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Posted by TI-DA at
 

2012年04月28日

★WINDOW



















仕事の帰り道によく通る


ファミレスがある


普通のファミレスよりほんのちょっと


値段が高いファミレスなのだが


そのファミレスの窓から見える


食事をする人たちを見るのが僕は好きだ


夜 仕事を終えその店の前を通ると


暖かな明かりの中


色々な人たちが食事をしている


家族やカップル 年配の夫婦 友人同士


笑っている人 見つめあっているカップル


静かに食事をしている人 もりもり食べている人


コーヒーを手にまったりしている人


僕もその店で食事をしたことは何度もあるが


外から通りすがりに見る方が好きだ


なんだか幸せな気持ちになる


食べているのを見るのが幸せなんて


その店のシェフでもないのに


おかしな話なのだが


僕が子供の頃は 買い物をし


家族でレストランに行く事は


一大イベントだった


メニューを見せながらオヤジが


好きなものを頼めと言ったが


僕は自分が食べたいものでなく


一番安いもののひとつ上の物を頼んだ


一番安い物を選べばなんだかわざとらしいが


その一つ上なら子供の気遣いも


親に感づかれないのではとの


子供ながらの考えからだった


今の子はレストランで好きな物を


特に思うことなく注文するだろう


僕にはそれはできなかった


好きなものを言えば


それを注文してくれただろう


貧乏だったわけではないが


レストランに来て食事をするという事は


やはり贅沢な事だという意識があった


そこに連れてきてもらったのに


値段を気にせず食べたいものを


注文することは親の財布を考えると


とても僕にはできなかったのだ


レストランで全部食べられなかった場合は


お店の人に頼んで入れ物に入れてもらい


家に持ち帰るのは当たり前の時代だった


今のように残して帰ることなどなかった


昔が良くて今が悪いとか


そういう話をしたいわけではない


それほど特別な事だったという事だ


子供の頃のそういう思いがあるからか


友人たちと飲みに行ったり


普通の店に入るときは感じないのだが


家族でファミレスに行くと


子供の頃を思い出し


特別な事のような気がしてしまう


さすがに今は自分の食べたいものを頼むが


家族で食事に行くという事は


あたり前でなく 特別で幸せな時間だと


感じる時がある


食事を終えコーヒーを片手に


窓の外を眺めながらそう思う


僕がよく通るそのファミレスも


そんな特別な時間を過ごしている人たちを


眺められるから好きなのだと思う


暖かな明かりの中で食事をする人々を


眺めることが出来るその店の窓に


僕は子供の頃の自分の姿を


見ているのかもしれない










  


Posted by ★ニヌファ at 19:15Comments(0)★日々の雑談
 

2012年04月10日

★永遠の花

























桜の咲くこの時期


思い出すのはニヌファとよく


散歩に出かけた家のそばの公園だ


桜がとても有名な公園で


お花見の時期にはかなりにぎやかになる


行くかどうか悩んだすえに


ニヌファと桜を見に出かけることにした


花見客で混んでいる中


開いていたベンチを見つけ


僕達はそこに腰かけた


空いていたわりにとてもいい場所で


坂になった場所に咲いている


桜の木々を見下ろせる場所だった


いつものようにニヌファはベンチの


僕の隣に寝転ぶと顔を僕の


太ももの上に乗せ一緒に桜を眺めた


ニヌファの首周りの毛が


風になびいて美しかった


ニヌファは目を細めフゥーッとため息をついた


これは僕も嫁も思っていた事なのだが


彼は時々とてもさみしそうな眼をすることがあった


それはニヌファが子供の頃


始めてブリーダーの家で


僕たちが会った時もそんな目をしていた


自分の命が短いことを知っていたからか


その理由は僕たちには知るすべもない


僕は小説をバッグから取り出すと


ベンチで読み始めた


僕たちが座ったベンチの後ろから


中学生の女の子たちの声が聞こえてきた


「何 あの犬かわいいね!」


「あの犬 なんて種類の犬なの?」


「大きいねー」「腿に顔のっけてるよ!」


彼女たちの声にニヌファが


ベンチの背もたれから顔を出すと


彼女たちの方を見た


カシャカシャと音がして


彼女たちが写メを取り始めた


ニヌファが片方の眉をあげて


困惑した表情を見せた


しばらくして彼女たちは去って行った


ベンチからニヌファが飛び降りると


地面をクンクン嗅ぎながら


僕の方をチラチラ見ていた


小説を読むのを止め


横目でニヌファを見ると


落ちた桜の花びらを食べていた


僕に怒られないように目を盗んで


こっそりと食べていた


「腹こわすぞ!」僕が笑いながらそう言うと


拾い食いをしたのに僕が怒っていないと


知ったニヌファが嬉しそうに尻尾を振った


散歩から帰りブラッシングをすると


ニヌファの体のあちこちから


桜の花びらが出てきた


「お持ち帰りって訳だ」


僕の声も聞こえないのかニヌファは


大きなあくびをすると寝てしまった


ニヌファの毛の中から出てきた


桜の花びらを手に取ると


僕はふーっと息を吹きかけ飛ばした


花びらがひらひらと舞い


寝ているニヌファの背中に落ちた


穏やかな春の日だった事を覚えている


ニヌファが亡くなった後


公園の同じベンチに腰掛け


あの日と同じように桜を見たことがある


もうあの瞬間は二度と帰らないのだと


心のどこかで感じていたことが


ハッキリとした現実として心に突き刺さり


僕はベンチで一人泣いた


同じ桜の木でも毎年咲く花は違うものだ


同じ花は二度と咲かない


その時見た花は二度と見ることはできない


それは僕とニヌファが見たあの桜も同じだ


僕たちが見たあの桜は


あの瞬間しか見ることはできない


だからこそ美しいのかもしれない


僕のこれまでの人生の中で


そしてこの先も


ニヌファと共に見た


あの桜ほど美しい桜に


出会うことはないだろう


その桜の花は僕の胸の中で


ニヌファと共に今も


枯れることなく咲き続けている








  


Posted by ★ニヌファ at 09:28Comments(0)★ニヌファ
 

2012年03月02日

★偶然のチャンス




















嫁は高校を卒業すると


某有名ホテルに就職した


それから当時僕の働いていた


スポーツクラブにフロントでしばらく働き


それからお台場の東京都の


運営する誰もがよく知る


施設で受付として働いた


有名な場所なのでとても忙しく


一人で何百人も対応したそうだ


その後某商社の企業受付をしたが


妊娠をきに仕事を辞め


2年ほど子育てにはげんだ


それから就職活動を行ったのだが


ご存知のように世の中は不況の真っただ中だ


子育てという2年間のブランクや


特にこれといった資格もなく


また嫁の37歳という年齢


何十社も受けたがほぼ門前払い


面接にこぎつけることができたのは


ほんの数社だけだった


その数社でも面接では


嫁の経歴は素晴らしいと言ってくれるものの


年齢を考えれば世間一般では


若い女性を受付に選ぶ会社がほとんどだ


「選んでくれれば 後悔させないんだけどな・・・」


嫁が悔しそうによく言っていた


仕事はまったく決まらず


嫁は失意で何度か泣くこともあった


毎日パソコンで見る求人も


無意味なことのように思えた


そんな中ある派遣会社の担当者が


嫁の事を気に入り


某商社の受付にプッシュしてくれたが


書類選考でその商社の担当者は


嫁を選ばず他の人間を受付に選んだ


嫁はとても落胆したのだが


自分の事をプッシュしてくれた


派遣会社の担当者にお礼のメールを送った


それから2~3日後に派遣会社の担当者から


嫁に電話があり例の商社の受付に


選ばれた人がキャンセルしたので


すぐに面接に来れないかという事だった


いそいで準備をすると


嫁は面接に出かけて行った


結果は 採用したいとの事だった


僕と嫁は手を取り合って喜んだ


何ヶ月も探し続けようやく決まった仕事だ


その商社で一人体制の受付の仕事が始まった


元々嫁は誰もが想像する


静かに会釈して対応する


受付像とはかなりかけ離れていた


受付でニコニコとしていて


やたら元気に受け答えする


受付の仕事以外の事も


気が付けばやるようにした


挨拶もあまりしてくれなかった人たちが


挨拶してくれるようになった


しばらくして商談に訪れる他の会社の人達から


「おたくの受付の方 すばらしいですね!」やら


「気持ちいい 非常に気持ちのいい対応だ」などと


言われるようになった


嫁は特に容姿がいいわけではないが


太陽のような明るさと


天性のコミュニケーション能力と


ホテルで身に着けた対応や言葉遣い


なによりタバコ屋の看板娘並みの取っつきやすさに


やたら褒めてくれる人間が多くなり


嫁の会社の社長や次期社長やらお偉いさんが


食事に誘ってくれるようになった


しまいには「うちの息子と


見合いしてくれないか」と


見合い話を持ち込む人まで出てきた


嫁が結婚している事を告げると


ガックリ肩を落として帰って行ったそうだ


先日嫁の会社に訪れたとある会社の方が


嫁の受付での対応に感動し


「うちの社員たちを勉強させるために


連れてきたいぐらいだ」と言ってくれたらしい


嫁を今の会社にプッシュしてくれた担当の方が


「私 すごく自慢なんですよ


だって私がニヌファ嫁さんをいいと思って


周りの反対を押し切って


担当の方に紹介したので


皆さんや他社の方が


ニヌファ嫁さんを褒めるたびに


ほら 私見る目があったでしょ


私が 見つけて推薦したのよってね!」


その言葉は本当にうれしかったと嫁が言っていた


自分を選んでくれた人の顔を


つぶしたくないと嫁は話していたからだ


そして彼女は自分の努力で


その恩に答える事が出来た


嫁の自慢話をしたいわけではない


あきらめずに努力し続け


そして認めてくれる人間が現れ


偶然にもチャンスをもらい


その少ないチャンスをものにして


周りから認められるようになった


その人間が自分の嫁であることが誇らしい


努力した事がすべて報われる訳ではないが


自分を認めてくれる人間と


出会うことが出来て


その人間が自分を信じてくれて


そして素晴らしい結果を出すことが出来た


それまでの経緯を見てきた僕には


それは偶然ではなく必然にさえ思えてくる


嫁がその会社で働くようになって


早いもので もう2年が経つ


今日もタバコ屋の看板娘は


受付でニコニコと笑顔で座り


来客を手ぐすね引いて待っている









  


Posted by ★ニヌファ at 14:25Comments(0)★日々の雑談
 

2012年02月11日

★無限の可能性


























先日 娘の保育園で発表会があった


娘の通う保育園はヨコミネ式と呼ばれる教育方針で


市内でも片手で数えるしか


それを行っている保育園はない


偶然入った保育園がたまたま


ヨコミネ式だったのだが


子供の可能性を伸ばそうという


まあ平たく言うとそんな感じなのだが(笑)


会場には朝早くからたくさんの親たちが


いい席を求めて並んでいた


僕たちは会場の真ん中の席を確保した


開会式は園長先生の挨拶で始まった


「昨日 園児たちの予行演習を見たんですが・・・」


園長先生が涙ぐんだ


「私は 閉会式は挨拶はしません


多分 泣いてしまって話ができないからです」


以外だった 園長先生の最初の印象は


無愛想なじーさんだったからだ


その発表会はすばらしいものだった


自分の娘が出ている場面はもちろん


彼女の成長と一生懸命さに感動したが


特に5歳児達の舞台は素晴らしかった


今年で保育園を卒園するその子達の


集大成とも言うべきその体操のレベルの高さに


会場が驚きの声に包まれた


大人用の跳び箱10段をみんなが飛び


何段まで飛べるかの挑戦では


14段まで飛べる子も何人かいた


彼らの身長よりもはるかに高い高さだ


14段に挑戦した子が跳び箱の上で


両足を広げ両手で自分の体を支えた状態で


前にも後ろにも動けずピタリと止まってしまった


その子は足を跳び箱に一度もつけることなく


両手だけで体を支えたまま跳び箱の上で


逆立ちをしてみせたのだ


会場は大声援に包まれた


5歳児のみんながブリッジから逆立ちをしたり


逆立ち歩きは当たり前


圧巻は10段ほどの跳び箱の上で


走ってきた一人がそのままジャンプして


飛び箱の端に頭をつけたまま


逆立ちして ピタリと止まった


するともう一人がまた走ってきてジャンプして


跳び箱の真ん中で同じく逆立ちをした


そして最後の一人が走ってきて


跳び箱の端に逆立ちをした


跳び箱の上で3人が逆立ちした状態で


ピタリと止まっているのだ


彼らは5歳児でここは体育系の学校でもない


ただの保育園で しかも彼らは強制でなく


自分たちの意思でそれを行っている


僕はよこみね式を特別PRする気はないが


娘を保育園に迎えに行った時


逆立ちの練習をしていて


「パパが迎えに来たからもうおしまいね」と


先生が声をかけたのに


「もう一回やります」と娘が答え


何度も何度も逆立ちの練習をしていた


4歳の彼女のその姿に


僕は胸がいっぱいになり


先生と一緒に「がんばれー!


もうちょいだぞー!」と声を上げた


帰り道娘が「パパ りみちゃんくやしい・・」と


出来なかった事をくやしがり


家で何度も練習していた


娘が保育園に入ったのは3歳になってからだ


他の子に比べかなりの差があると思う


それを彼女は落ち込みもせず


一生懸命取り戻そうとしている


僕達大人は子供に大事なことを


教えようとするくせに


僕達自身が大事なことを忘れてしまっている


それを僕たちは子供たちから逆に教わる


体操の前と後に「エイッ!」「ヤーッ!」と


大きな掛け声で両手を空に伸ばして叫ぶ


子供たちの一途さ 一生懸命さ


失敗しても「がんばれー!」と


我が子でなくても会場から声が飛ぶ


もう自分の子供かどうかなんて関係ない


そんな気持ちになってしまうのだ


今の時代はおかしなものだ


一生懸命に頑張る事をカッコ悪いと思う


そんなおかしな風潮がある


でもそれはまったく違う


この発表会で見せる子供たちの


真剣さ 頑張り 一生懸命さ


飛び箱を失敗した時に悔しがって泣く子や


失敗しても何度でも挑戦する姿


僕は娘や他の子の一生懸命さに


心を打たれ感動した


カーペンターズの「Sing」を


ドレミで歌う子供たちの


ピュアで美しい歌声に


僕は涙を止めることができなかった


園児たちのバレエ音楽の


「ボレロ」の演奏もまた素晴らしかった


自分の子供関係なく会場で


感動で泣いている親たちが多かった


僕は子供が好きな方ではなかった


でも娘の通う保育園の子たちは


まっすぐな子たちが多く


僕が娘を迎えに行っても


「りみちゃんのパパこれ見て


りみちゃんのパパこれ買ってもらったの・・」


あげく僕の手を握ったり抱きついてくる子が多く


とてもかわいい子供達だ


5歳児の演目も最後になり


一人一人が自分の得意な逆立ちや


片手だけでの前転などを行い


最後にマイクの前で自分の名前と


保育園で一番楽しかった思い出を話していた


「○○○です 保育園で一番楽しかったことは


キャンプで焼きそばを作った・・・」


話しながらその子が両手で顔を


覆って泣き出してしまった


恥ずかしながら発表会のラストあたりでは


僕も嫁もぼろ泣きだった


5歳児全員が先生たちと一緒に舞台に並んで


「お父さん お母さん 


おじーちゃん おばーちゃん


見に来てくれてありがとう」と言った


先生たちは号泣していた


最後に先生が閉会の挨拶をしたのだが


その女性の先生はマイクを握ったまま号泣しており 


しばらく話す事が出来なかった


会場の外に出た僕に園長先生が声をかけてきた


「ニヌファさん りみちゃんは初めての


発表会でしたがいかがでしたか?」


「感動しました もうぼろ泣きです」と答えると


「ニヌファさん 子供は天才です 


子供達の可能性は無限ですから」と


園長先生が笑顔で言った


この発表会を見るまでは


その言葉を聞いたとしても


教育方針の一つの言葉としか


僕はとらなかったと思う


だが 子供たちの素晴らしい


発表会を見た後 僕たちも確信した


彼らの可能性の素晴らしさを


園長先生の顔を見ながら


僕は深くうなずいた











  


Posted by ★ニヌファ at 21:02Comments(0)★日々の雑談
 

2012年02月08日

★エンジニアブーツ
































ここ最近エンジニアブーツがマイブームだ


20代の頃僕の好きな海外のロックアーティストが


エンジニアブーツを履いていて


同じ奴を買ったことがある


そのアーティストが着ていた


ライダースの革ジャンも買った


しばらくエンジニアは履いていたのだが


いつの間にか履かなくなってしまった


エンジニア熱に火が付いたのは


ビンテージの革ジャンを偶然


手に入れたのがきっかけだった


40年前の茶色の革ジャンだった


やられ具合や長い年月を経た


革の光沢がたまらなかった


当時の革ジャンは今よりも革が厚く


いい物が多かったらしいのだ


僕の悪いところなのだろうか


だからといって古い革ジャンの事を調べたり


うんちくを語る気もないのだ


ただかっこよかったから着ているだけだ


そこに始まりエンジニアブーツも欲しくなった


履き古した感のあるブーツが欲しくて


黒と茶色のブーツを手に入れた


新しいブーツなのだが


履き古していい味を出そうと思っている


エンジニアブーツには


有名な○○○ウィングや○ェスコなど


やたらと高価なものが多い


○ェスコなどは10万円もする


もしも僕がそのブーツを購入したら


確実に嫁に殺されるだろう


だいたいエンジニアブーツは


元々は労働者が履いていたものだ


10万円も出して労働者が買うかボケー!と


パソコンの画面に怒鳴ってしまった


高いには色々な理由がある


完全なるメイドインUSAだったり


職人さんがうんぬんだったり


物によっては広告にお金がかかっていたりとか


アメリカだと399ドルだというから


日本の関税は高くつくものだ


まあ399ドルでも労働者は買わないと思うが


僕は盲目的に有名なブランドを信じない


ハワイに行った時道路工事をしている


おじさんの履いていたブーツがかっこよくて


売っている店を聞きだし購入した


セールで30ドルほどで購入した


もう10年以上履いているが


タフな作りでソールの減りも少ない


長く履いているので自分の足にフィットして


履き心地もかなりいい


つま先に鉄が入っているので


重さはかなりあるが・・・


高価なブーツがつねにいいわけではない


有名な○○○ウィングのブーツも履いたことがあるが


特に履き心地がずば抜けていたわけでもない


やたらみんな口をそろえていいと言うが


○○○ウィングというブランドだから


そう思うのではないかとすら思える


他にもいいブーツはたくさんあると思う


ようは履きやすく自分の足に合っていて


長持ちしていて気に入っていれば


それこそがいいブーツなのだと思う


それが○○○ウィングでも


無名のブーツでも同じだ


革ジャンも同じだ


高かったり古かったりすればいいのではなく


好きなデザイン 好きな色合い 好きな革の状態


そして着やすければそれが


僕にとってのいい皮ジャンだ


理屈やブランドで履いたり着たりするものではない


自分の目で選ぶことが僕は好きだ


なぜならほかの誰でもなく


僕自身が履いたり着たりするものだからだ


ただ雑誌に載っていた有名なブーツで


高価だからきっといいブーツだと思い


安易に買うのは好きではない


むしろ誰も知らないメーカーの方が好きだ


選ぶ楽しみ探す楽しみそして見つけた時


出会えた時の喜びは格別だ


そのブーツはだれも履いていなければなお嬉しい


古いヴィンテージのブーツは


風合いやら やられ具合


革の質感が僕は好きだ


ブランド名だけでなく


また ヴィンテージというだけで


変に値段が高いブーツでなく


自分の気に入ったいいブーツを


出来れば安く手に入れたいものだ(笑)


追伸


また40年ほど前の革ジャンを格安で手に入れた


嫁がこの記事を読まないことを祈る・・・
 






  


Posted by ★ニヌファ at 10:21Comments(0)★日々の雑談
 

2012年01月21日

★遠い日の逗子























学生の頃 造園のバイトをしていたことがある


切られた木の枝や葉っぱの掃除


たい肥や土をはこんだり


穴を掘ったり植木を運んだりした


その仕事場にIさんという男性がいた


Iさんはこの道ウン十年の職人で


年の頃は70歳くらいだったろうか


昔 農家をやっていたらしい


なぜこの仕事を始めたのかと尋ねると


「俺はこれしか能がねーからよ」と答えた


Iさんと逗子の閑静な住宅街に


仕事で行った時のことだ


Iさんは僕の事を下の名前で


ここではニヌさんと書かせてもらうが


そんな風に呼んでいた


現場は古いが落ち着きのある住宅だった


出迎えてくれたその家の住人は


70~80歳くらいの女性で


きっちりとした身なりをしていた


挨拶をすませ僕たちは仕事を始めた


「よおっ!ニヌさん 


この土を向こうまで運んでくれよ」やら


「ニヌさん ここにこんくらいの間隔で


穴を掘ってってくれよ」という


Iさんの指示にしたがい


僕はせっせと働いた


10時になり「ニヌさん 一服すんべ」と


Iさんが横浜っ子なまりの声をかけた


「お茶が入りましたんで・・」と


その家の住人の女性が


お茶の入った急須と茶碗が2つ 


和菓子の入ったお菓子入れと


セブンスターと100円ライターを


縁側に置き正座してニコニコと


微笑みかけていた


「こりゃ どうも 奥さんすみません」と


Iさんが答え「私はタバコをのみませんが


若いもんがタバコをのみますんで 


遠慮なく いただきます


よおっ ニヌさんゴチになんなよ」と


僕に声をかけた


「すいません いただきます」


ぺこりと頭を下げると


軍手をとりズボンについた土を払うと


僕はお茶とお菓子をいただいた


煙を気にして2人から少し離れた場所で


お茶を飲みながらタバコを吸った


5月の爽やかな風が庭の木々の葉をゆらし


タバコの煙を空に運んでいった


遠くで鳥の鳴き声が聞こえる


「この頃は逗子のこのあたりも


ずいぶん変わりましたな」


「ええ 本当に 昔はこの辺は畑が多くて・・・」


Iさんと女性のゆったりとした会話を聞きながら


僕はかぶっていた帽子を取ると


5月の心地よい日の光を浴びた


まるでこの場所の時間が


止まってしまったかのような


そんな錯覚におちいった


15分の休憩のはずが30分になった


僕は3本ほどタバコをすった


お昼はその女性がかつ丼をとってくれて


お茶とたばこを出してくれた


僕は帽子を顔に乗せ


庭で寝転んで昼寝をしていたが


Iさんは女性と話がはずんでいた


3時にもお茶とお菓子とたばこが出た


夕方 仕事を終え女性に挨拶をすると


「普段は一人でおりますので


話し相手もいないんですが


今日はとても楽しゅうございました


長話をして仕事の邪魔を


しませんでしたでしょうか? 


庭も綺麗にしていただいて 


ありがとうございます」と


頭を下げながら言った


「とんでもない 奥さん 


こちらこそ色々お気遣いいただきまして


ありがとうございました」と


Iさんが照れた様子で頭を下げた


僕はくわえタバコで


軽トラックの荷台に道具を乗せながら


その様子を眺めていた


「あの人すごいですね 一服の時


お菓子が出る家はあったけど


タバコまで出してくれて


お昼まで出してくれて凄いっスね」と


帰りの車の中で言うと


「ニヌさん 昔はよ 


ああいう事は当たり前だったんだよ


でもよ この頃じゃそんな家は


なくなっちまったけどな


あんなしゃんとした人に


会うのも珍しいよな・・・」


「でもIさんと話してた時 


あの人楽しそうでしたね」


「な~に 年寄り同士 昔話に


花が咲いたんだよ ただそれだけの事よ」


軽トラックのハンドルを握る


日に焼けたIさんの顔が


少し嬉しそうに見えた


僕は帰りがけにいただいたセブンスターを


作業着の胸ポケットから出すと


Iさんに声をかけ車の窓を開けると


タバコを一本すった


なんだかいつもより うまい気がする


あたりは暗くなり始めていた


家路へと向かう車の列が


ポツポツと暗くなった道路を


オレンジ色に灯していった









  


Posted by ★ニヌファ at 09:47Comments(0)★日々の雑談
 

2012年01月05日

★ One Step

































僕は自分の人生を平凡で


どこにでもある人生だと思っている


スリリングな生き方や


エキサイティングな仕事もしたことがない


ごく平凡に生きてきたと思っている


誰かに誇れることをしたり


自慢できるようなこともない


小さな生活の中で悩みながらも


ヨロヨロと生きてきた 


家族は僕に自分を意味のある存在だと


思わせてくれるものの一つだ


嫁とも平凡ながら色々な事を乗り越えてきた


「人はそれぞれに歩幅が違うものだ


共に歩いていたつもりが


気づくと遅れてしまったり


相手が先に行ってしまう事がある


そんな時は声を掛け合って


互いに歩み寄り また共に歩き始める 


そんな風に生きていきたいと思う」


恥ずかしながらこれは僕たちの結婚式で


招待客の前で僕がスピーチした内容だ


少し遅れてしまったつもりが


相手が見えなくなり見失ってしまうこともある


互いによく相手が見えるように


手をつないで離さないことだ


互いを見失うことはたやすいからだ


人はそれぞれの歩幅で生きていると思う


他人の一歩がとても大きく華やかな一歩で


自分の一歩が小さく質素な一歩でも


比べながら生きることはしたくない


なぜなら僕は僕以上でも以下でもないからだ


嫉妬や焦りでやみくもに大きな一歩を出せば


転んで思わぬ怪我をしてしまうものだ


失敗することが怖いのではない


それによって自分自身を見失ってしまう


その事の方がはるかに怖い


僕と嫁は夫婦であり 恋人であり 


日々の生活の中で多くを乗り越えてきた戦友だ


もっとも僕の方が嫁に肩を


貸してもらっている事の方が多い気がするが


二人で小さくとも僕達自身の一歩を


僕たちの歩幅で踏み出しながら


互いの手を握りしめ


歩いていきたいと僕は思っている


たとえその一歩が取るに足らないほど


小さな一歩だとしても


離れず見失わず共に歩き続ける事


それが大事なことだと思う


一歩ずつ 一歩ずつ


幸せな未来を信じて











  


Posted by ★ニヌファ at 10:25Comments(0)★日々の雑談
 

2011年12月28日

★帰る場所
































以前 「人と人」という記事を書いたことがある


僕が働いている介護施設のFさんという男性の記事だ


Fさんは若いころお酒と暴力で


家族に迷惑をかけたらしい


また癌の末期でもあるという内容の記事だ


あれからFさんの状態は悪くなり


物を握れないほど弱ってきた


「まったく だらしねーなー


この始末だよ」とよく僕にこぼした


病院に入院することになったFさんが


自分の部屋を出ていく時


「もう もどってこれねーな」と言って


出かけるときにいつもかける


サングラスをかけ施設を出ていった


それから1週間ほどだFさんが亡くなったのは


Fさんの奥さんと家族が


Fさんの部屋を片付けに来た


ゴミとして捨ててくれと頼まれた荷物の中に


Fさんが大事に持っていた写真が入っていた


若いころの写真やまだ太っていたFさんと


奥さんが一緒に写っている写真などだった


「Fさんが大事に持ってた写真だよ・・・  


Fさん家族にそんなにひどい事したのかな?」


僕はその写真を手にスタッフに言った


Fさんが家族にどれほど迷惑をかけたのか


僕には わからない


僕にはこの施設でのFさんと僕の関係でしか


Fさんのことは語れないが


寂しがり屋だったFさんが


この施設から出ていった時


僕たちスタッフはもう長くないかもと思った


自分の家に居場所がなくなったFさんの


最後の居場所はここだけだったからだ


むろん病気もあったのだが


少なくともここを出ていく直前は


車椅子で普通に僕たちと話をしていた


病院に入院してすぐに


酸素マスクと点滴で絶対安静となった


自分の部屋を出ていったときの


もう戻れないかもと言ったFさんの言葉は


自分の居場所をなくしてしまったFさんの


最後の言葉のように僕には感じられた


クリスマスの日僕は家族と食事をしていた


「あれ?今変な音しなかった?」と言って


リビングのドアを開けると


「今 玄関のドアから赤い服着た人と


犬のしっぽが見えたぞ」と4歳の娘に言った


「パパ 怖い」と娘が泣きそうになったので


「今 パパが見てくるから待ってな!」


そういって別の部屋に隠していたプレゼントを


クリスマスツリーの前に並べると


サンタクロースからの手紙をプレゼントの上に置いた


その手紙には「りみちゃん 


とてもおりこうさんだったので


プレゼントをおいていきます


すごくおもかったのでニヌファおにいちゃんに


てつだってもらいました


たいせつにつかってね!」と書いた


亡くなった愛犬のニヌファを手紙に登場させたのは


娘にとってニヌファは兄のようなものだからだ


「うわーサンタクロースだ パパがさっき見たのは


サンタクロースとニヌファおにいちゃんだよ!」


娘が興奮と喜びで目を輝かせながら言った


しばらくして保育園で字を習っている娘が


「おにいちゃんに手紙を書いたよ」と言って


手紙を僕に見せてくれた


「おにいちゃんへ ちからもちだね


りみちゃんはよろこんでいます


またぷれぜんともってきてね」と


習いたてのおかしな字で書いてあった


「テーブルに置いておけば


お兄ちゃんが取りに来るかもよ」と言うと


娘が手紙をテーブルに置いて出ていった


僕はその手紙をニヌファの首輪やリードが


入っている箱の中にそっとしまった


僕には 今家族がいる


一人暮らしの頃とくらべ


家族の待つ家に帰るのはとても嬉しいものだ


人は 自分が思う以上に


自分の居場所が必要だ


自分を待っている人がいる場所が


自分が帰りたいと願う場所が




この1年僕のブログを読んでくれた方々


またコメントをくださった方々


本当にありがとうございます


来年がみなさんにとって


良い年でありますように


心から願っています


また来年お会いしましょう






  


Posted by ★ニヌファ at 09:24Comments(2)★日々の雑談
 

2011年12月03日

★あの時・・・


















あの時付き合っていれば・・・ 

あの時別れなければ・・・

あの時結婚していれば・・・

人には色々なあの時がある

以前 飲み会で恋愛の話で盛り上がった

25歳の女性が 昔付き合っていた彼と

大ゲンカをしてしまい

相手が謝ってくるのを待っていたのだが

意地の張り合いで相手も謝らず

結局 別れてしまったという話をした

「今も彼の事が忘れられないの

なんであの時別れちゃったんだろうって・・・」

すると35歳の女性も

「私も昔付き合っていた彼で

今だに忘れられない人がいるの・・」と言った

僕は少し驚いた

飲み会で二人も同じような事を言う人がいたからだ

あの時・・と後悔することは色々あるだろう

運のいいことに恋愛でのあの時は僕にはない

元々過ぎてしまったことは

くよくよしないようにしているし

あの時・・と思う女性もいない

別れた時は辛くても時間がたてば

それで良かったのだと思うからだ

25歳の女性は若さゆえなのか

自分のプライドがその時は

恋愛より勝ったのかもしれない

35歳の女性の別れた原因は聞いていないので

よく分からないのだが

それほど忘れられない人なら

どうして別れたんだろう?

と僕は思ってしまった

僕が 単純だからだろうか?

その時は気づかなかったが 後で

その人の素晴らしさが分かったのだろうか

「色々あるんだよ」と友人が言った

その色々は相手を好きだという気持ちさえをも

上回るものだったのだろうか?

物事は色々な理由が絡まり

複雑になってしまう時がある

絡まりすぎて動けなくなってしまう事が

そういう時 僕は最初の

気持ちに戻るようにしている

それこそが始まりの理由 

始まりの気持ちだからだ

恋愛論や誰かの過ちをどうこう言う気はないのだ

彼女達には僕の知らない

理由があったのかもしれない

忘れられないほど好きな相手と別れてしまい

その後 何年も思い続ける

何故なのだろうと思ってしまった

それは本当に好きな誰かが

現れたと時終わるのか それとも

ずっと思い続けるのだろうか

以前 付き合っていた人達が

今どうしているのかとふと思うことがある

自分が相手の事を考えているとき

あいても僕の事をふと

思い出しているのかもと思う

なんだかおかしな事を言っているだろうか?

笑われそうだが そう思うことがある

みんなの話が途切れ

少しけだるい時間が流れた

先ほどまでの盛り上がりも

ビールの泡にはじけて消えた

25歳の女性が店の窓にうつる

夜景をじっと見つめていた

それはまるで取り戻せない過去を

夜の闇の中に探し続けている

そんな姿に僕には見えた








  


Posted by ★ニヌファ at 19:22Comments(2)★日々の雑談
 

2011年11月21日

★Why Don’t You Go To Atami





























「熱海に行かない? 熱海いいと思うんだよね」


嫁が企んだような悪い顔で話しかけてきた


「和民?居酒屋の?」僕はドミノピザを


食べる手を止め聞き返した


「耳にサラミつまってるんじゃない?


熱海よ熱海!東洋のモナコよ!」


「ふるっ!死語じゃねーか!


それに熱海ってなんて言うか


すたれてるイメージしかないな・・・」


「そんなことないよ 行きましょうよ


熱海へ 東洋のモナコへ」


「東洋のモナコって言いたいだけじゃないの・・・」


嫁の熱海という地名以上に熱い想いに負け


僕は熱海に行くことになってしまった


それから嫁は色々熱海の情報やホテルを調べ


楽しそうに僕に話していたが


正直 旅行の前日まで僕はそんなに楽しみではなかった


「あれっ? 明日は月曜日だっけ?」


ぐらいにしか思っていなかったのだ


しかし人間とは不思議なものだ


「楽しみでしょ 楽しみでしょ」と言われ続けると


催眠術にかけられたかのように


なんだか楽しみなような気がしてきた


嫁の熱意とは裏腹に当日は雨だった


しかも夜につれて激しくなるとのこと


かなり出足でつまづいてしまった


イヤ 足がもつれて転んでしまった


ジトジトうっとおしい雨の中熱海に到着


着いたのがお昼だったので昼食をとるために


嫁がネットの口コミで調べた


お刺身のおいしいと人気の店に入った


お刺身の味は・・いたって普通だった


サバのみりん干しはとても美味しかったのだが


もともと完成した物を焼いただけなので


この店でなくともおいしかったと思われる


しかもお土産に買ったサバのみりん干しは


ノルウェー産と書いてあり


熱海とはまったく関係なかった


まあネットの口コミなんてそんなものだ


味なんて人それぞれだ


行列ができているから必ずおいしいって訳じゃない


「でも サバのみりん干しはおいしかったよね」


嫁が口答えしたらただじゃおかねーぞコノヤロー的な


威圧的な同意を求める視線で聞いてきた


「あっハイ おいしかったです」


嫁なのにうっかり敬語で答えてしまった


チンピラの理論だ


その後駅前の商店街を見物した


4歳の娘にせがまれ立ちくらみするほど


時代遅れのプラスティック丸出しの


ゴルフセットを買わされた


途中娘が疲れたからホテルに行きたいと


ぐずり始めたのだがチェックインまで


まだ1時間半もあったので


またまた嫁のネットでチェックした


商店街のパン屋さんに入り


イートインもあるので


チェックインまで休憩することにした


僕は明太フランスを食べたのだが


それはそれでおいしかった


嫁もうまいうまいとほおばりながら


リュックから熱海に関してネットで調べ


プリントアウトした膨大な資料を広げ


「ふむふむ なるほどね 


あーそうきたか」と一人頷いていた


お前は経済アナリストか!と


心のなかで突っ込みながら


僕はコーヒーを飲み時間をつぶした


ようやくチェックインの時間になり


ホテルの部屋に到着


さっそく屋上の展望風呂に行くと


ラッキーなことに一番風呂で誰もいなかった


雨の降る熱海の町と海の景色をながめながら


一人でのんびり風呂を楽しんだ


それから部屋でゆったり過ごしたが


部屋の窓を開けると雨の勢いが増していた


出来たばかりの貸切のお風呂に


アンケートに答えてくれれば入れると


フロントの男性が声をかけてくれた


まだ誰も入ったことのない新しいお風呂に


家族3人で入浴した


大きな窓を開けると夜の熱海の坂に建つ


ホテルやマンションなどの夜景と


海沿いを走る車が見えた


「あーいいわねーゆったりするよねー


そうでしょパパ」と嫁がまた


堅気とは思えないチンピラ目線で


僕に声をかけてきた


くつろいだお風呂に走る緊張感


緊張と緩和の繰り返しに


お風呂でなにかしら漏らしそうになった


精神的なダメージが泌尿器に影響を与えているに違いない


「まあ なんだウン ゆったりするよね」と


草食系男子のような曖昧さで逃げきった


夜は雨が激しくなったため


我が家の経済アナリストの提言で


近くにある有名な中華屋に行くことになった


餃子が有名な店で小奇麗な店内だった


さて話題の餃子の味は・・・


「これ うまいか?・・・」僕の問いかけに


嫁も「いうほどじゃないよね・・・


ありかなしかで言うとなしよね・・」


苦虫をかみつぶしたような顔で嫁が言った


店を出ると雨風が強くなっていた


「また来るかって言ったら・・もう来ないわね」


激しい雨の中 山岳救助隊のような厳しい表情で


嫁が捨て台詞を残して去っていった


ホテルに戻ると「リベンジよリベンジ!」と


嫁が怒鳴りながら屋上の露天風呂に行った


リベンジって本来復讐って意味なはず


何にやられて何を討つのか分からないが


さわらぬ神とチンピラにたたりなしだ


こっちもだてに旦那を何年もやっていないのだ 


翌日は昨夜の雨が嘘のように晴天だった


3人で熱海の街中をぶらぶらしたのだが


30~40年くらい前の古い建物やビル


団地や時代遅れの喫茶店や昭和レトロな物と


僕と嫁が興味を引くものが多かった


また熱海のすたれた感というかやられた感がある


ノスタルジックな感じも気に入った


昔は賑わってたんだろうなみたいな雰囲気や


「スナック喫茶くろんぼ」と言う名の


放送禁止というかクレーム確実の名前の店や


「エコノミー」としか書かれていない


ホテルなのか何なのかわからない建物と


僕たちのツボにはまる物が多かった


11時頃に娘がなんだか眠いと言ったので


熱海の海岸のそばのジョナサンに入り


ソファーで娘を寝かせ


僕たちはドリンクバーだけを頼み


熱海の海岸をボーッと眺めていた


海岸に打ち寄せる波や


テトラポットに打ち寄せては砕けて


海岸沿いの道路近くまでしぶきが飛び散る波


海岸を親子や恋人 リタイヤしたように見える熟年夫婦


犬を連れて散歩する人々など


2時間ほど眺めて過ごした


娘は目を覚ましたが熱があり


風邪を引いてしまったようなので


しかたなく熱海をあとにして横浜へと帰った


そのあとは病院へ行ったりと忙しかったが


あの熱海の街並みや海岸での時間は楽しかった


普通に観光をしたい方にはオススメしないが


僕たちのようにノスタルジックなものが


楽しめる方にはオススメだ


僕はまたあの熱海の街を散策したいと思っている


我が家の経済アナリストの指導のもとに


ところであなたの週末の予定は?








  


Posted by ★ニヌファ at 21:34Comments(0)★日々の雑談
 

2011年11月09日

★フリーマーケット

























「よかったら袖をとおしてみてください」


ハットにサングラスをかけネイビーのジャケットに


グレーのパーカーを着た男性が笑顔で声をかけてきた


休日に僕はフリーマーケットに出かけていた


かなり大きなフリーマーケットで十分見ごたえがあった


出店している人によってさまざまだが


おしゃれな人が出しているブースには


おしゃれなものが多かったが


値段が高くなんだか手に取りづかった


子供のオモチャなどを出しているブースは


安くてついつい何個も買ってしまいそうになる


僕が目を止めたブースはおしゃれな


お兄さんの出店しているブースだった


シャツやズボンが並べてある中で


茶色の革ジャンに目が止まってしまった


かなり着こなした感のあるユーズド具合で魅力的だった


「見せてもらっていいですか?」


そう僕が尋ねると本に目をやっていた顔をあげ


「どうぞ よかったら


袖を通してみてください」と笑顔で言った


僕は体を鍛えていたことがあるので


胸や腕 肩幅が普通の人よりある


胸や肩幅に合わせて服を選ぶと


バカみたいに袖や丈が長くなってしまう


デザインが好きでもあまり着れるサイズがないのだ


袖を通してみるとぴったりだった


嫁が「パパ いいじゃん


なかなかサイズが合う物ないもんね」と言った


かなりカッコいいが 問題は値段だ


なんか高そうな感じがする


皮ジャンは古着屋でもピンきりだが


僕が着ていた皮ジャンのデザインで


無名のブランドでも10000円くらいだろう


「70年代の革ジャンなんでいい皮を使っているんですよ」


とそのお兄さんは言った


70年代のいい皮を使っている皮ジャンって


いったいいくらになるんだ?


確かに着てみるといい皮と


言われた意味が分かるさわり心地だ


恐る恐る値段を聞いてみた


「5000円でいいですよ」と答えてくれた


「えっ!5000円でいいんですか?」と僕が答える前に


「もっと 安くなりませんかね?」と


嫁さんが間髪を入れず 満面の笑顔と


女性特有の図々しさでたずねた


「う~ん・・・4000円でどうでしょうか?」


お兄さんが答えた


さらに嫁が「もう一声!」と言った


「わかりました 負けました3000円でいいです」と


お兄さんが苦笑いで答えた


僕は呆然としていた 


5000円でもかなり安かったからだ


「なんか すいません・・・」と僕が言うと


「いえいえ すごく似合っていたんで


本当に似合っている人に着てもらいたかったから


いいんですよ」と笑顔で答えてくれた


そして僕に皮ジャンを渡すと


「フリーマーケット 楽しんでってください」と言った


皮ジャンを安く買えたことはうれしいことだが


本当に気に入ったものを良い人から買えたこと


それが一番うれしいことだ


僕は物や服におかしなこだわりはないのだが


古着やアンティークなもので


自分が気に入って購入したものは


買った場所や人 巡り会えた事


そして僕に出会うまで壊れずにいてくれたこと


そういう事を思うとなおさら大事に思う


愛着がわくと言った方がいいだろうか


その辺のショップで購入した物は


悪く言えば ただ買っただけだが


そういう風に出会えて購入した物は


それを使っていた人や着ていた人の


歴史というか 過ごしてきた年月


そういうものを感じるから温かみというか


ただの服や物ではなくなっているような


そんな気がするのだ


それを購入したときのシチュエーションや


売ってくれた人が良い人だった場合


その人の気持ちもひっくるめて購入したのだと思う


ただのラッキーだけでは済ましたくないのだ


その後フリーマーケットでは嫁さんや


娘の物を色々と購入して楽しんだ


家に持ち帰った皮ジャンを手入れしながら


ふと僕が購入した皮ジャンをネットで検索してみた


確かに70年代の皮ジャンだった


そして同じタイプの革ジャンが


チャックも壊れ裏地も破れた状態で


20000円で販売していた


やっぱりフリーマーケットは最高だ


ピース!(笑)







  


Posted by ★ニヌファ at 22:28Comments(0)★日々の雑談
 

2011年10月06日

★ドーナツ24H





















この頃は多くのドーナツ屋がある


チェーン店やそうでない店も


僕はダンキンドーナツが好きだ


ハワイでダンキンに寄った時はうれしかった


懐かしい味と記憶がよみがえった


ダンキンのサーモス(魔法瓶)や


ファイヤーキングのダンキンマグ


帽子ももっているほどだ


ダンキンドーナツの味が


特にベストな味だと思っている訳ではない


あのドーナツなのかパンなのかわからない


いい加減さが好きなのだ


その辺がアメリカンな感じがするし


実はダンキンには思い出がある


僕が沖縄にいた頃はダンキンドーナツは


沖縄のTVでもCMをやっていたが全編英語だった 


アメリカのCMをそのまま流していたのだ


そこが沖縄のいい加減というか


あまり気にしないところだったのだが(笑)


メーカーは覚えていないが


ビールのCMも全編英語の奴もあった


今では沖縄は基地の中にしかないが


僕が沖縄にいた頃 


那覇のダイエーの斜め向かいの


駐車場の出口のそばに小さなダンキンがあった


中はテーブルが2~3個にカウンターだけ


その店は24時間やっていた


そこに友人が深夜のアルバイトをしていた


僕が住んでいた場所はそこから


歩いて5分ほどのアパートだった


友人1人だけでやっていたので


よくコーヒーやドーナツをただで食べながら


友人と話をしたりボーっとして過ごした


タクシーの運転手もよく来た


新聞を広げコーヒーを飲みながら


深夜の休憩をしていた


「にーさん あんたよく見るけど何の仕事してるわけ?」


と聞かれたこともある(笑)


深夜立ち寄ったカップルが喧嘩をはじめ


別れる別れないと口論になった


どうでもいい話なのだが


深夜で暇なので僕は彼らと話をした


熱くなった本人達より


冷静な第三者的な意見が良かったのか


恋人たちは仲直りし 


お礼をいって去って行った


奥の席で新聞を読んでいたタクシーの運転手が


店を出ていく際に友人に


「あのおにーさんにコーヒーを飲ませてやって」といって


僕の分のコーヒー代を払って去って行った


僕はただでいくらでも飲み食いできるのだが


その運転手さんの気持ちが嬉しかったし


深夜に他人の別れ話に真剣に答えていた


その状況がおかしくて友人と笑ってしまった


「ツェッペリンでも聞こうぜ!」僕が言うと


友人が勝手に持ち込んだラジカセのスイッチを入れた


誰もいない店内にツェッペリンの


「When the Levee Breaks」が鳴り響いた


その後そのカップルの女性が2~3度


深夜に僕に会うために寄ってくれた


時間も僕がいるのかもわからないのに


店に顔を出してくれたらしい


友人の電話で僕が店に行くと


彼女はお礼とその後彼と


順調にいっていることを告げた


彼女が帰ると言うので迷惑でなければ


僕が家まで送っていくと声をかけた


なぜなら深夜2時ごろだったからだ


彼女の家は歩いて15分ほどの場所だった


川沿いの道を一緒に歩きながら


彼との出会いなどを話してくれた


彼女の家の前で手を振って別れると


友人の待つ店に戻った


カウンターの向こうにいる友人に


「ドーナツ好きなんですねって言われちゃったよ


そりゃーそうだよね 深夜に一人で


ドーナツ屋にいるんだからさ」


僕が店に来てもコーヒーは何杯も飲むが


ドーナツは1個ぐらいしか食べない事を


知っている友人は大笑いした


あの深夜に明かりの灯った小さな店を


今もとても懐かしく思う 


コーヒーとドーナツの香りと


まばらな店内に たまに来る変わった客


それは真っ暗な夜の闇の中から


暖かな明かりに魅せられて集まってくるようだった


残念ながら その店はもうないが


あの時 深夜の暇つぶしにいただけなのだが


妙に記憶に残っている


あのカップルは結婚したんだろうな


あのタクシーのおじさんはまだ運転手やってるかな?


でも かなり時間がたってるから・・・


いやいや まだタクシーに乗ってるに違いない


きっと 那覇の夜を今も流していることだろう


そう 僕は思うことにした(笑)







  


Posted by ★ニヌファ at 18:50Comments(0)★ 沖縄
 

2011年09月01日

★血よりも強く























Mさんは明治2年8月25日に横浜に

8人兄弟の末っ子として生まれた

港近くの貿易商に30歳まで働いた

昭和63年に旦那さんが亡くなった後

一人暮らしでデイサービスや

訪問介護を利用していたが

怪我をして入院してから体力の低下もあり

娘さんが心配して施設に入所した

心臓も悪く酸素ボンベと

鼻につけるカニューラをしている

芝居や歌舞伎 映画が好きで

明るく さばさばした性格だ

他の入所者と話をしていても

「そんなこと今さら言って

クヨクヨしてもしょうがないじゃない

暗い話をするのはあたしは嫌いよ」と

本当にさばさばした人だ

高校野球が好きで「若い人が一生懸命

スポーツしてるの見るのは好きよ

だってすがすがしいじゃない」と

笑顔で僕に話してくれた

歌が好きでボランティアの方が歌う唄に

手拍子や「よいしょ!」と合いの手を入れて

本当に楽しそうだった

入浴の誘いに僕が行くと

「今日は疲れていきたくないのよ

あんた うまく言ってやっといてよ」

そう言っていたずらっ子みたいに笑った

「もうしょーがないなー Mさん今回だけだぞ」

僕はそういったがその後何度かやられた(笑)

彼女はガンの末期だった

Mさんは少しずつ具合が悪くなり

ベッドから起きられなくなった

老人ホームにいると感じるのだが

彼らの時間は早く流れる

もちろん年齢も年齢だし当たり前なのだが

少し具合が悪くなるとみるみる落ちていく

Mさんは食事の量もだんだん減っていった

Mさんの食事介助の時は

色々くだらない話や冗談を言って

2人でよく笑いあった

Mさんの居室から帰るとき

いつも「またサボりにくるからさ」と

最後にそういって部屋を出るのが

僕は恒例になっていた

食事もスプーン1杯しか食べられなくなったMさんが

「あたし達って幸せだと思わない?」

そう僕に言ってきた

水分を運ぶ手を止め「なんで?」と僕が答えると

「だって 食べたいものたべられてさ」

Mさんが僕を見つめながら言った

ほんの少ししか食事がとれなくなった

Mさんのその言葉に

僕はなんだか切なくなってしまった

Mさんはさらに状態が悪くなり

肺も片方がダメになった

鼻に差し込むカニューラでなく

鼻と口を覆う酸素マスクを使用し

酸素の量も増やされた

食事はまったく取れなくなり

ゼリーだけしか摂取できなくなり

声も出すことができなくなった

食事介助でゼリーをMさんに飲ませていた時

いつものように僕はくだらない話と

バカバカしい冗談を言っていた

いつもと違うのは僕だけが喋っていることだ

それでもMさんは目だけで答えてくれた

目を大きくしたり細くしたりして笑ってくれた

介助を終えてMさんの居室を出る時

僕はいつものように「またサボりにくるからさ」と

ドアの所でMさんに声をかけると

声の出なくなったMさんが

酸素マスクに覆われた口で

「ま・っ・て・る・よ・・」と

声のない言葉で僕を見ながら言ってくれた

それから3日後Mさんは目さえも開けなくなった

脱水による高熱で苦しそうに肩で呼吸していた

家族は看取りを希望していたので

病院に入院することはなかった

Mさんの娘さんは毎日仕事帰りに来ていたが

具合がさらに悪くなってからは毎晩泊まっていた

Mさんと娘さんは本当に仲が良くて

具合が良かった頃はいろいろ食べ物を持ってきてくれて

僕たちにもよくおすそ分けをしてくれた

前にMさんの一人娘が

実は本当の子供ではないと聞いたことがあった

Mさんの旦那さんが再婚で連れてきた子供だったらしい

そのことをMさんはこう言っていた

「あたしが子供産んじゃったら 

あの子と自分の子を比べちゃうでしょ

そんなことしたら可哀そうじゃない

だから子供は産まなかったの」と

Mさんらしいやと僕は思った

そのことを娘さんも知っていた

娘さんはその思いを知っていたから

Mさんの事をとても大切に思っていた

娘さんとMさんを見ていると

血のつながりだけが家族ではないと思い知らされる

高熱が続いていたMさんが亡くなったのは

それからしばらくしてからだ

朝7時に連絡があり僕はすぐに施設に行った

Mさんの体をスタッフ何人かとふき

ナースが処置を終えると

娘さんも一緒に着物を着せた

みんなで生前のMさんの事で

冗談を言ったりして泣き笑いだった

Mさんは本当はもっと早くに亡くなっていたと思う

娘さんが一生懸命看病していたので

それを気遣って頑張ってくれたのだ

Mさんが亡くなった日は

くしくもMさんの誕生日だった

まるで「もうけっこう頑張ったからいいでしょ

あんたも元気にやっていきなさいよ!」

そうMさんが娘さんにいっているようだった

施設で働くと人は気持ちでも

死ぬことがわかるようになる

色々な病状もあるが最後のギリギリの所で

僕たちはそれを感じそれを見る

科学的な根拠などないが本当にそう思うのだ

Mさんが亡くなった夜

仲の良い女性スタッフからメールが来た

「寂しいね・・」とメールに書いてあった

Mさんが僕に「まってるよ」と最後に言ってくれたこと

その後居室を出て廊下で泣いたことをメールで送った

スタッフも家族もいろいろな夜を過ごしているのだ

しばらくして彼女からメールの返信があった

「また 泣けてきた・・・」と









  


Posted by ★ニヌファ at 21:39Comments(0)★日々の雑談
 

2011年08月25日

★ニヌファへの手紙































7月18日はニヌファの5歳の誕生日だった


ニヌファの好きなお肉にロウソクを立てて


みんなで誕生日を祝った


きっとあっという間に食べたんだろうな


お前がいなくなって色々変わった


もうあの家も出たんだよ


あそこはニヌファの思い出が


とてもつまった家だったから


ママは泣いていたんだ


りみも保育園に行き始めたんだよ


こないだは行きたくないとすごく泣いたんだよ


でもりみは大丈夫


お前に似て頑張り屋だから


この間りみがこんなことを言っていたよ


「りーちゃんは赤ちゃんの時


おにーちゃんと一緒にママのお腹の中にいたの」


本当の兄弟のつもりなんだね


お腹が大きかったママに


ニヌファが添い寝してたからかな


おにーちゃんは犬なのにね(笑)


あたり前の日常だけど


そこはお前のいない


あたり前じゃない日常


それでも日々は流れていく


公園を歩く僕の足に優しくふれた草は


ニヌファ お前かい


ほほをふわりとなでていった風は


ニヌファ お前かい


ぽつぽつと僕の肩をたたき続けたあの雨は


ニヌファ お前かい


この街のどこかにいるんじゃないかと


お前の姿を探してしまうんだ


あぁ お化けでも何でもいい


もう一度お前を抱きしめることができたらな


たくさん謝りたいことがある


そして お前の事をどんなに大切に思っているか


伝える事ができるのにな


分かっているんだ 


もう二度と会うことはできないってこと


分かっているんだ


もう二度とお前を抱きしめる事は出来ないって


それでも 思わずにはいられない


お前の事を・・・


どこかに行ったり 楽しい事があるたびに 


ママが言うんだ


「ニーちゃんがいてくれたらな・・・」と


お前が去ってしまった時


僕たちの心の一部も持って行ってしまった


だから僕たちの心は穴があいたまんまだ


それは永遠に埋めることの出来ない穴だ


たとえこの世界でもう会えないとしても


こう言わせておくれ


ニヌファ また会おう


そして 5歳の誕生日おめでとう






  


Posted by ★ニヌファ at 22:57Comments(0)★ニヌファ
 

2011年08月18日

★ローラーディスコ


























高校生の頃 友人たちと


那覇ローラースケートランドに遊びに行った


那覇ローラースケートランドは


東京で流行るよりも早く


沖縄でスタートしたローラーディスコだった


詳しくはあまり知らないが


ローラーディスコでは草分け的な存在だったらしい


入場料はよく覚えていないが


700~1000円くらいだったと思う


ミラーボールのキラキラ輝く


リンクの中をぐるぐる回りながら


ディスコミュージックに合わせて踊るのだが


人ごみの中ぶつからずに滑ることで必死の


僕たちに踊ることなど不可能だった


ローラースケートを滑らなくても


踊れたかどうか怪しいものだが・・


それでもしばらく滑っていると


音楽に合わせて掛け声や叫んだりして


なんとかうまく滑ることができるようになった


場所柄アメリカ人の客も多く


黒人のやたらと踊りや滑りがうまい人もいた


友人が滑っていて転んだのだが


後ろから滑ってきた黒人男性が


転んだ友人の上をひらりと飛び越えていった


いい気になって滑っていた僕も


バランスを崩しあわや転びかけたのだが


後ろから来た白人男性がさっと手をだし


僕の背中を押してくれた


おかげで転ばずに済んだ


彼はそのまま止まることなく


僕にウインクをして去って行った


2~3時間ほど滑っていたと思う


友人たちとリンクを出ると


冷たいペプシのビンで


乾杯してゴクゴク飲んだ


足がパンパンだった


明日は絶対筋肉痛だ


外に出るとモヤッとした熱い空気が


僕たちを包みこんだ


「スゲー面白かったな!」友人の言葉に


「最高だよ ローラーディスコ!」とみんな頷いた


さっき僕を助けてくれた白人男性が


駐車場の方に歩いていくのを見かけたので


「Thank You」と大声で叫ぶと


遠くの方から手を振ってくれた


「俺 彼女できたら絶対一緒に来るんだ」と


友人が遠くのネオンを見ながら言った


「お前 もてないから絶対無理!


結局 俺たちとばっか行くことになるよ」と


僕がからかって言うと


「なんだよ! じゃあお前たちだって


彼女できないってことじゃないか!」と友人が言った


みんなでげらげら笑った


「俺 練習してうまくなって


彼女できたら一緒に来てカッコいいとこ見せるんだ」


友人の言葉に僕たちは


「俺も!」「俺も!」と口々に言った


からになったペプシのビンを


大きな鉄の網でできた丸いゴミ箱に投げ捨てると


販売機でドクターペッパーを買い


もう一度みんなで乾杯した


くだらなくもバカバカしく


けっして戻ることのない時間


その時 それが青春だなんて誰も思わなかった


南国の大きく丸い月が


バカ4人を優しく照らしていた


あの時のみんなは今どうしているだろうか


みんな色々な人生を歩んでいるだろう


あの夜の事を覚えているだろうか


その後 僕は彼女を連れて行ったことがある


どうだったかって?


もちろん カッコよく転んだのだ(笑)






  


Posted by ★ニヌファ at 19:15Comments(1)★ 沖縄
 

2011年07月28日

★ゴンドラの唄























いのち短し 恋せよ乙女

朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に

熱き血潮の 冷えぬ間に

明日の月日は ないものを


 いのち短し 恋せよ乙女 

いざ手をとりて 彼(か)の舟

 いざ燃ゆる頬を 君が頬に

 ここには誰れも 来ぬものを


 いのち短し 恋せよ乙女
 
波に漂う 舟の様(よ)に

 君が柔手(やわて)を 我が肩

 ここには人目も無いものを


 いのち短し 恋せよ乙女 
  
黒髪の色 褪せぬ間に

 心のほのお 消えぬ間に

 今日はふたたび 来ぬものを


介護の仕事をしているとレクレーションで


お年寄りたちと歌うことが多い


彼らの年齢に合わせた歌をみんなで歌うのだが


おかげで昔の曲を自然と覚えてしまう


好になった曲も何曲かあるし


歌詞の素晴らしさや美しさに


心打たれることもある


「ゴンドラの唄」は聞いたこともあったし


なんとなく知っている曲だったが


歌詞はあまり知らなかった


読んでみると美しくも切ない歌詞だった


命短し恋せよ乙女 赤き唇褪せぬ間に


熱き血潮の冷えぬ間に


明日の月日はないものを


短くも忘れがたい青春時代の


情熱的でピュアな恋の唄にも感じるし


命の燃え尽きるまでの時間の事を


言っているようにも感じられる


「明日の月日はないものを」という歌詞や


「今日は再び来ぬものを」という歌詞


今日という日は二度と来ない


毎日毎日が大切で戻ることのできない日だ


毎日をまるで当たり前のように過ごす僕には


ぐさりと突き刺さる言葉だ


人は必ずいつか死を迎える


与えられた時間の中で毎日が特別な時間だ


だから悔いのないように生きよう


人の人生は明日どうなるかわからない


だからこそ精一杯生きよう


「熱き血潮の冷えぬ間に」と


「心の炎消えぬ間に」という歌詞は


恋愛の炎だけでなく


心の奥で燃え続けている 


情熱や生きる希望の炎だとも思う 


誰かや何かに惑わされず ポジティブに


自分らしく生きていくこと


毎日のいつもの日常が いつもの景色が


それら当たり前の事すべてが


大切で素晴らしいことだ


だから毎日を精一杯 悔いなく生きよう


人生は一度しかなく そして短いのだから


「ゴンドラの唄」は


そんな歌に聞こえてくるのだ





  


Posted by ★ニヌファ at 09:52Comments(0)★日々の雑談
 

2011年06月29日

★川の流れ




















僕の一番上の姉はとても気が強かった


僕が中学生の頃もよくグ-で殴られたものだ


高校生の頃の姉はオヤジに反発し


夜中に飲み歩いたりディスコに行ったりと


遊び回っていた


オヤジは厳しい男だったが


そのオヤジに殴られようと姉は


瞬き一つせずに「もっと殴ってみなさいよ!」と


そう言ってオヤジを睨み付けた


オヤジもどうしていいのか分からなかったと思う


そんな姉に好きな人ができた


姉が遊んでいるグループの一人だったが


彼は家まで来てオヤジに姉との付き合いを


許してほしいと言ったが


オヤジに追い返された


あんな不良と突き合わせる訳にはいかないと


オヤジは姉に言った


彼の親に姉と会わせないようにと


オヤジが話をした


小さな田舎の島だ 親戚や知り合いだらけだ


親に背向いて会うのは難しい


結果的に 姉は彼と別れさせられた


それから何ヶ月かして彼が亡くなった


酔って海に落ちて亡くなったらしいのだ


姉が行きつけの美容室に行った時


美容師で亡くなった彼と仲が良かった女性が


彼がなくなる前に姉の事がまだ好きで忘れられないと


泣きながら彼女に話していた事を姉に告げた


美容室から帰った姉は


自分の部屋に閉じこもると


絶叫にも近い声で泣いていた


その理由を僕が知ったのは


しばらくたってからだった


姉はその後自殺未遂を何度か繰り返した


手首を切り病院に運ばれた時


部屋に残った姉の血だまりを


僕は二番目の姉と一緒に掃除した


二番目の姉がポロポロ泣きながら


掃除していたのを今でも覚えている


その後の姉は痛々しかった


僕たちには声をかける事さえできなかった


それから姉は家を出て本土の大学に行った


姉にとってそれが良かったのだと思う


大学を卒業して島に帰った姉は


結婚するものの旦那の暴力のため


子供2人を連れて離婚した


そしてずいぶん苦労して今のダンナと再婚した


誠実でいい旦那さんだ


姉もずいぶんと変わった


昔の荒れていた姉ではなく


兄弟や家族の事を心配して世話を焼く姉になった


人生とはわからないものだ


自殺未遂を繰り返していた姉が


今はいい家庭を持って暮らしている


人生は川の流れのようなものだ


何か物事が起きてしまっても 


立ち止まってしまってはいけない


力強く流れていかなくてはいけない


それが生きていくということだと僕は思う


それが生活していくことだと思う


先日も姉から電話があった


「あんた 最近連絡ないけど元気なの?


お母さんにもたまには電話しなさいよ」


彼女の川は流れ続けている







  


Posted by ★ニヌファ at 10:58Comments(0)★ 沖縄
 

2011年06月17日

★100の悪戯























Aさんは長野県の生まれの100歳の女性だ


今の施設に働き始めて1年と4ヶ月ほどたつが


働き始めたころからベッドに寝たきりだった


ある程度の認知症はあるのだが


普通の認知症の人とは一線をきしていた


なんと言うか一本筋が通っているというか


頑固とかでなく凛としていると言ったほうがいいだろうか


僕が排泄介助に入ったり食事の介助をした後も


かならず「ありがとう」といってくれた


当たり前に感じるかもしれないが


認知症がありそこそこの年齢だと


そんな言葉は聞けないのが普通だ


仕事を終えて帰る際Aさんに


「Aさん 俺帰るね また明日ね」と声をかけると


「気をつけてお帰り」と小さな声で言ってくれた


Aさんには65歳だが女優顔負けの美しい娘さんがいる


彼女はテニスをしていて真っ黒に日焼けしているが


これほど美しい65歳を僕は見たことがない


美しいだけでなく礼儀正しく腰も低い


この親にしてこの娘ありだ


Aさんの居室で食事の介助をしていた時


僕は誰にも言えない悩みというか


心の秘密をAさんに打ち明けたことがある


Aさんが持っている雰囲気が僕にそうさせたのか


分からないのだが僕は自分の気持ちを話してしまった


何かを期待して話したわけではない


相談でもなくただ話したのだ


Aさんは静かに僕の話を聞いていたが


ぽつりとある言葉を言ってくれた


その言葉に僕は救われ涙しそうになった


亡くなった愛犬ニヌファの事も話したことがある


今だにニヌファの事を思うと


とても辛くなる気持ちを話した


ベッドで僕の話を聞いてくれたAさんは


「可哀そうな事をしたね 大事だったね」と


ただそれだけ言ってくれた


僕がAさんにその話をしたのは


支えになってくれる杖が欲しかったわけでも


救いとなる言葉を求めていたわけでもない


色々なしがらみや思惑もなく


人として 本当に人として接したかった


そして彼女の言葉や気持ちそして接し方は


薄っぺらな慰めの言葉とは違い 僕の心を打った


彼女の人間性と自然体でくったくのない


そういう雰囲気もあるのかもしれない


元々Aさんはおしゃべりなタイプでもないし


おしゃべりできる状態でもない


僕の冗談をニコニコして聞いて


一言二言小さな声で答えるくらいだ


そういえば以前Aさんの部屋の


ナースコールが鳴ったことがある


Aさんはナースコールを鳴らすことはまずないのだ


とにかく僕はあわてて電話を取り


「Aさん どうしたの!」と言うと


電話のむこうからAさんの小さな声で


「いたずら・・・」と聞こえた


しばらく呆然としていた僕は吹き出してしまった


普段冗談やいたずらばかりする僕に


Aさんからの可愛い仕返しだった


僕の同僚の女性が「実は恋愛の相談を


Aさんにしたことがあるの 


その時言われた言葉に私泣いちゃったの」と言った


僕と同じように誰にも言えないことを


Aさんに言うスタッフはいたようだ


そんなAさんが突然食事をとらなくなった


娘さんも心配して施設に寝泊まりした


ずっとAさんを見てきた僕には


Aさんは自分の意思で死のうとしているのが分かった


そのくらいの年齢になると色んな病気もあるが


介護の仕事をしてきた僕の経験から言うと


人は気持ちでなくなるものだ


Aさんは脈もとるのがむずかしくなり


体もげっそり痩せ細った


意識ももうろうとしているAさんを


娘さんが着替えさせてほしいと僕に頼んできた


僕はAさんの服を脱がせ排泄介助をおこない


痩せ細ったAさんの体の清拭を行った


服を着替えさせると僕はAさんに


「Aさん もういっちゃうのか?」と声をかけた


Aさんは小さく肩で息をしているだけだった


その日の仕事が終わり家に帰ると


夜遅くに主任から電話があった


「ニヌファちゃん Aさん亡くなったよ・・・」


翌日早くに会社に行くとAさんの遺体と対面した


Aさんの娘さんとスタッフの女性が泣きながら


僕を迎えてくれた


「ニヌファちゃん見て 安らかな顔だよ」


本当にやすらかな顔だった


入居者やスタッフが部屋を訪れAさんに手を合わせた


そしてAさんの遺体は霊柩車にのせられ


スタッフや入居者が玄関で見送る中


僕の秘密も持ったままAさんは去って行った


ステーションに戻り何人かの同僚と


ぼんやり椅子に座っていると


前回記事に書いた僕の上司のFさんが


「Aさん 行っちゃったね・・・」と言った


その場にいたスッタフ全員が泣いた


僕はみんなに背を向けたまま声を殺し泣いた


この仕事を昨日今日始めたわけではない


たくさんの年寄がなくなっていくのを僕は見てきた


どちらかというと楽になってよかったという


安堵感のほうが多く泣く事はそうそうない


でもAさんは別格だった


「母に会いに いつもこの施設に来ていたので


ニヌファさんやほかのスタッフに会えなくなるのが


私 とても寂しいの・・」とAさんの娘さんが


涙ながらに言ってくれた


家族じゃないけど他人でもないおかしな気持ち


この仕事をしているとよく感じる


Aさんが居なくなった部屋の扉を開け


部屋の中に入ると僕はぼんやりと部屋を見渡した


シーツもはがされたベッドと荷物がまだ半分残っていた


このベッドに寝たきりのまま


Aさんはずっと何を思っていたのだろうか?


「気を付けてお帰り・・」Aさんの声がした気がした


僕はまた泣いてしまった


「レディーはおいとまする時間を心得ているものよ」


いつか見た映画でそんなセリフがあった


Aさんもおいとまする時間を心得ていたのだろう


「ニヌファちゃん!」泣いている僕の後ろで


突然 同僚の女性スタッフの声がした


「お願いAさんの部屋を開けないで


あたし仕事できなくなっちゃうから・・・」


ボロボロと涙をながしながら彼女はそう言った




  


Posted by ★ニヌファ at 22:58Comments(0)★日々の雑談
 

2011年05月28日

★僕の上司






















「ニヌファちゃんさー

あたし最近目の上がかぶれてきちゃったから

こないだ皮膚科に行ったわけ

それで受付に目の上がかぶれてきたんですけどって

言ったら ウンウンってうなずいて

この辺に皮膚科がこことここにありますから

そちらに行かれてはいかがですかって言われたの

ハイ?って言ったらうちは美容整形なんでって言うのよ

そう言えば待合室きれいな人ばかりいたと

思ってさ あたし皮膚科と間違えて

美容整形に行っちゃった アッハハハー(爆笑)」

「・・・・・・・(フリーズ)」

彼女はFさんと言って僕の上司だ

年齢は確か55歳くらいだがかなり若く見える

人間的にとてもいい人でみんなに慕われているが

うちの介護施設で一番の天然だ 

むしろ彼女が入居していてもおかしくはない

「ニヌファちゃん パコソンの調子が悪くて・・」

「パソコンですね パソコン!」

「それを チョンチョンってしてトント-ンしてくれる」

「チョンチョンとトントーンの意味が分からない・・」

最初の頃は戸惑う事が多かったが

えらいもので彼女が何を言いたいのか

分かるようになってきた

「と言うわけで えー座薬を飲んでもらって・・」

「座薬飲ましちゃダメ お尻に入れてあげて・・」

朝の送りのFさんの言い間違えに僕が突っ込むと

一人でゲラゲラ笑い転げている

「ニヌファちゃんこの漂白剤どれくらい入れればいいの?」

バケツに水をくみ漂白剤のキャップに

漂白剤を入れて僕に聞いてきた

「半分くらいですかね」と答えると

「ハーイ」と言ってキャップに入った漂白剤を

汚水を流す場所にぴゅっと流してしまった

「あら 私なんで流しちゃったのかしら??」と言って

あわててバケツに入っていた水もザーっと流してしまった

結局全部流してしまい 後には何も残らない 

「私何してるのかしら?」と言って本人大爆笑だった

事務所の子が教えてくれたのだが

先日Fさんが午前中だけ仕事に出て午後は有給にしたので

それを届出書にどう書けばいいのか聞いてきた

事務所の子が「それはPM有って書いてください」と言うと

提出された書類にはPMUと書いてあったそうだ

午後有給だから「PM有」って言ったつもりだが

有給の有がまさか英語でUになってるとは

思わなかったと僕にこぼしていた

彼女には何か神的なものが下りてきているに違いないと

事務所の子と話したことがある

介護の仕事は何かとストレスがたまるものだ

そのストレスを家や休日で解消する事は重要だ

ストレスを感じる事は容易だが

ストレスを解消することは容易ではない

ストレスで辞めていく人や具合が悪くなる人を

僕はよく見るし 自分自身も気を付けている

難しいことだが・・・

ただFさんの存在が忙しい仕事の中での

癒しになっている事も事実だ

今度は何をやってくれるのか

僕が普段注目している事を彼女も気づいていて

「ニヌファちゃん また私が変なことしないか

見てるんでしょ そんなちょいちょいしないわよ!」

そう言って冷蔵庫の横の戸棚に

しまわなければいけないコーヒーのセットを

冷蔵庫の冷凍室にしまっていた

ハンカチ王子こと斉藤投手とは違う意味で

やはりこの人は何か持っているんだと

僕は思わずにはいられなかった





  


Posted by ★ニヌファ at 18:25Comments(0)★日々の雑談
 

2011年04月24日

★命どぅ宝























僕の母親方の父とその弟は


戦争中にフィリピンの近くの


とある島に兵隊とした送られたそうだ


食糧を探して祖父達は二そうの船に乗り込み


河を下っているときに突然


戦闘機が飛んでくるのを発見した


「飛行機だ 川に飛び込め!!」と


仲間が叫ぶと同時に戦闘機が撃ってきた


飛び込む瞬間に祖父は横っ腹を撃たれた


戦闘機の銃弾が飛び交う中


着ていた服を脱ぐと腹にあいた穴に


血を止めるために服をつめ


祖父は必死に岸まで泳いだ


生き残った数人の仲間と岸にたどり着いた時


祖父は瀕死の状態だった


仲間が祖父を岸に引っ張り上げ


「しっかりしろ!」と声をかけた


「弟は・・弟はどうした?」と


息も絶え絶えに祖父が言うと


「神様の所に行ったさー」と


同じ沖縄の島の出身者が言った


「そうか・・」と祖父は言うと


「俺には子供がたくさんいる・・


その子供たちがきっと骨を拾いに来てくれる


だから弟と同じ所に埋めてくれ・・・」


そう言って祖父は息絶えた


仲間は祖父と祖父の弟の亡骸を同じ場所に埋めた


祖母は6人の子供をかかえ


女手一人で大変苦労したそうだ


知り合いの家の納屋に住まわせてもらい


地面にむしろをひいたような所で暮らした


子供だった僕の母親が夜ふと目を覚ますと


子供達に明日食べさせる物が無いと


祖母が泣いていた


翌日 母は早起きし山や海で食糧を探し


またいろんな畑も回り仕事を手伝い


食べ物をもらった


今でも母は食べ物を簡単に捨てることはできない


家族に暖かなごはんを食べさせ


自分は昨日の残りの冷ごはんを食べることがよくある


高校生だった頃その姿を見て僕が


「かーちゃん 冷ごはんなんか捨てて


炊き立てのご飯があるんだから 


それを食べればいいさー」と言うと


「ニヌファ 食べ物は粗末にしたらいかんよー


大事にせんといかんよー」と言っていた


その頃の僕は祖父達の戦争の話も


戦後 祖母と母たちが苦労して


生きてきたことも知らなかった


母も母の祖母もつらかった頃の話をしなかった


僕が結婚式の為に沖縄に帰った時に


姉が「ニヌファ あんた知ってる?」


そういって以前母から聞いた話だと言って


宮古島の前浜海岸を見渡せる


栗間島の展望台に行ったとき


祖父達が亡くなった時の話


祖母と母達が苦労して生きてきた話を


海を眺めながら二番目の姉が話してくれた


「おばあちゃん達兄弟が お金をためて


その島にオジー達の骨を拾いに行ったってー


そしたら 大きい台風があってさー


その骨を埋めた場所もやられて


骨は全部流されて 見つからんかったってさー」


展望台には何人かの観光客がいたにもかかわらず


僕は号泣してしまった


そして何も知らずに今まで


のうのうと生きてきた自分を恥じた


僕の祖先のオジーやオバー達が


必死に生きてきた事


そのおかげで僕たちが今ここにいられる事


それは僕達の誇りであり大切な話だ


母の祖母は何年も前にガンで亡くなった


あの頃の苦労がたたって


その後は体が弱かったそうだ


とてもやさしいオバーだった


今でも玄関先で笑顔で手を振っている


祖母の姿を覚えている


僕たちは一人で生きている訳ではない


たくさんの祖先たちの命と共に生きている


だから一人ぼっちなんかじゃない


今 大きな地震で沢山の方々が亡くなった


生き残った方々の気持ちは


僕などには想像もできないものだろう


子供や子孫の為にも 


なにより自分自身のためにも


生き抜いて欲しいと僕は願う


なにも知りもしないくせにと思われるだろうが


心からそう願っている


母の兄が 昨年亡くなったが


書道が得意なおじさんだった


そのおじさんが僕の結婚式の時に


自分が書いた字を掛け軸にして送ってくれた


「命どぅ宝」という字だ


沖縄の言葉で命こそが宝


生きている事こそが宝という意味だ


激しい沖縄戦を経験した沖縄では


よくつかわれる言葉だ


その言葉の意味を 祖父や祖母達の事を


娘が大きくなったら話してやりたいと思う


僕の素晴らしいオジーやオバー達の話を




  


Posted by ★ニヌファ at 17:45Comments(0)★ 沖縄