2011年04月05日
★祝いの夜

まだ子供だった頃
オジーやオバーの家や 親戚の家で
祝い事がある夜は楽しくて仕方がなかった
オカーやオバー達が忙しく料理の準備をしながら
女性達だけでの井戸端会議に花が咲き
子供たちはみんなで走り回り
お腹が減れば祝いの料理を食べ また遊ぶ
祝いの夜は何時まで遊んでも叱られない
遊び疲れ眠くなった子供から順番に
バタバタと倒れていく
年上の子たちがその子たちの面倒を見て
同じ部屋に運んで寝かせてやる
祝いには必ず豚を1頭つぶした
豚を解体するのも親戚のおじさん達
生きている豚をつぶすので
子供たちには見せなかったが
豚のプギープギーと泣く声が聞こえると
子供ながらに怖かった
祝いの最初に線香の煙の中
ユタのオバーが祈る姿を見るのが僕は好きだった
オバーの祈りが始まると
それまでの騒々しさがピタリと止んで
周りの大人達も一言も口をきかない
オバーの祈りの声だけが響く
静かで力強く 心地よくも凛とした祈りだ
いつも見慣れているオバーが
その時は別の世界の人間に見えたものだ
オカー達が庭に作った大きなかまどに
巨大な鍋を何個も並べて料理を作っていた
沖縄の親戚の数はハンパではない
家の中だけでは入りきらず
庭に大きなムシロを何枚も引き
そこでもみんなが星空の下
料理を食べ酒を酌み交わし
三線をひき島唄を歌い 指笛を鳴らし
オジーもオバーもオトーもオカーも
ニィニィもネェネェも子供も踊った
沖縄人の血の中には音楽が流れている
三線の音と島唄が流れているのだ
それははるか昔の琉球の頃から変わる事はない
島唄が聞こえると体がじっとしていられないのだ
大和(沖縄人は本土の事をそう呼ぶ)に大学で来た時
アルバイトをしていた僕は
たまたまラジオから流れてきた
「月ぬ美しゃ」という沖縄の古い民謡を聞いた時
体中の血が逆流した
島が僕を呼んでいると思った
大げさな表現かもしれないが僕にはそう思えたのだ
当時 沖縄は今のようにブームでもなく
沖縄音楽がかかることすら珍しかった
島に住んでいたころは当たり前でも
島から離れ遠く大和の地にいると
とたんに島が恋しくて恋しくて仕方なくなる
言葉の通じる外国にいるような気持ちだった
夜も更け 祝いの夜が終わるころには
酔いつぶれて寝ている者 千鳥足で家に帰る者
寝た子供を背負って帰る者色々だった
オカー達が片付け物を終えるのは
明け方になることもある
今でも覚えているのは
立ち込める料理と泡盛の匂いと
オバーの祈りの声と
祝いの夜にどこからともなく聞こえていた
美しくも優しい 三線の音と島唄を歌う声だ
Posted by ★ニヌファ at 22:21│Comments(0)
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