」と


周りのスタッフや入居者と笑い飛ばすと


「そうだね お願いね」と笑顔で答えてくれた


年を取ったんだから物忘れぐらいしょうがないと


笑い飛ばしてほしいと思っている


もちろんすべての入居者にあてはまるわけではない


言ってもいい人もいればよくない人もいる


年をとりおとろえていく人間の気持ちを


その年齢の半分にも満たない介護士や


他の人間にわかるわけがない


僕達は入居者と人間として向き合い


そして何度も自分自身とも向き合うことになる


自分の人間的未熟さ 弱さ 冷酷さを思い知る


時にはこの仕事が大嫌いだと思う事もある


浜崎さんの腹部にしこりがあるため


浜崎さんと娘が病院へと出かけて行った


病院から帰っきた娘が玄関先で迎えた職員に


隣でしょぼくれる浜崎さんをしりめに


「癌なんだって~!!」と笑いながら話した


僕たちは信じられない思いで娘を見た


浜崎さんの娘は看取り介護を希望した


看取りとは具合が悪くなっても病院には行かず


施設で自然に最後を迎える事だが


浜崎さんは癌だ かなりの痛みがでてくる


それを抑えるには介護施設では無理だ


病院やそれなりの施設で最後を迎えるべきだと


ナースや職員が説得したが娘たちは聞き入れず


追い出すつもりなら訴えると怒鳴り込んできた


結局 浜崎さんは看取りとなった


「浜崎さんの娘さん お金使いたくないのかな?


なんで病院に連れて行かないんだろう


浜崎さん癌だよ すごい痛みが出てくるのに


信じられないよ 実の娘だろ…」


僕たちは納得がいかなかった


それから浜崎さんは食事もとれなくなった


腹部の腫瘍も大きくなり皮膚が破れ血がにじみ始めた


「えらいよ えらいよ」と浜崎さんはよく言った


つらいという意味で浜崎さんの田舎の言葉らしい


ふくよかだった浜崎さんがげっそり痩せ


骨と皮だけになった


食事もとれないので水分だけでもと


スタッフが浜崎さんの部屋に行くたびに


すいのみで水分をすすめたが


それも飲めなくなってきた


どす黒い血と老廃物が混ざったものを吐き


同じものが下からも出てきた


腫瘍が小腸や他の器官と癒着していて


「お腹の中がグチャグチャになってるのよ」とナースが言った


僕が浜崎さんの部屋に入った時も


彼女は2度吐血した


彼女のパジャマを着替えさせると


細くやつれてしまった腕を伸ばし


「えらいから 手を握ってて…」と僕に言った


浜崎さんの手を握ると僕はたまらない気持ちになった


これは看取りじゃない 見殺しだ


スタッフは時間があれば浜崎さんの部屋に


なるべく顔を出すように心がけたが


忙しい為 痛みで心細くなった浜崎さんを残し


部屋を出ていかなければならないのが辛かった


仕事を終えた後 浜崎さんの部屋で


手を握りしばらく過ごした


苦痛の為呼吸も荒くなった浜崎さんに


他愛のないことを話した


僕たちは浜崎さんの部屋に童謡をかけたり


アロマポットを置いたりした


痛みに苦しむ浜崎さんに何かできないか


ケアマネと相談した


浜崎さんは花が好きだったので


浜崎さんと仲が良かった吉田さんと


庭から紫陽花をたくさん摘んできて


浜崎さんの部屋に持って行った


「浜崎さん 紫陽花だよ きれいだろ!」と


僕たちが声をかけると浜崎さんは


痩せ細った手を伸ばし紫陽花の花にふれた


ハアハアと荒い息をする


浜崎さんの顔に笑顔が見えた


僕は事務所に頼んで浜崎さんのアルバムを借り


浜崎さんのベッド横でアルバムを見せながら


写真の説明をすると浜崎さんが


目を見開いてアルバムを弱弱しくめくった


バカバカしいだろうが僕たちには


そんなことしかできなかった


その日の午後浜崎さんの長女と


次女長男が浜崎さんに面会に来た


午後4時頃だ 家族から浜崎さんの


具合がおかしいと職員に声がかかったので


僕はナースと共に浜崎さんの部屋に入った


目を見開き口は開けっ放しの浜崎さんの姿が見えた


一目で浜崎さんが亡くなっているのが分かった


浜崎さんの顔を覗き込むと


首元に嘔吐の跡があった


同じ部屋に3人も家族がいながら


何故彼らは嘔吐したことに気付かないのだろうか


呆然と浜崎さんの遺体を見る僕の隣で


浜崎さんの長女が携帯電話で


「もしもし~ 今死んじゃったー!」と


冗談でも話すかのように電話していた


ドクターが到着し死亡の確認を終えた後


僕達職員とナースで浜崎さんの体を拭き


着物に着替えさせた


その間家族は外で待っていたのだが


僕はこの瞬間をとても大事にしている


僕たちは浜崎さんの家族ではないが


浜崎さんと関わってきた人間として


この瞬間だけは僕達だけの


時間にして欲しいと思う


最後に浜崎さんをきれいにして送り出したい


それは介護職員だからとかではない


浜崎さんを見てきた一人の人間としてだ


浜崎さんの口の中をスポンジブラシで掃除すると


のどの奥に茶色の嘔吐物がたくさん取れた


詰まって亡くなった可能性が高い


あの家族は同じ部屋にいて


浜崎さんに寄り添う事もなく


いったい何をしていたんだろうか?


携帯をいじっている姿しか僕たちは見ていない


ただこれ以上浜崎さんが苦しむことなく


楽になったことは不幸中の幸いだ


入居者の方々が最後の別れをした


特に仲が良かった吉田さんは号泣だった


みんなで施設の玄関から


浜崎さんの遺体を乗せた車を見送った


夜7時過ぎ 就寝介助を終え


僕は一人浜崎さんの部屋を訪れた


部屋と言うのはそこに暮らす人がいてこそ


その人の部屋だと言える


たとえその人がそこに居なくとも


その人の気配なりなんなりを感じられる


その人が亡くなると同じ部屋なはずなのに


突然 気配というか存在感が消え失せ


まるで違う場所に来たかのような


不自然な違和感を感じてしまうものだ


ベッド横のサイドボードの上で


紫陽花の花が 今朝摘んできた時と


変わることなく花瓶に咲いていた


その花にふれた浜崎さんは


もういなくなってしまったというのに










  


Posted by ★ニヌファ at 21:39Comments(0)★日々の雑談
 

2012年06月27日

★Would you like something to drink?



























どんな飲み物が好きかと尋ねられたら


僕は迷わずミネラルウォーターと答えるだろう


カッコをつけて言うわけではない


スポーツクラブでインストラクターを


していた頃から飲み始め今に至る


まあ理由はたくさんあるのだが


説明が長くなるので単純に飲み飽きない


そう思っていただけると話が速い


子供の頃 おふくろがアイスコーヒーが好きで


よく冷蔵庫にアイスコーヒーを作ってあったが


甘いのだ いや甘いという表現は違う


激甘なのだ アイスコーヒーのはずなのに


マックシェイクかスムージかと


間違えるほどドロドロしているのだ


飲むと首の後ろがザワザワしてしまう


僕が糖尿病を患っていたら


二度と帰らぬ人となったことだろう


そういえば僕が中学の時


冷蔵庫にマウンテンデューのビンが入っていた


のどが渇いた僕はそれを一気飲みしたのだが


あまりのまずさに吐き出してしまった


どうやらおふくろがマウンテンデューのビンに


便秘解消の為の飲み薬を入れておいたらしいのだ


それ以来僕はマウンテンデューが大嫌いになった


好きな飲み物にはルートビアーやドクターペッパー


コーラやサイダー今のところオール炭酸だが・・・


コーヒーにスナップルなどだ


ルートビアーは以前にも紹介したことがある


我が故郷沖縄のファーストフード店


A&Wのメインドリンクだ


エンダー(A&Wの事を沖縄人はそう呼ぶ)は


1919年にカリフォルニアで誕生した


ルートビアーを初めて飲んだ僕の友人は


ドクターペッパーにオロナインを


混ぜたようなテイストだと言っていた


その昔病気の友人を元気にする為に


A&Wの創業者の一人ロイアレンが


開発したらしいのだが


それを飲んだ病気の友人は


きっと死んだに違いないと


ルートビアーを初めて飲んだ時


嫁はそう感想をもらした


スナップルのピーチティーは


以前 ハワイによく行っていた時に


ワイキキの浜辺で日焼けした後に


目の前のABCで買ってよく飲んだ


美味しくてそれを飲むのが定番になったほどだ


僕にすすめられ飲んだ嫁も


はまってしまい二人で銭湯の牛乳のように


ワイキキの浜で海を眺めながら


腰に手をあてグビグビ飲んだ


スナップルのピーチティーが


日本で販売しているかどうか分からないが


輸入食品の店にあるのかもしれない


飲む場所やシュチエーションによっても


うまさが違ってくると思う


人間の体の70%は水分でできている


水分をよく取り入れると


体の中の水分も入れ替わり


クリヤーになり代謝も上がるらしい


そんなこと言いながら


体に悪そうな物ばかり飲んでいるが


暑い夏 みなさんも水分を取って


脱水には気を付けてほしい












  


Posted by ★ニヌファ at 20:57Comments(0)★日々の雑談
 

2012年06月07日

★Lostness




















H君が僕の働く介護施設に来たのは


8ヶ月ほど前の事だ


体が大きく真面目すぎるほど真面目で


コミュニケーション下手な彼は


入居者にも誤解を招くことが多かった


それでも仲間に助けられ


なんとか仕事もなれた頃に


父親の具合が悪くなった


彼の父親は口から栄養がとれなくなった為


経管栄養と言って腹部にチューブを埋め込み


そこから栄養分を流し込む状態になった


病院から父親が家に戻ると


2時間に一回の痰の吸引が必要だった


介護の仕事はストレスがとても多い仕事だ


家に帰っても仕事の延長のような事をするのは


かなりのストレスがかかるものだ


H君は父親の為にそれをこなした


色々僕にも相談をしてくれた


彼の父親は何度も熱を出しその度に入院をした


それから しばらくして


H君の父親は亡くなった


会社にそのことを報告しに来たH君は


その大きな体を丸め


ボロボロ涙を流していた


それからしばらくして仕事に復帰したが


ボーッとすることが多くなり


注意力が散漫になり ミスが多くなった


夜も寝れないので医者から睡眠導入剤をもらい


服用していることを僕に告げた


夜勤明けのH君と話をした


H君はひどい顔をしていた


「自分の体の一部を持って行かれたようで


本当に心が痛いんです 


父親がこの世界からいなくなった事が


まだ信じられないんです


もう どうやって生きていけばいいのか


わからないんです」そう 僕に言った


誰もが同じ日常を過ごしている訳ではない


悲しみや痛みとともに日々を過ごす者もいれば


喜びと幸福の日々を過ごすものもいる


現実はみな同じではない


H君は今 痛みと喪失感の中で生きている


大事な者を失った喪失感は埋めることはできない


なぜなら その人に代わるものなどないからだ


そして望もうと望まざるとにかかわらず


自分自身の心の傷と向き合うことになる


その傷も自分自身の一部なのだと


理解し受け入れるのには時間が必要だ


たとえば何かの理由で手や足を失ったとして


義手や義足をつける事になる


慣れるまでに時間がかかるが


やがてなんとか日常生活を送れるようになる


けれど 手や足を失ったことに変わりはない


喪失感や心の傷もそれと似ている


失ったものは二度と戻らない


喪失感や傷も自分自身の一部として


共に生きていくのだと僕は思う


亡くなった者が 自分の事で


残された者が悲しみ苦しんでいる様子を


ずっと見ているのは耐え難いことだと思う


だからと言って能天気に


「そんなに悲しんでいても


亡くなった人は喜ばない」と


僕は言うつもりはない


僕自身 亡くなったニヌファの事を


思わない日は一日もない


自分の手のひらを見るたびに


ニヌファをなでていた感触が


どうしようもなく蘇ってくる


H君は父親が元気だった頃 反発し


なかなか話もしなかったそうだ


「一日でもいいんです・・


オヤジと話ができれば・・・」


H君は疲れた顔で僕に言った


「時がたてばたつほどに 


忘れていたような小さな事も


色々と思い出すと思う


たくさんの思い出がよみがえり


その思い出が全部 愛おしく思えてくる


今はオヤジさんの事 たくさん思ってあげて


そして話せなかったこと 話したかったことを


心の中でオヤジさんに話せばいい


そういう時間が今は必要だから


しばらく仕事を休みなよ・・・」


H君はポロポロ泣きながら


「すみません 男のくせに泣いちゃって・・」と言った


「大切な人を失ったんだ 泣いて何が悪いんだよ」


僕はH君の肩に手をおいた


誰もが痛みを抱えて生きている


その話をきちんと聞いたり


話したりできる相手はとても少ない


たいていは 相手の気持ちもよく考えず


安っぽい定型文のような


慰めの言葉を投げかけ


相手を不愉快にするものだ


僕自身ニヌファが亡くなった時


そんな経験をしたものだ


またH君の笑顔が見たいと僕は願っている


それまで仕事の仲間達と


彼が帰ってくるのを僕は待っている


そして その日はきっと来るだろう


かならず きっと



PS


ニヌファ 亡くなって4年近くもたつのに


夢にも出てこないなんてどうかしてる


今度 出てこなかったら本当に怒るからな










  


Posted by ★ニヌファ at 22:32Comments(0)★日々の雑談