2010年08月03日
★Nさんのヤクルト

「ねえ ちょっと 何か飲んできなさいよ」
そう言ってNさんが冷蔵庫からヤクルトを取りだした
Nさんは大正4年7月29日に静岡生まれた
小学校の時 新宿に移り住んだ
高等学校を卒業後 日本橋の高島屋に務めた
「衣料品を売る ショップガールだったの
みんなに羨ましがられたのよ」と言った
当時は 新宿で遊びまわっていたらしい
22でお見合いし結婚した
旦那さんは 有名な岩〇書店で働いていた
「本ばかり読む つまらない人だったわ」と言った
旦那さんはガンで77歳で亡くなった
子供も男1人女2人いるが
長男夫婦とは仲が悪く
娘達が住む近くに施設を探していて
うちの施設に入所してきた
緑内障で右目が不自由だ
左の膝も悪くシルバーカーで
足を引きずりながら歩いている
Nさんの居室に行くと お菓子や飲み物を勧められる
ヤクルトが好きで 冷蔵庫に常時20~30本入っている
入居者が お菓子や飲み物を勧めて来た時
2~3回は断るが まだ勧める時は受け取るようにしている
相手が不快に思う事があるからだ
敬語で話す相手もいれば
タメ口でなれなれしく話す相手もいる
相手と距離をもっていたい入居者には敬語で
なれなれしく話したほうが 中に入っていきやすく
信頼関係が築きやすい相手には
ため口で話すようにしている
もっとも 敬語で話す相手は3~4人くらいだが(笑)
僕は 良い介護士ではない
自分では そう自覚している
ただ 入居者と親しくなるのが得意というか
意識していないのだが 打ち解けるのが早い
今の施設も 働き始めて半年ほどたつ
他のスタッフも 言ってくれるのだが
「ニヌファさん 早いですよね仲良くなるの」と
僕は仕事で介護をしている
これは仕事だ 守らなければいけないルール
気をつけなければいけない事も承知している
でも 僕達は血のかよった人間同士だ
物を相手にしているわけではない
物差しで測ったように 決まりきった対応で
入居者と接するのは抵抗がある
僕のように 多少はみ出た
ダメな介護士がいてもいいと思うのだ
「あたし もう死んじゃいたいわ」
そう言う入居者のセリフを
僕は何度も耳にする
注意を引きたくて言う場合もあれば
本気で言っている場合もある
帰れる家もなく 動かなくなっていく体に
日々薄れていく記憶
自分が何を忘れているのかも分からなくなる
生きる気力もなく この先に何も待っていない
待っているものがあるとすれば死だけだ
Nさんもよく 「死にたいわ」と言う
「そんな事言うなよ 生きたいと願っても
病気で死んでいく人だっているんだぞ
戦争で家族残して 死んでも死にきれない思いで
死んでく人だって いるんだぞ!」
そう答える僕は うしろめたい気持で目をそらしてしまう
生きる権利があるのと同じように
死ぬ権利だってある
夫や妻に先立たれ 帰る場所も無くし
不自由な体と 混乱する記憶と
この先 自分がどうなって行くのかという不安
彼らが望む死を 偉そうに否定する僕は何者だろう
ボランティアで来た音楽学校を出たという
童謡や昔の流行歌を歌う女性の
美しい歌声と老人達の唄声が
窓の外に見える真っ青な夏空にとけていくのを
僕はぼんやりと眺めていた
クーラーのよく効いた部屋からは
外の熱気がまるでウソのようだ
つかの間の 今を忘れて嬉しそうに
ボランティアの女性と歌ったり
僕のバカバカしい冗談に腹を抱えて笑う老人達
その歌や音楽や笑いに特別な物を 僕は感じる
そこに ”生”を感じる
そこに 生きている温かみを感じるのだ
老人達に生きる希望を持たせようとか
彼らの思いを受け止めてなどと
介護の教科書に書いてある
身の程をしらぬ どこかのバカが書いたのだろう
彼らの気持ちは彼らにしか分からない
気持ちが分かるなどと不用意に言う人間も大嫌いだ
それは想像しただけで 何一つ理解できる訳がない
うわべだけの傾聴が すぐ見抜かれる事
人一人の気持ちを受け止めるという事が
どれほど容易な事ではないのか知らないのだろう
「え~っと あたし何話してたんだっけ?」
死にたいとずっと話していたNさんが
首をかしげながら言った
「Nさん また忘れちゃったの?」
僕の笑いながらのあきれ顔に
「あたしパーパーになっちゃったのよ
しょうがないわねー すぐ忘れちゃうのよ
そうそう あんたこれでも飲んできなさいよ」
そう言って冷蔵庫から良く冷えた
ヤクルトを取りだすと僕に差し出した
Posted by ★ニヌファ at 09:59│Comments(0)
│★日々の雑談