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Posted by TI-DA at
 

2011年04月05日

★祝いの夜















まだ子供だった頃 


オジーやオバーの家や 親戚の家で


祝い事がある夜は楽しくて仕方がなかった


オカーやオバー達が忙しく料理の準備をしながら


女性達だけでの井戸端会議に花が咲き


子供たちはみんなで走り回り


お腹が減れば祝いの料理を食べ また遊ぶ


祝いの夜は何時まで遊んでも叱られない


遊び疲れ眠くなった子供から順番に


バタバタと倒れていく


年上の子たちがその子たちの面倒を見て


同じ部屋に運んで寝かせてやる


祝いには必ず豚を1頭つぶした


豚を解体するのも親戚のおじさん達


生きている豚をつぶすので


子供たちには見せなかったが


豚のプギープギーと泣く声が聞こえると


子供ながらに怖かった


祝いの最初に線香の煙の中


ユタのオバーが祈る姿を見るのが僕は好きだった


オバーの祈りが始まると 


それまでの騒々しさがピタリと止んで


周りの大人達も一言も口をきかない


オバーの祈りの声だけが響く


静かで力強く 心地よくも凛とした祈りだ


いつも見慣れているオバーが


その時は別の世界の人間に見えたものだ


オカー達が庭に作った大きなかまどに


巨大な鍋を何個も並べて料理を作っていた


沖縄の親戚の数はハンパではない


家の中だけでは入りきらず


庭に大きなムシロを何枚も引き


そこでもみんなが星空の下


料理を食べ酒を酌み交わし 


三線をひき島唄を歌い 指笛を鳴らし


オジーもオバーもオトーもオカーも


ニィニィもネェネェも子供も踊った


沖縄人の血の中には音楽が流れている


三線の音と島唄が流れているのだ


それははるか昔の琉球の頃から変わる事はない


島唄が聞こえると体がじっとしていられないのだ


大和(沖縄人は本土の事をそう呼ぶ)に大学で来た時


アルバイトをしていた僕は


たまたまラジオから流れてきた


「月ぬ美しゃ」という沖縄の古い民謡を聞いた時


体中の血が逆流した


島が僕を呼んでいると思った


大げさな表現かもしれないが僕にはそう思えたのだ


当時 沖縄は今のようにブームでもなく


沖縄音楽がかかることすら珍しかった


島に住んでいたころは当たり前でも


島から離れ遠く大和の地にいると


とたんに島が恋しくて恋しくて仕方なくなる


言葉の通じる外国にいるような気持ちだった


夜も更け 祝いの夜が終わるころには


酔いつぶれて寝ている者 千鳥足で家に帰る者


寝た子供を背負って帰る者色々だった


オカー達が片付け物を終えるのは


明け方になることもある


今でも覚えているのは 


立ち込める料理と泡盛の匂いと


オバーの祈りの声と


祝いの夜にどこからともなく聞こえていた


美しくも優しい 三線の音と島唄を歌う声だ





  


Posted by ★ニヌファ at 22:21Comments(0)★ 沖縄
 

2011年03月04日

★離れがたい想い



























嫁の父親は配管の仕事をしていたが

この不況で仕事がなくなり

しかたなく警備の仕事を始めた

嫁の実家のマンションは

15~16年ほど前に買ったマンションだ

いい歳で購入したマンションだけに

月々の支払も大きかった

仕事が好調だった頃は問題なかったが

今の状況では むずかしかった

マンションを売った時に借金だけ残らないように

5年ほど一緒に住んでくれないかと

しばらく前から嫁の母親に頼まれていた

嫁の両親には僕たちもかなり世話になったし

娘の事もかわいがってくれていた

苦しいときに知らぬ顔はできなかった

嫁の両親と同居することにしたのだが

とてもつらいのは 住んでいたアパ-トへの愛着だ

ニヌファを飼うために 見つけた場所で

静かで緑も多く 娘の為にも環境がいい

なによりニヌファの思い出がつまっていた

ニヌファが生後3ヶ月で初めて

我が家に来た時に迎えた玄関や

小さかったニヌファが顎と前足を使って上った階段

お風呂の後にニヌファが日向ぼっこしたベランダ

一緒にランドマークの夜景を眺めた窓

小さかった頃はソファーの下で寝ていたが

大きくなってからは体が入らず

顔だけソファーの下に突っ込んで寝ていたリビング

寝室のニヌファのお気に入りの窓の下

具合が悪くなってから 咳をすると

よく鼻血が飛び散った 階段側の壁

動かなくなってきた足を

引きずりながら上り下りした階段

夜中にトイレに行ったとき

倒れて動けなくなってしまったニヌファを抱いて

途方に暮れた駐車場

痙攣が起きて鼻血を流すニヌファを必死でなでながら

嫁に電話した玄関前

いつもいっしょに通った病院への道

仕事帰りの僕を迎えにニヌファがかけてきた

アパートへと続く金木犀の香りがしていた

保育園よこの坂道

あまりにも多くの思い出が詰まっていた

引越の業者が荷物を全て運び出した空っぽの部屋

なんだか 狭く感じた

嫁と部屋の掃除をすませると しばらく二人

ぼんやりと 部屋を眺めていた

「ニヌファ 引越しだよ」

ニヌファの骨壺を入れた背中のリュックに

すこし振り向きがちに 僕は声をかけた

たとえ亡くなったニヌファが僕たちとともにあるとしても

思いでの詰まった場所を離れる気持ちは

とてもつらいものだ

ここでニヌファを育て ともに暮らし

病気と闘い そしてニヌファを亡くした

この場所への思いをどう言葉にすればいいかわからない

あまりにもニヌファの匂いが染みつきすぎている

ここを離れる僕たちは 胸が張り裂ける思いだ

心の中にニヌファだけの場所がある

そこを訪れるたびに僕は

沢山の思い出を手にしては

笑い 泣き そして愛おしくて抱きしめる

どんなに泣いても願っても 取り戻せない物がある

悔やんでも 後悔しても取り返しのつかないこともある

それが現実だ 変えることはできない

日々を泣きながら暮らしている訳ではない

明るくなるたけ笑って生きていこうと努力している

嫁や娘や なにより自分自身の為に

でも心の奥に埋めようのない喪失感がある

一生埋めることのできない喪失感が

少し暖かい風が吹く

保育園横の いつもの坂道を

嫁と見えないニヌファと共に下った

ニヌファが元気だったころの 

いつかの散歩の時と同じように



  


Posted by ★ニヌファ at 22:56Comments(0)★ニヌファ
 

2011年01月29日

★グリース

























中学生の頃 ジョントラボルタと

オリビアニュートンジョンの

グリースというミュージカル映画が

映画館で公開されることになった

トラボルタは当時サタデーナイトフィーバーに

主演してブイブイ言わせていた

その頃の僕はロックと映画に狂っていた

ロードショーやスクリーンなども愛読していたし

宮古島にある三つの映画館によく出没していた

当時の島の映画館は安かったし

3本立てなんかざらにやっていた

ヤクザ映画とアニメという

今ならありえない組み合わせもあったが

そのおかげで知らないジャンル

もしくは興味はなかったが見たら面白かった

なんて映画にも沢山出会った

名作からホラーまでごちゃまぜでやっていた

ホラー映画を3本立てで見たりもした

余談ながらその頃僕がベランダで飼っていた

ウサギの名前もトラボルタだった

名前を呼ぶと僕のそばにかけてきて

僕の周りをぐるぐる跳ね回っては

足をペロペロなめたりする

ディスコで踊りこそしないものの

それなりにフィーバーしたウサギだった

朝教室で 映画グリースの話を仲間とした

オールディーズの音楽と60年代の高校の話で

しかもトラボルタとオリビアニュートンジョンの主演

仲間3~4人との話だったのが

お昼にはクラス中その映画の話題で持ちきりだった

学校の帰りに映画を見に行こうと計画した

しかし6時間目の授業に出ると

その映画の始まりに間に合わなかった

もちろん遅い時間もあったのだが

遅くなると都合が悪くて見に行けない仲間も多く

話し合いの結果6時間目をさぼることにした

仲間5人と暗い映画館のシートに腰かけると

僕たちに声をかけてきた者がいた

クラスメイトの女子4人組だった

「私たちもさぼったの!」と笑いながら言った

「たまには こういうのもいいよな!」そう言うと

僕たちは映画への期待で盛り上がった

今の時代はそうでもないだろうが

当時の僕たちには映画館は特別な場所だった

映画の始まる前のドキドキ感

沖縄の方言でいうところのチムドンドン

映画館が真っ暗になり幕が開いた時の

緊張感や期待が入り混じった感情

あの頃は純粋に映画を楽しんでいたのだと思う

今のようにレンタルやテレビやパソコンで

気軽に見れるものではなかったからだ

さて映画グリースの出来はというと

いたって普通だったのだが

それなりにみんなで楽しんだ

僕はグリースのレコードを買ったほどだ

翌日 教室は映画グリースで盛り上がった

「俺もリーゼントにしようかな」なんていう奴もいた

担任が教室に入ってくるなり第一声が

「昨日 6時間目の授業をしようと

教室に入ったら教室に誰もいなかった 

先生は時間を間違えたのかと

時計を見直したほどだ いったい何があったんだ?」

実はクラス中が映画を見るために

6時間目をさぼったらしいのだ

もちろんクラスみんなで計画したわけではない

偶然そうなってしまったのだ

そういえば 僕が仲間とさぼる計画をしていた時

周りで「そうだよ でなくていいよ」とか

「6時間目ぐらいいいよ だって5時間も出たんだもの」

なんて声が周りの何組かのグループから

聞こえていた気がする・・・

まさか それがクラス全員とは夢にも思わなかったが

それでクラス全員が先生に怒鳴られた訳でもない

結局 しょうがねーなーみたいな感じで

許してもらったのだ

まあそのゆるい感じが沖縄なのだろうが 

今では 考えられない事だろう

同じようなクラス全員バックレ事件は

その2~3年後に映画「13日の金曜日」の

公開日にも起きたのだ

もちろん あの頃と同じクラスのメンバーではない

違うクラスメイトにもかかわらず

クラス全員バックレ事件は起きたのだ

今にして思えば どんだけ映画見たいんだと

突っ込みたくなるのだが

今では考えられない ほのぼのとした思い出だ

そうそうウサギのトラボルタのほうは

あの事件後 何ヶ月かして没ってしまったが

今でも僕にはトラボルタと聞くと

ハリウッドスターよりもウサギのほうを

先に思い出してしまうのだ





  


Posted by ★ニヌファ at 08:37Comments(0)★日々の雑談
 

2011年01月19日

★星の降る島


























20~21歳のころ 当時付き合っていた彼女と

沖縄の慶良間諸島の阿嘉島に遊びに行った

泊港から船で1~2時間だったと思う

今はわからないが当時は

島民の数より牛や馬の数のほうが多そうだった

そこで500円か1000円でテントを借り

自分たちでテントを張って二泊の予定だった

浜辺から手ごろな石を拾い重しにした

僕たちのほかにも何組かテントを張っていた

バーベキューのセットも借りられたので

海パン姿で浜辺でバーベキューをした

阿嘉島の美しい海を眺めながら

食べる食事は最高だった

沖縄で生まれ 子供のころから

死ぬほど海を眺めてきたが

それでも海を見るたびに 僕は美しいと感じる

彼女との話が途切れ ぼんやりと

オリオンビール片手に海を眺めていた

打ち寄せる波の音が まるで子守唄のように

心の中までゆっくりと染みていく

それは僕の鼓動と重なって 目を閉じると

まるで海に抱かれているような気分になる

コーヒーの香りで目を覚ますと

彼女がテスターズチョイスを入れていた

一時間ほど寝てしまっていたようだ

テスターズチョイスは沖縄ではメジャーな

昔からあるインスタントコーヒーのブランドだ

「ぐっすりだったよ!」そう言って彼女が

コーヒーのカップを手渡してくれた

「気持ち良くて つい寝ちゃったよ」

僕はカップを受け取ると 頭をかきながら答えた

何もしない 何も考えない 予定もない一日

時が止まったかのような島で

ただ海を眺めて過ごすこの時間の贅沢さ

日常のストレスから解き放たれ 

心がクリアーになっていくのを感じる

海でしばらく泳いだ後 軽いけだるさを感じながら

石垣の塀に囲まれた古い沖縄独特の

民家が並ぶ村の中をぶらぶら散歩した

どこかの家のラジオから 沖縄の民謡が聞こえる

ふわっと髪をなでる風は 花の香りがした

舗装もされていない砂利道をしばらく歩いた

途中 木陰に涼んでいるオバーに会った

挨拶をすると 持っていたヤクルトをくれた

昔から沖縄のオバーは やたらとヤクルトを

愛用しているオバー達が多い

しばらくオバーと話をした後 手を振って別れた

テントのそばには無料のシャワー施設があり

僕たちはそこでシャワーを浴びると

用意していた食品で夕食をとった

他のテントの人達としばらく談笑したあと

僕たちは夜の砂浜に出た

二人で砂浜に腰かけ夜空を眺めた

この島では村の明かりより

星空の明かりのほうが明るく感じる

星空をじっくり見る機会は案外少ない

僕自身にそんな心の余裕がなかったかもしれない

夜空の海に 沢山の星が漂っているように見える

目を閉じると 体の中に星たちが降ってくるようだ

彼女と自分たちの未来について話した

今思えば幼くも淡い夢のような話だったが

その時の僕たちには すべてのような気がした

その晩テントで眠りにつく時

彼女が僕の手をそっと握りしめてきた

僕も彼女の手を握り返した

その後の僕たちにあの夜話した未来はこなかった

彼女とは別れてしまったからだ

辛い思い出や悲しい思い出ではない

懐かしくも 少し切ない思い出だ

それは あの星の降る島の

砂浜に半分埋もれた記憶の貝殻のように

今も夜空を眺め続けている






  


Posted by ★ニヌファ at 09:23Comments(0)★ 沖縄
 

2011年01月11日

★スマートフォン



















1週間ほど前にスマートフォンを買った

前に使っていた電話が購入2年目で

ようやく新しい奴を買えるようになった

スマートフォンは前から興味があった

以前使用していた携帯も出たばかりの

新しいものだったのだが

実際 僕はその機能の半分も使っていなかった

「赤外線で・・」と言われると

あたふたしてしまうほどだ

3Gなんて言われても「3人のジジイ?」

程度の幼稚な発想しか出来ないので

どのくらいかは想像できるだろう

最新機能というよりゲームではなく

遊べる機能 楽しめる機能があればいいと思っていた

最初は友人が持っていたアイフォンが

かっこいいと思っていた

アイフォン4も出たことだしなんて思っていたのだが

色々雑誌でスマートフォンの記事を

立ち読みし(その程度なのだが・・)

アイフォンよりも日本製のスマートフォンが欲しいと

思うようになってきた

以前日本製ではない携帯を使用していたのだが

使いづらかった事もある

アイフォンはグッズも多く楽しめるのだろうが

見た目のデザインと日本国内に対応した機能

そしてテレビも見れるなんてことで

ソフトバンクのガラパゴズ003SHを購入した

まあ なんだかんだ言ってはいたが

僕自身 携帯に詳しくもなく

かといって掘り下げて調べるのもめんどくさい

この年になると説明書を読むのもめんどくさいので

直観的に動かせて いろいろなアプリケーションで

遊べる(特にカメラ!)のがいいと

ぼんやりと思っただけなのだが・・・

003SHには特に欲しくもなかった3D機能がついていた

最近はテレビや映画で3D機能がやけに騒がれているが

僕自身は あまり興味がなかった

ガラパゴスにもデモ映像で3Dの動画があって

初めて見るとすごいと思うのだが

それをずっと見ていると

目が変になって気持ち悪くなってしまうのだ

乗り物で携帯の画面でゲームやテレビを見ていると

僕は酔ってしまって気持ち悪くなるので

音楽を聴いているほうが多い

ゲームはしないがテレビは乗り物以外で

見ることがあるかもしれないということで(笑)

携帯にワンセグはついていたほうがいい

乗り物に乗った時に携帯のアプリで

ラジオが聞ける奴があるのだが

今度それをダウンロードしようかと思っている

ジジイみたいな発想なのだが

昔 アンティークのラジオを購入したとき

NHKだかなんだかの「明るい農村」的な

番組を偶然パソコンをしているときに聞いたことがる

視聴者からの手紙で「私は 甘酒が好きで

季節に関係なく甘酒を飲んでいます・・・」という手紙に

キーボードを打つ手がフリーズしてしまったことがある

「それ わざわざ手紙で知らせる事か・・・

好きに飲めばいいじゃん・・」と

一周回っておかしくなって笑いが止まらなくなった事がある

この手の手紙が多くてツボに入ってしまった

聞こうと思ってというより何かしているときに

ぼんやり流しているのが理想だ

テレビみたいにCMがなくバックの音も

気味が悪いくらい静かなのも面白かった

ラジオで思い出したのだが

早番で乗る朝6時のバスなのだが

乗客もまばらな朝のバスによく乗ってくるジーさんが

携帯電話よりちょっと大きいラジオを

左耳にピッタリとくっつくように

頭にひもでくくりつけてラジオを聴いていた 

バスの中ということもあり音量はかなり小さくし

最少の音で聞くために耳に

ぴったりとくっつけているのだろうが

イヤホンという発想はなかったのだろうか・・・

なんて思いながら感動にも近い思いで毎日見ていたのだが

何ヶ月かして イヤホンをして乗ってきたときは

「やればできんじゃん!」と思わず

ジーさんに聞こえかねない声で言ってしまった

反面 寂しい気持ちにもなってしまったが・・・

話がそれてしまったがラジオ以外にも

たとえば仕事で使える薬検索アプリや

好きなカメラのアプリが多いのもスマートフォンの魅力だ

昔のポラロイド風に撮れたりトイカメ風に撮れたり

ロモ風にもとれたりする

ガラパゴスは960万画素のカメラでデジカメなみなのだが

それなのにバカ写りするアプリを使う

そんなバカバカしさも好きだ

記事の頭の写真もトイカメ風に撮ったものだ

これから写真を撮るのが楽しみだ

あまり使いこなしていない僕が言うのもなんなのだが

機会があれば是非スマートフォンを!





  


Posted by ★ニヌファ at 16:43Comments(0)★日々の雑談
 

2010年12月29日

★凍てついた夜



















もうすぐ 新しい年になる


月並みなせりふだが


今年もあっという間だった


以前 独り暮らしをしていた時


大晦日に風邪をひき 


寝込んだまま年を越した


正月三日目に友人が訪れ


無精ひげの僕を見て笑った


その友人は僕がろくな物も食べていないだろうと


食べ物と飲み物を買ってきてくれた


「ほいっ!」と彼が差し出したそのビニール袋を


「サンキュー!」と言って僕は受け取った


男同士だと なんだか気恥ずかしいものだ


「俺のおばさんが川崎にいるから 


そこに遊びに行こうよ」と誘ってくれた


彼とは中学校からの仲だ


身長が小さいくせに 陽気で明るく


いつも元気でこっちまで元気になる


沖縄人とはこうあるべきだという見本のような男だった


僕たちは親友になるべくしてなった


高校を卒業すると彼は島を出て東京に移った


僕は2年ほど遅れて横浜に移った


二人でよく飲み歩いたものだ


男二人で京都 大阪 岡山と旅行も行った


女性の友人もたくさんいるのに


彼はいつも「いい人だけど・・・」で終わった


喧嘩だってしたこともある


でもすぐ仲直りした


やさしい男で 誰かに騙されても


人を信じる事を恐れなかった


僕が落ち込んでどん底だった時に


彼が僕にこう言ってくれた


「ニヌファ 人間どん底の時ほどプライドもたなきゃな


まあ 俺なんて もともと無いけどな(笑)」


普段はプライドなんて必要ない


でもどん底のときは 誰かの救いの手が欲しくなる物だ


誰でもそれは同じだが そういう弱い思いが


自分自身で立ち上がる事を邪魔することもある


自分を信じ立ち上がるためにプライドが必要だ


見栄や虚栄などではなく


プライドとはそういう物ではないだろうか


それを 彼が教えてくれた


彼の川崎のおばさんも明るい女性だった


みんなでカラオケで遅くまで盛り上がり


本当に楽しかった


帰りは電車もなくて バイクを借りて


友人と二人乗りで帰った


恐ろしく寒くて 二人で「寒い!寒いー!」と


大声で叫びながら帰ったのを覚えている


その友人は三年前に 嫁と子供を残し


脳梗塞でこの世を去った


時が過ぎるのは 早いものだ


年末で 少し感傷的になったのだろうか


今でも その夜の事を思い出す


二人乗りのバイクで走った


あの寒い夜のことを




  


Posted by ★ニヌファ at 20:45Comments(0)★ 沖縄
 

2010年12月16日

★ 悩み




























まだ僕が独身だった頃



とても悩んでいた時期があった



僕は悩みや相談事を誰かにするのが



昔から苦手だった



ほとんど自分だけで悩み自分で答えを出した



カッコをつけている訳ではない



子供のころからずっとそうだったからだ



ひねくれた考えのように聞こえるだろうが



誰かが自分の今の状況 気持ちを



簡単に理解してくれるとは思わないのだ



自分の事を一番知っているのは自分自身だし



もし 誰かに相談したとして



なにも理解していないのに 



無神経な言葉を言われるのも嫌いだったからだ



自分の気持ちは 誰にもわからないと



自分の殻に閉じこもっている訳でもない



結局のところ 自分の問題を解決するのは



自分自身でしかないと思うのだ



元気になるのも 明るくなるのも



すべては 自分次第だ



もちろん よく出来た友人を持っていて



自分の事を理解し 相談に乗ってくれ



悩みを解決する そんな人もいるだろう



それも素晴らしいと思う



悩みを話したらスッキリしたという人もいる



そうゆう人は初めから解決していて



ただ 誰かに話し共有したかったのだろう



ずっと悩んでいると 結局



またスタート地点に戻ってしまうことがある



ぐるぐると 回っていただけなのだ



本当は 答えが出ているのに



自分自身が それに気づかないこともある



考えて考えて出した答えだが



何年後かに あれは間違っていたと思うかもしれない



それでも その時これがベストなんだと



自分を信じてやっていくしかない



誰かの言う通りにして失敗し



後悔するよりも はるかにいいからだ



悩み続けていた夜は



独り暮らしのアパートにいると



息が詰まって死にそうだった



よく夜の公園に出かけては



公園の冷たいベンチに腰かけて過ごした



缶コーヒーで指先を温めながら



遠くに見える高速道路を流れる車を



ぼんやりと眺めていた



時々 マラソンランナーが



目の前を駆け抜けていく



疲れ切って 心が砕けてしまいそうだった



この街の誰からも忘れ去られ



時分が無価値な人間に感じられた



そんな夜をしばらく続けた



人生には 何度もそういう時が来るのだと思う



その悩みや問題は頭から離れず



一日中それに押しつぶされそうになる



それもしかたがない事だと思う



それでも 過ごす一日は一日だ



笑って過ごしても 泣いて過ごしても一日だ



難しいが なんとか笑って過ごす



そんな一日に出来たらと僕は思う



すこしでもポジティブになれば



落ち込んでいるより問題を解決できる



もしくは乗り切れる糸口が見つかるかもしれない



それに 落ち込んでいるときほど



ミスをしたり 悪いことが重なったりするものだ



マイナスがマイナスを呼ぶのだろう



僕自身弱い人間だ



ポジティブな人間になりたいと思っている



僕のブログにもアバターがわりに



尊敬する「いなかっぺ大将」の風大左エ門こと



大ちゃんの絵を使っている



娘が成長した時「パパって 能天気だから



悩んだりしないね」なんて



言われることが夢なのだ

  


Posted by ★ニヌファ at 09:59Comments(0)★日々の雑談
 

2010年11月25日

★ 祈り

































僕のオバーは3年前に亡くなった

オバーはユタをしていた

(正確には ツカサだった

ツカサは公的な神事、祭事もできる

ユタは民間が相手だと思う

その細かな違いは僕も詳しくない

また初めて聞く方はややこしくなるので

ここではユタと書かせてもらう)

沖縄以外の人には馴染みがない言葉だろうが

沖縄では 知らないものはいない

ユタの説明が難しいのだが 

琉球王国時代から続くシャーマンのような存在だ

神や島のために祈り 祖先の声を聞いたり 

島の豊作や安全な航海や 

先祖や亡くなった人の為に祈ったり

夢判断や魂の事などに答える

神と人間の仲介者のような存在だろうか

ユタは なりますと言ってなれる職業ではない

また血筋でなれるものでもない

ユタは神様に選ばれるのだ

つまり 否応なくなるのだ

なりたくなくても結局はなってしまうらしい

オバーは子供の頃 体がとても弱く

長くは生きられないと言われた

島で有名なユタが「この子は 神高い

(霊感が強いという意味に近いかもしれない)から

わたしに あずけなさい」と言われ

子供だったオバーはその人にあずけられた

戻ってきたときには ユタになっていたらしい

僕が生まれた島は港から急な斜面になっていて

その斜面を登りきった所にオバーの家があった

斜面に建つ家々や港や海を見渡せるその場所には

近くに 戦争のときの不発弾が 

鐘の代わりにつり下がっていて 

夕方6時になるとカンカンと

時刻を知らせる鐘がならされた

子供の頃オバーの家の裏手から

夕暮れの海を眺めながら

オバーの祈りの声をよく耳にしたものだ

その祈り声を聞いていると

まるで自分が自分ではいられなくなり

夕暮れの空に溶けてしまいそうな

周りの大気と一体化して

自分自身がなくなってしまいそうな

とても不思議な感覚になったのを

子供ながら覚えている

オバーは子供の僕に小遣いをくれたり

やたらと食べ物をすすめたりした

貧しくて 食べ物もあまり食べれなかった

そんな子供時代を過ごしたために

孫達にはそんな思いをして欲しくなかったからだそうだ

台風が近づき 雨や風が強くなってくると

庭に咲いている花や草を 

何種類か引っこ抜いてくるように言われた

訳を聞くと「台風でみんなダメになったら可哀そうサー

みんな入れてあげたいけど そんな事はできんから

何種類か家に入れておけば ダメになっても

また元に戻せるわけサー」と言った

沖縄には御嶽と呼ばれる場所が多くある

聖地というか大事な祈る場所だ

その場所には 素晴らしい建物や

荘厳な何かの像が立っているわけではない

ただ自然の岩や木があるだけだ

建物があったとしても祈るための

小さく小屋とも呼べない質素なものがあるだけだ

そこが本土とは違うのかもしれないが

そこに神がいるわけではない

その向こう側にいるのだ

だから出来るだけ 自然のままのほうがいい

オバーの家のそばにも御嶽があった

オバーが祈りを始めると 

僕がいつも知っているオバーではなくなる

なんだかとても近寄りがたくなるのだ

オバーについては 不思議な話はたくさんあるが

ここでは一つだけ話しておくと

僕が 子供のころから

「オバーは100歳で死ぬから」と言っていた

本当に100歳で亡くなったのだが

特に寝込んでいたわけでもない

一人で僕たちの暮らす島まで

船に乗ってくるほど元気だった

倒れる2週間まえに 突然葬式に使う写真を決め

葬式の役割分担も決めた

香典もだれも出してはいけないといい

自分が貯めたお金があるので

それで葬式をするように子供たちに言った

倒れる二日前に 美容室に行き髪を黒く染めた

オバーは知っていた 自分の死ぬ時を

自分に何かあって病院に入れられたら 

どんな理由があろうとも 

すぐに自宅に戻すようにと遺言を残していた

オバーが倒れて 病院で意識もなく機械につながれた時

オヤジが僕にオバーの遺言の事を話してくれた

「オバーの言うとおりにしようと思うサー」とオヤジが言った

呼吸器を外すと1時間ももたないと医者は言ったが 

オバーは自宅で四日間も生きていた

意識もなく ずっと寝たきりだったが

きっと僕たちにはわからないオバーの

ユタの最後の仕事が残っていたのかもしれない

そして病院でなく 自宅で子供や孫たちに囲まれ

最後の別れを告げたかったのかもしれない

僕はユタのオバーの孫だった事を誇りに思っている

彼女は特別な世界とこの世の両方を生きてきた

僕が知らない謎もとても多かった

だがユタである前に 僕の大事なオバーだった

僕の事を とても気にかけてくれる

大切な大切な優しいオバーだった

今もオバーの笑顔と優しさを忘れたことはない

生前 オバーはよく

「オバーが死んだらあの世で神様になって 

あんた達のことを守ってあげるからね」と言っていた

その言葉を聞くたびに僕は胸が詰まった

今 僕は毎日オバーやオジー達祖先に

感謝の言葉を心の中で告げる

そして家族の安全と幸福 悩み事などを祈る

その事は 嫁や娘にも話していないし

僕は 何か宗教をしている訳でもない

自然と 自分の中から出てきたものだ

心の中で オバーに祈っていると

「あいっ! ニヌファ オバーがついてるから

何も心配いらんよー」なんて

そんなオバーの元気な言葉が

なんだか 聞こえる気がするのだ
  


Posted by ★ニヌファ at 22:59Comments(0)★ 沖縄
 

2010年11月11日

★スゥエーデンからの手紙




























以前 僕と嫁はハワイにはまって


何度もハワイ旅行に行った


最初はそれなりのホテルに宿泊したが


何度か行くうち 無駄に高いホテルに泊まるのをやめた


オーシャンビューなだけで値段は格段に違ってくる


一日中ベランダで過ごすならいいが


毎日海岸に行くので 海が見える必要はなかったし


実は山側の景色もまたいいのだ


そして なにより値段もリーズナブルになってくる


僕たちが宿泊していたホテルは


長期滞在している人も多かった


おもに外国人の年配の人が多かった


毎朝 エレベーターで出会う年輩の女性と


僕たちは 挨拶を交わすようになり


ワイキキの浜辺でも一緒になった


彼女はスゥエーデンから来ていた


名前をステラと言った


僕たちも彼女も互いにたどたどしい英語での会話だった


ご主人を亡くし 毎年一緒に来ていたハワイに


一人で毎年一か月ほど滞在するとのことだった


僕たちが海に入っている間 荷物を見ていてくれたり


互いに写真を撮ったりした


日焼けをする午前中は だいたい一緒になって


浜辺でなんとなく話をして過ごした


いつもエレベーターで会うとニコニコと


笑顔で挨拶をしてきてくれて


嫁の笑顔をほめてくれたりした


嫁はハワイに滞在中 朝散歩しているときも


すれ違うハワイの方に笑顔で挨拶するので


みな笑顔で声をかけてくれた


僕もコミュニケーション能力は高いほうだと自負しているが


嫁のコミュニケーション能力は持って生まれたものだろう


才能といっても言い過ぎではない


以前病気で入院した時も 同室の人たち全員と仲良くなり


電話番号の交換は当たり前


一緒に食事に出かけたりもしていた


結婚式のドレスを見にたまたま入った


ウエディング用ドレスのレンタルショップでも


その日初めて会ったドレスを見に来た女性と


店を出た足でそのまま食事をして


年賀状のやりとりもしているほどだ


ハワイの宿泊先のホテルのフロントの女性とも


すぐに仲良くなってドーナツをもらったりしていた


そんな嫁からすれば 同じような波長をもった


スゥエーデン人の女性と仲良くなる事は


当たり前のことだったのだろう


ショッピングを終えてホテルに戻ると


ホテルの入り口でステラに会った


彼女はヨーグルトのビンか何かに


どこからか摘んできた花を一輪入れて嫁にくれた


そして 明日スゥエーデンに帰国するのだと告げた


嫁と2人で抱き合って泣いていた


写真を送るからと住所を交換した


帰国して僕たちは彼女に写真を送った


しばらくして自宅の花がたくさん咲いている


庭の前に立つ彼女の写真が同封された手紙が届いた


スゥエーデンに来たら自宅に泊まりに来てくれと


手紙には書いてあった


クリスマスカードも送ってきてくれた


届いたはがきの裏にある


スゥエーデンの美しい街並みを見ていると


彼女の優しい笑顔を思い出す


人の出会いとは 不思議でそして大事なものだと 


年を取るほどに思えてしょうがない


そういう出会いこそが 心の財産となる


僕は そう思うのだ




  


Posted by ★ニヌファ at 10:15Comments(4)★日々の雑談
 

2010年10月19日

★ Rainy Day
























「降りしきる雨音のリズムを聞くと


お前は何てバカなんだって言っているみたいだ


雨なんて消え去ってむなしく泣かせてくれればいいのに


もう一度ひとりにしてほしいのに



思いを寄せてたたった一人の彼女が去ってしまった


新しい出逢いを探しているけれど


彼女は知らない 去って行ったとき


ボクのハートも持って行ってしまったことを」



これは僕の好きな曲の一つ「悲しき雨音」の歌詞だ



オリジナルのカスケードの「悲しき雨音」は



実は あまり好きではないのだ



ハワイのバンド「Ka'au Crater Boys」の



「悲しき雨音」のカバーが 断然好きだ



オリジナルは曲のテンポが速いのに対し



Ka'au Crater Boysの方はウクレレの音色とともに



せつなく しっとり聞かせてくれる



甘酸っぱいナイーブな失恋の歌詞も素敵だ



「悲しき雨音」とは対照的だが



雨の日を どう過ごせば楽しいのか



ぼんやり 考えてみた



どしゃ降りの雨の日 仕事や出かける用事もなく



部屋には見たかった映画のDVDが3~4枚ある



ソファーに深く腰掛け 



隣には愛犬が寝ている



テーブルに食べ物や飲み物を並べ



映画を見る準備はできている



パーフェクトとしか言いようがない



映画でなく 読みたかった本でもいい



雨音をバックに深く本の世界に入り込みたい



もしくは誰にも邪魔されず



時間を忘れ趣味に没頭してるのもいい



家が海のそばなら ステレオから流れる



好きな音楽を聴きながら コーヒー片手に 



海に降る雨を 窓から眺めているのもいい



雨に濡れている公園の滑り台やブランコや



動物の形をした乗り物を見ると



なんだか切なくなるのは僕だけだろうか?



ともすれば うっとうしい雨の日だが



あなたは どう過ごす?

  


Posted by ★ニヌファ at 08:01Comments(0)★日々の雑談
 

2010年10月11日

★ 龍之介






















嫁の祖父と祖母が犬を飼ったのは


7~8年ほど前の頃だ


年寄なので子犬から育てるのは大変だと


成犬になった柴犬を 


嫁の母親の兄弟がもらってきた


工事現場の近くをウロウロしていた野良犬を


拾ってきたのだと言っていた


その犬に龍之介という名前を付けた


龍之介は虐待を受けていたのだろうと


龍之介を拾ってきた 嫁の母親の


2人いる男兄弟の弟が言った


龍之介は 人に対して不信感と恐怖を持っていた


おどおどして 目を合わせようとしなかった


それでも 嫁の祖父と祖母と 


嫁の母親の2人の男兄弟にはなついた


嫁と龍之介を散歩に連れて行ったことがある


やはり目を合わせようとはしなかった


龍之介はたまに家を抜け出しては


勝手に散歩に行くことがあった


困った事に 嫁の祖父や祖母は


龍之介に 自分たちの食べ物を


なんでも分け与えたり


龍之介のためといって


焼き鳥やチーズを買ってくる始末だった


おかげで龍之介も少し太り気味だった


ある明け方 龍之介が外に出たがっていたので


嫁の母親の男兄弟の兄が外に出してしまった


ところが いくら待っても帰ってこない


心配した 弟が車で近所を探し回ると


道路で車に轢かれ死んでいる龍之介を見つけた


龍之介が好きな犬がいる家のそばだった


その犬に会いに行く途中に


車にはねられたのだろう


龍之介の亡骸をもって帰ると


「なんで 外に出したんだよ兄貴!」と


弟は兄を怒鳴りつけた


庭に龍之介の亡骸を埋め


その上に石を置き 龍之介の墓と彫った


弟はその晩自宅に帰り 


息子と龍之介のことを思い 


泣きながら酒を飲んだ


嫁の祖父や祖父母は とても悲しんだ


生きがいを無くしたからだろうか


ふさぎ込んでいた祖父は認知症になり


その後 老人ホームに入所した


嫁の祖母は まだ自宅にいるが


彼女も追うように認知症となり


ホームヘルパーの世話になっている


自分の娘や嫁のことも 時々分からなくなった


ある午後 ぼんやりと外を眺めていた祖母が


「龍之介の声がする・・・」とつぶやいた



嫁の祖父母の家に行くと 


僕は娘と庭先の龍之介の墓に手を合わせる


虐待など受けず 信頼できる飼い主に


生まれ変わったら 出会えるように


そして出来る事なら


生まれ変わった嫁の祖父や祖母と


また出会えることを願いながら





  


Posted by ★ニヌファ at 09:21Comments(0)★日々の雑談
 

2010年09月23日

★遠距離恋愛


















大学生の頃に遠距離恋愛をした事がある



僕が大学で横浜に行くことになり



当時付き合っていた沖縄の彼女と遠距離恋愛になった



電話代も高く 長電話はなかなかできなかった



友人たちとの飲み会の後 寂しくなって 



電話ボックスから彼女に電話したものだ



沖縄生まれの僕には 身にしみる寒さの雪の夜



缶コーヒーで指先を温めながら



震える手でダイヤルを回した



彼女と話している間は 寒さも忘れた



公衆電話の上に 無造作に置いた



10円玉や100円玉が ガチャンガチャンと音をたて



どんどん無くなっていく



コインが無くなり 電話が切れるギリギリまで



僕達は 話し続けた



遠く沖縄と横浜をつなぐ電話線は



2人の心もつなげているような気がした



そんな遠距離恋愛を1年ほど続けたが



結局 僕達は別れてしまった



夏休みに 沖縄に帰った時



街で偶然 彼女を見かけた



女友達と一緒に談笑しながら歩いていた



僕は 声をかける事はなかった



沖縄の友人達と飲んでいる時



沖縄と九州で遠距離恋愛をしていたが



別れてしまったと 一人の友人が話した



彼は とても落ち込んでいた



「結局 遠距離恋愛なんてダメなんだよな・・・」と



グラスを飲みほした後に彼は言った



遠距離恋愛がダメな訳ではない



お互いが好きなら お互いが強く思っているなら



別れる事なんて無い 



結局 僕らも彼らも弱かった ただそれだけだ



彼は 遠距離恋愛がダメだと思う事で



自分自身を納得させようとしている



僕には そう思えた



恋人同士や夫婦には 付き合っていくうちに



お互い 試されるような事が起きる



それを 2人でどう乗り切るかが重要なのに



彼女 もしくは彼が 自分の事が好きかどうか



色々な方法で試す人がいる



そんな事をする人間は 僕は嫌いだ



これから 2人で乗り越えなければいけない事が



たくさん 待ち受けているのに



まだ 相手の事を疑っている



付き合ったり 特に結婚は



2人で手をつなぎ 真っ暗なトンネルに入って行く事だ



闇の中 前も後ろも見えず



お互いの姿さえも 見えなくなる事がある



それでも 互いに声をかけあい 励まし合って



しっかりと手をつなぎ続けていれば



出口という名の 光が見えてくる



僕は そう思う
  


Posted by ★ニヌファ at 10:45Comments(0)★日々の雑談
 

2010年09月03日

★過去への手紙




























まだ 中学生だった頃



大人になった自分へ手紙を書いた事がある



大人になった自分はどんな生き方をしているのか



どんな仕事をして どんな暮らしをしているのか



なんでも話せる親友はいるか?



悩みはあるのか?



そして 幸せか?



結局 バカバカしくなって破り捨ててしまったが



最近 その事をふと思い出した



中学生の頃の 悩みや思い



あの時は それが世界の全てだった



自分の明るい?未来に夢をはせた



時がたち 大人になった僕が



あの時の自分に手紙を返信するなら



僕は 何て書くのだろうか



元気か? 中学生の僕 



君は悩みのまっただ中で 身動きもできず 



自分を見失いそうになっているだろう



僕は君の悩みをよく知っている



そして 君がどれだけ傷ついているのかも知っている



なにから 話せばいいのか分からないが



大人になった 君だよ



僕は元気だ まだ生きているよ(笑)



君は いずれ島を出る



初めての一人暮らしと 自由を楽しむだろう



生活するという苦労や 仕事の悩みも出てくる



中学生の頃とは違う 嫌な事にたくさん出会う



まじめにやれば やっただけ



報われるなんて甘い夢だと知る



文句も言わずに働くと 回りのずるい奴らが



なんでも 嫌な事を押しつけてくる



偉い奴の機嫌をとる 君の軽蔑するような奴が



社会では うまく立ち回る



世の中に いい人間は本当に少ないのだと知る



だからこそ いい人間との出会いの大事さを知る



そうそう 恋愛も結構する(笑)



君は人を傷つけたり 傷つけられたりする



人を愛する事の辛さや 素晴らしさも知る



君が 思っていたような女性でなく



おしゃべりで 明るい女性と結婚する(笑)



それから 残念だが金持ちじゃない



ロックスターや有名人でもない



平凡なただの男になる



やりたい事もやっていない



色んな悩みもかかえている



君が思い描いたクールな大人でもない



むしろ 小学生の頃の自分のように



自分自身に素直になろうとする



それこそが 自分らしいんだと気づく



なんでも話せる親友は



君が子供を授かった頃に病気で亡くなる



オバーやオジーも亡くなる事は想像できるだろう



自分の先祖と自分が生きている事のつながりを知る



君は一人で生きているのではないと気づくだろう



君は また犬を飼うことができる



その犬は2年ちょっとで病気で亡くなるが



一生忘れられない思い出になる



たくさんの 出会いと別れがある



君は幸せなのだと思うのではなく



幸せなのだと 感じる事がある



全てが 思いどうりではない



思いどうりになっていない方が多い



あの時 君が友人の家の玄関から見た



友人の家族が笑いながら仲良く食事をしている風景



あの時の君の気持ち 僕はよくわかるよ



大人になった君が 一つだけかなえた事がある



あの時見た景色を 君は手に入れる



自分の帰るべき場所を手に入れるよ



オバーの家に 「家庭円満」と書いた



壁掛けがあっただろ?



あの時 君はダサいとバカにしてたけど



大人の君は あの言葉の大事さを知る



大人になると 社会の仕組みや生活や



色んな事を知るけど それはたいして重要じゃない



本当に大事な事は とても単純だけど 



すぐ見失ってしまうものだ



それは 君が子供の頃から変わらない



大人の僕が 君と会って話が出来るなら



話したい事がたくさんあるのだが・・・



そうそう 最後に一番ショックな事がある



ロック好きな君は ロン毛にあこがれ



高校生になると ロン毛になるが



大人の君は ボウズ頭だ(笑)



ずいぶん時間がかかったが



あの時やぶった手紙の返信だよ



君は この手紙をどんな顔で読むだろうか
  


Posted by ★ニヌファ at 22:44Comments(2)★日々の雑談
 

2010年08月16日

★ 永遠の星



































7月18日はニヌファが生きていれば



4歳の誕生日だった



ニヌファが亡くなって1年10ヶ月がたつ



まだ 娘が生まれていない頃



仕事を終えて 家への帰り道



アパートの入口までのなだらかな坂道の



坂の上に 嫁とニヌファが 



よく待っていてくれたものだ



自転車を押して帰って来た僕に



ニヌファが走って迎えに来てくれた



嬉しそうに 毛をなびかせながら



僕の所にかけてくる姿は今でも忘れられない



大はしゃぎで 僕に体を押しつけてきた



「パパ おかえりなさい あのね 僕ね 今日ね・・」



まるで そう話しかけているように見えた



仕事帰りの嫁をニヌファと迎えに行った事もある



嫁を迎えに行く事をニヌファは知っていて



歩くスピードがどんどん早くなっていくのだ



駅の出口の 英語のUを逆さにしたような



車止めに僕が腰かけ 僕の股の間にニヌファが座り



嫁の乗った電車が来るのを待っていた



その待っている姿が可愛いと



通る人に よく声を掛けられた



駅の出口から人が出てくるたびに



ニヌファがキョロキョロと嫁の姿を必死で探して



帰って来た嫁を見つけると 嬉しさではしゃぎまわり



リードを持つ僕の声も耳に入らず



僕をひきずりながら嫁の方へ走って行った



毎日の生活の中で 帰って来た時に



あれほど熱狂的に 迎えてくれるのは



犬以外に いないだろう



ニヌファが亡くなった直後は



ニヌファとの散歩道を通るのが辛くてたまらなかった



いつもの坂道が いつもの駐車場が



とても空虚な物に感じられた



まるで 見知らぬ町の見知らぬ家に



住んでいるような そんな気がした



ニヌファが亡くなってしばらくして



駅からバスに乗った帰り道



バスが ニヌファと歩いた散歩道を走った



窓から外をぼんやり眺めていた僕は 



胸が張り裂けそうになってしまった



一つ前のバス停でバスを降りると



我慢出来ずに着ていたシャツで顔を隠し



大声で泣きだしてしまった



通る人の事など気にもしなかった



ニヌファが走り回った駐車場や道を 



今 僕は娘と歩いている



その気持ちを どう言葉にしていいかわからない



今でも 駅に行くたびに



ニヌファと嫁の帰りを待っていた



車止めに目がいってしまう



ニヌファを亡くした後 思うのは



面倒を見てもらっていたのは



僕の方だったと言う事だ



仕事のストレスや 日々の悩み



誰にも言えない事もニヌファになら



なんでも隠すことなく話す事が出来た



ニヌファがいる事で 何度も救われた



彼は 僕の子供であり母親であり親友で



僕の心の奥底まで入ってこれる特別な存在だった



2年3ヶ月という短い時間しか共に過ごせなかったが



僕達には 忘れる事のできない時間だった



時が過ぎ 物事が変わっていこうと 



ニヌファとの思い出が色あせる事はない



それは僕の心の夜空に輝き続ける



永遠のニヌファ星(北極星)なのだから



ニヌファ 4歳の誕生日おめでとう
  


Posted by ★ニヌファ at 09:25Comments(2)★ニヌファ
 

2010年08月12日

★夏と休日とプールと


















元町プールは1930(昭和5)年に出来たらしい



地元横浜っ子も知らない人が多い



20代の頃に教えてもらい



それから気に入って通っている



にぎわっている元町商店街の裏道から



なだらかな坂を上って行くと



周りを木々に囲まれた元町プールがある



古臭く 時代に取り残されたようなプールだ



プールサイドの周りは階段状の段々になっていて



プールサイドはカンカン照りだが



階段状の部分は周りを木に囲まれているおかげで



日陰になっていて そこで読書をしている人もいる



湧水を使っているらしく 水がやけに冷たいが 



暑い夏の日には丁度いい



仕事を聞きたくなるような個性的な人や 



外国人や老人から子供までと幅広い層の人が来る



子供ばかりでうるさいプールは



落ち着かなくて好きではないが



元町プールは程よく 落ち着いた雰囲気がする



プールといえば 以前 



スポーツクラブでイントラをしていた時



朝のプールの掃除を終えた後



プールに飛び込み 底まで沈むと



プールの底から水面を眺めるのが好きだった



静寂の中 水面から差し込んだ日の光が



七色に輝きながら オーロラのようにゆらめいている



別世界の入口に立っている



そんな錯覚に陥り 水中にいる事を忘れ



長い時間沈んでいたりした



スタッフに「水死体かと思いました」と



よく冗談で言われたものだ




元町プールでは嫁とよく日焼けをした



女性は美白至上主義のような風潮があるが



僕は それを信じていない



化粧品会社の洗脳だとすら思っている(笑)



僕は 健康的な小麦色の肌が好きだ



バカみたいに日焼けしすぎるのもどうかと思うが



ハワイに行った時 現地の年配の女性は



日焼けしていたが魅力的だった



日焼けが 肌に色々な影響を与えるのも知っている



だが 色白だが魅力的でない女性もいれば



僕の知っている60代の女性は



テニスをしていて真っ黒で



女優なみに美しい人がいる



元スチュワーデらしいのだが



テニスの大会に出場しては優勝したりしている



早い話 肌の色の問題ではないということだ



多少 肌にシミがあろうがなかろうが



魅力のある人間はあるし ない人間はないのだ



色白にこだわり ドラキュラのように



日の光に過敏にならなくともいいと思う



先日 久しぶりに元町プールに娘と行った



昔 通っていた頃は まさか自分が



子供を連れてくるとは夢にも思わなかった



レジャーシートを敷き 来る途中に



100円ショップで買った子供用の浮き輪を出すと



娘が「うゎー!」と嬉しそうに言った



サーフパンツにビキニのブラを着た娘が



プールではしゃぐ姿が 僕にはまぶしかった



生命力に満ち溢れ 感情がほとばしっている



浮き輪につかまり 波に揺られながら



「パパ 楽しいね」と娘が笑顔で言った



それはまるで プールの上に広がる



真夏の青空を背景にしたポートレートのようだった



彼女の小さな手が僕の手を握りしめている



一瞬だが 永遠にも感じられる時間



遠い昔の 夏の記憶のページに挟まれた



モノクロの写真のように 



見るたび懐かしくも せつなく愛おしい



これからずっと この瞬間を思い出す時



僕はそんな風に感じるだろう



「パパ またプール行こうね!」



元町プールからの帰り道 娘が言った



「また 行こうな」僕は日焼けした額に



良く冷えたサイダーの瓶を押しつけながら



笑顔で 娘にそう答えた
  


Posted by ★ニヌファ at 12:57Comments(0)★日々の雑談
 

2010年08月03日

★Nさんのヤクルト






















「ねえ ちょっと 何か飲んできなさいよ」



そう言ってNさんが冷蔵庫からヤクルトを取りだした



Nさんは大正4年7月29日に静岡生まれた



小学校の時 新宿に移り住んだ 



高等学校を卒業後 日本橋の高島屋に務めた



「衣料品を売る ショップガールだったの



みんなに羨ましがられたのよ」と言った



当時は 新宿で遊びまわっていたらしい



22でお見合いし結婚した



旦那さんは 有名な岩〇書店で働いていた



「本ばかり読む つまらない人だったわ」と言った



旦那さんはガンで77歳で亡くなった



子供も男1人女2人いるが 



長男夫婦とは仲が悪く



娘達が住む近くに施設を探していて



うちの施設に入所してきた



緑内障で右目が不自由だ 



左の膝も悪くシルバーカーで



足を引きずりながら歩いている 



Nさんの居室に行くと お菓子や飲み物を勧められる



ヤクルトが好きで 冷蔵庫に常時20~30本入っている



入居者が お菓子や飲み物を勧めて来た時



2~3回は断るが まだ勧める時は受け取るようにしている



相手が不快に思う事があるからだ



敬語で話す相手もいれば 



タメ口でなれなれしく話す相手もいる



相手と距離をもっていたい入居者には敬語で



なれなれしく話したほうが 中に入っていきやすく



信頼関係が築きやすい相手には 



ため口で話すようにしている



もっとも 敬語で話す相手は3~4人くらいだが(笑)



僕は 良い介護士ではない



自分では そう自覚している



ただ 入居者と親しくなるのが得意というか



意識していないのだが 打ち解けるのが早い



今の施設も 働き始めて半年ほどたつ



他のスタッフも 言ってくれるのだが



「ニヌファさん 早いですよね仲良くなるの」と



僕は仕事で介護をしている



これは仕事だ 守らなければいけないルール



気をつけなければいけない事も承知している



でも 僕達は血のかよった人間同士だ



物を相手にしているわけではない



物差しで測ったように 決まりきった対応で 



入居者と接するのは抵抗がある



僕のように 多少はみ出た



ダメな介護士がいてもいいと思うのだ



「あたし もう死んじゃいたいわ」



そう言う入居者のセリフを



僕は何度も耳にする



注意を引きたくて言う場合もあれば



本気で言っている場合もある



帰れる家もなく 動かなくなっていく体に



日々薄れていく記憶 



自分が何を忘れているのかも分からなくなる



生きる気力もなく この先に何も待っていない



待っているものがあるとすれば死だけだ



Nさんもよく 「死にたいわ」と言う



「そんな事言うなよ 生きたいと願っても 



病気で死んでいく人だっているんだぞ



戦争で家族残して 死んでも死にきれない思いで



死んでく人だって いるんだぞ!」



そう答える僕は うしろめたい気持で目をそらしてしまう



生きる権利があるのと同じように



死ぬ権利だってある 



夫や妻に先立たれ 帰る場所も無くし



不自由な体と 混乱する記憶と



この先 自分がどうなって行くのかという不安



彼らが望む死を 偉そうに否定する僕は何者だろう



ボランティアで来た音楽学校を出たという



童謡や昔の流行歌を歌う女性の



美しい歌声と老人達の唄声が



窓の外に見える真っ青な夏空にとけていくのを



僕はぼんやりと眺めていた



クーラーのよく効いた部屋からは



外の熱気がまるでウソのようだ



つかの間の 今を忘れて嬉しそうに



ボランティアの女性と歌ったり



僕のバカバカしい冗談に腹を抱えて笑う老人達



その歌や音楽や笑いに特別な物を 僕は感じる



そこに ”生”を感じる



そこに 生きている温かみを感じるのだ



老人達に生きる希望を持たせようとか



彼らの思いを受け止めてなどと



介護の教科書に書いてある



身の程をしらぬ どこかのバカが書いたのだろう



彼らの気持ちは彼らにしか分からない



気持ちが分かるなどと不用意に言う人間も大嫌いだ



それは想像しただけで 何一つ理解できる訳がない



うわべだけの傾聴が すぐ見抜かれる事



人一人の気持ちを受け止めるという事が



どれほど容易な事ではないのか知らないのだろう



「え~っと あたし何話してたんだっけ?」



死にたいとずっと話していたNさんが



首をかしげながら言った



「Nさん また忘れちゃったの?」



僕の笑いながらのあきれ顔に



「あたしパーパーになっちゃったのよ



しょうがないわねー すぐ忘れちゃうのよ



そうそう あんたこれでも飲んできなさいよ」



そう言って冷蔵庫から良く冷えた



ヤクルトを取りだすと僕に差し出した
  


Posted by ★ニヌファ at 09:59Comments(0)★日々の雑談
 

2010年07月22日

★真夏のデート
























大学生の頃 夏休みに沖縄に帰省し


本島で友人達とよく待ち合わせして遊んだ


那覇のディスコで遊んでいた時


偶然 友人の同級生の女友達と会った


意気投合し 翌日デートすることになった


待ち合わせ場所に 5分ほど遅れて到着すると


歩道橋の上からバスターミナルに立つ彼女が見えた


白のワンピースに麦わら帽子をかぶり


手にバスケットを持っていた


100人中100人が「ああ 今日はデートですか!」


そう答える恰好だった


彼女がダサかった訳ではない 


ただ何十年も前からのデートの定番のような格好に


なんだか 僕は急に気恥しくなった


「おまたせー」と少し裏返った僕の声に


彼女が笑顔で振り向いた


そのなんのとまどいもない笑顔に


僕は 恥ずかしさで一杯飲みたい気分になった


4人でのデートだったので もうひと組のカップルの


友人達がすぐに 車で迎えに来てくれた


僕と彼女は車の後ろの席に座った


ドライブ中の車の中で 彼女が


「ポッキー食べる?」と聞いたので「うん」と答えると


バスケットからポッキーを取り出し


「あ~ん」と言って僕の口にポッキーを入れた


照れくさくて バカみたいに大口を開けて食べようとすると 


バックミラーごしに運転する友人と眼が合った


「お前 今見てたろ」と僕が言うと


「いや 見てないよ」と友人が答えた


「絶対見てた」「見てない」をしばらく繰り返し


友人が助手席の女の子に「俺も あ~ん」と言って口をあけた


「ゴメン ポッキー持ってないんだ・・・」とその子が言った


車内が爆笑になり みんなの緊張もとけた


しばらくドライブをして 


それから彼女達が作ってきてくれた弁当を


砂浜に腰かけ海を見ながら食べた


ラジカセからイーグルスの


”Take It To The Limit”が流れていた


途中 風に飛ばされた彼女の麦わら帽子を


おにぎり片手に海まで追いかけた


その後街に戻ると バーでビリヤードをした


ビリヤードが初めてだという彼女に


少し教えたのだが なんだかテニスの


ヤらしいインストラクターみたいに思えて


僕は すぐに席に戻ってしまった


「やってれば すぐに出来るよ」


そう言ってテーブルのペプシコーラの瓶を飲みほし


店の古いアメリカ製のジュークボックスに


コインを入れ スイッチを押した


おかしな動きで機械がレコードを選ぶと


針がゆっくりと レコードにおりた


店内にジャクソンブラウンが流れる


その日が沖縄最後の日で


明日から 横浜に戻らなければいけなかった


ジュークボックスまで彼女が来ると


「明日 帰っちゃうんでしょ 住所教えてね」と言った


彼女達を車で送った帰り


僕は車の窓を開け 南国特有の


もやっとしたような甘ったるい風を車内に入れた


遠くにA&Wのネオンサインが見える


僕も 友人もあまり口をきかなかった


おしゃべりで 今の気分を壊したくなかった


ホテルの前で車を降りると


「じゃ またな」そう言って友人と別れた


それから何日かして 横浜の僕の家に


彼女から手紙が届いた事があるが


それっきり 会う事はなかった


彼女と何かあったわけでもなく


激しい恋愛をしたわけでもないが


今でも夏になると ふと思い出す事がある


白いワンピースと麦わら帽子で


バスターミナルに立つ彼女の姿を
  


Posted by ★ニヌファ at 16:38Comments(0)★ 沖縄
 

2010年07月07日

★口裂け女騒動






















子供の頃 口裂け女が流行った


コートを着ているとか 「私綺麗?」と聞いてくるとか


綺麗だと答えないと殺されるとか


なんの根拠もない都市伝説だったのだが


当時の子供達は 恐怖のズンドコ 


イヤ 恐怖のどん底だった


当時僕はメガネを掛けていた


朝 目が覚めると置いてあったメガネが


ベッドから落ちたのか壊れていた


メガネ屋でメガネを買うことになり


僕は学校を休んでメガネを買いに行った


翌日 学校に登校すると


学校中 僕の話題でもちきりだった


「ニヌファが 口裂け女に襲われて


メガネを壊され 命からがら逃げたらしい」という


ワイドショーのような話になっていた


「南の果ての こんなちっぽけな島に


口裂け女が来るわけねーだろ!」と思ったが


皆の恐怖はピークに達していた


下校時は一緒に帰ろうと


友達同士で声を掛け合っていた


一緒に帰る友達がいない子達は


パニック状態になっていた


最初はバカバカしかった僕も


だんだんと面白くなってきた


僕のクラスの女の子に 帰る友達もいない


パニック組の一人がいた


その子が「ニヌファ君 口裂け女に襲われたんでしょ?」と


半泣きになって聞いてきた


「そうだよ すげー怖かった 赤い口紅投げつけて 


口裂け女がそれをぬってる間に逃げ出したんだ」と


思いつきの出まかせを言った


四角い I Padそっくりの顔をしたその子に


「下校時間なのに学校に残っている子の所にも


行くって口裂け女が言ってた」と付け加えた


その子は半狂乱になり


大声で 泣きながら教室を飛び出して行った


悪戯のつもりが I Padが大泣きしてしまったので


ウソだと言おうと外に出たが


I Padはウサイン・ボルト並みの足の早さで


土煙をあげ 走り去った後だった


廊下に片方ひっくり返った上履きを残して・・・


嫁にも聞いたところ やはり嫁の学校でも


同様の口裂け女騒動が起こっていた


下校時に みんなで走って帰ったらしいのだ


学校に 飼っている魚を見せるために


水槽ごと持ってきていた友人が


水槽をかかえ 水をタップン タップンさせ


ワーワー泣きながら よろめく足で


みんなの後を必死に追いかけていたらしいのだ


何故 このタイミングで水槽なんか


学校に持ってきたのか理解できないが


そういう 少しグズな子だったと嫁が語った


さて I Padはその後転校してしまい


僕は 謝る機会を無くしてしまった


今でも 彼女の心の中には


小学生の頃の 口裂け女の事件が


シマウマ イヤ トラウマとなって


残ってはいないだろうかと


ひっくり返った靴を 見つけるたびに


僕はI Padの事をすこし心配になってしまうのだ
  


Posted by ★ニヌファ at 17:29Comments(0)★ 沖縄
 

2010年06月13日

★ 人と人



















「こんにちは!」そう僕が挨拶すると


ジロッと睨みつけ かすかにうなずき


プイとその場から車椅子で離れていった


それがFさんとの初めての出会いだった


大正9年1月10日に横浜にFさんは生まれた


昭和16~18年に軍隊に入隊した


昭和20年5月29日に空襲で焼け出された


横浜で港湾の荷物関係の商売を始め


58歳で引退したが船を所有していたので


それを貸して 家賃で生計をたてた


男2人女1人の子供がいるが


頑固な性格な為 子供達が一緒に暮らせないと


奥さんは長男と同居しているが


Fさんだけ老人ホームに入所する事になった


ウチで二件目のホームだった


Fさんは癌だ 高齢の為手術もできない


癌の末期だと 本人が知っているかどうかは知らないが


癌である事は 知っているらしい


僕は今年の2月に 今の老人ホームに入社した


入所者も32人ほどの小さな施設だ


職員2人で利用者の入浴を担当するのだが


入浴当番はやる事も多く 暑い風呂場の中で


介助と更衣 事故の注意などで


汗だくになってしまう


頑固なFさんは長年いる気の許せるスタッフしか


入浴の介助をさせない


長年いるスタッフと一緒に入浴の介助をしたのだが


Fさんは口もきいてくれなかった


この仕事をしていると思うのだが


色々な介護の考えがあると思う


受け止めろとか 傾聴しろとか


生きがいを見つけさせろとか


その言葉を聞くたびに 何様のつもりなのだろうか?


僕はいつもそう感じる


どういう目線からそんな言葉が出て来たのだろうか?


自分達よりもはるかに長く生きてきた人間に対し


その半分も生きていない僕達が


偉そうに 何をしようというのだろうか


現場で感じるのは 人間対人間だと言う事だ


気の合う入居者もいれば


気の合わない入居者もいる


人間同士だ あたりまえの事だ


その中で お互いに少しでも近づけるように努力する


ホームの中だけでなく 社会や近所もみな同じだろう


今の老人ホームという形の中では出来ないが


ケンカしてもいいと思っている


機械でなく人間同士の付き合いだ


いい時も悪いときもひっくるめての付き合いだ


入居者の老人達がホームで暮らせる時間は


平均3年ほどだと何かで読んだ事がある


ここは自分の家に居場所を無くした


彼らの最後の住みかだ


色々な人生を生きて来た彼らが


最後の時間を過ごす場所だ


そこに彼らの居場所を作れたらいいと思う


座布団を敷き ここにあなたはずっといていいんですよと


そう言って 彼らが自分の場所 自分の席だと


感じてくれて そこで怒り 笑い 泣き


過ごしてくれればいいと思う


Fさんの居室を掃除した時


以前ビル管理の仕事をしていた僕は


部屋の掃除は手慣れたものだった


他のスタッフよりも綺麗に掃除をした


Fさんが「うまいもんだな・・。」とだけつぶやいた


それからFさんは居室の掃除は


僕を指名するようになった


5月の中頃に Fさんは僕に


入浴の介助をさせてくれるようになった


2度目の入浴の介助を終えて


車椅子を押しながら Fさんの居室に送って行った時


「これお前さんにやろうと思ってよ 用意してたんだよ」


そう言って黒糖入りの飴をくれた


お礼を言ってFさんの居室を出ると 


僕は包み紙をはがし 飴を口に放り込んだ


それはシンプルな味だったが


僕の心に心地よく沁みる甘さだった
  


Posted by ★ニヌファ at 20:57Comments(4)★日々の雑談
 

2010年06月02日

★Who Am I























中学や高校生の頃は自分が何者なのかという事で


悩んだり 考え込んだりしたものだ


あの時期特有の流行りの病のようなものだろうか?


社会に出ると どう生きていくかで必死だった


自分が何者なのかは 自分が決めればいい


自分がそう思ったらそれでいいと思う


自分が何者なのか? 


何か大きく壮大な謎にも聞こえるが


理屈っぽく 暇人が考えそうな事にも聞こえる


僕は 社会に出てからその事は


特に考え込むことなどなかったが


結婚式の時 姉が話してくれた


おふくろの父親とその弟が


戦争で亡くなった時の話しや


その後のおふくろや祖母の苦労した話や


僕の先祖達の話を聞いた時に


自分が何者なのか知った


僕は はるか彼方から続いてきた


沖縄の先祖達の命と血を受け継いだ者だ


太陽と海と祖先達の祈りとともに


それは今僕の中にある


そして それは僕の娘が受け継いでいる


あたりまえの事をいまさらと思われるだろう


誰だって みんなそうだと思われるだろうが


本当の意味で実感したのは


その時がはじめてだった


それは知ったのではなく 感じたのだ


僕は 欠陥だらけの人間だ


ただの普通の男で 嫁と娘がいて


幸せになりたいと願って日々もがいている


世間の多くの人達の中の一人だ


自分らしさも 考え過ぎてしまうと


自分らしいと言う檻に閉じ込められ 


身動きがとれなくなってしまう


自分らしさとは 本当は考えて出てくるのでなく


感じるものかもしれない


人生は 白か黒かだけで


分けられるほど単純な物ではない


悪い意味でなく グレーも他の色も多く存在する


白か黒かでばかり物事を考えていると


その間から滑り落ちてしまう事もある


僕はいい加減な男だ 


いや いい加減さを勉強中と言った方が


しっくりくるだろうか


若い頃と違い そのいい加減さが 


大事な時があると言うのも知っている


受け流したり 切り替えたり


くよくよせずに やって行く事は大事な事だ


簡単な事ではないが・・・


経験や成長は別にすると


僕自身は 小学校の頃から


あまり変わっていない気がする


ぶっちゃけて言うと 今思うのは


自分らしいかどうかよりも


家族と幸せになれればそれでいいと思う


悩もうと 悩むまいと


結局の所 自分は自分だ


自分探しの旅になんか行く必要はない


自分はどこかにあるものではないからだ


自分は 自分自身の中にしかいない


人は いい意味でも悪い意味でも


その人以外にはなれないのだから
  


Posted by ★ニヌファ at 20:40Comments(2)★日々の雑談