2011年09月01日

★血よりも強く

★血よりも強く





















Mさんは明治2年8月25日に横浜に

8人兄弟の末っ子として生まれた

港近くの貿易商に30歳まで働いた

昭和63年に旦那さんが亡くなった後

一人暮らしでデイサービスや

訪問介護を利用していたが

怪我をして入院してから体力の低下もあり

娘さんが心配して施設に入所した

心臓も悪く酸素ボンベと

鼻につけるカニューラをしている

芝居や歌舞伎 映画が好きで

明るく さばさばした性格だ

他の入所者と話をしていても

「そんなこと今さら言って

クヨクヨしてもしょうがないじゃない

暗い話をするのはあたしは嫌いよ」と

本当にさばさばした人だ

高校野球が好きで「若い人が一生懸命

スポーツしてるの見るのは好きよ

だってすがすがしいじゃない」と

笑顔で僕に話してくれた

歌が好きでボランティアの方が歌う唄に

手拍子や「よいしょ!」と合いの手を入れて

本当に楽しそうだった

入浴の誘いに僕が行くと

「今日は疲れていきたくないのよ

あんた うまく言ってやっといてよ」

そう言っていたずらっ子みたいに笑った

「もうしょーがないなー Mさん今回だけだぞ」

僕はそういったがその後何度かやられた(笑)

彼女はガンの末期だった

Mさんは少しずつ具合が悪くなり

ベッドから起きられなくなった

老人ホームにいると感じるのだが

彼らの時間は早く流れる

もちろん年齢も年齢だし当たり前なのだが

少し具合が悪くなるとみるみる落ちていく

Mさんは食事の量もだんだん減っていった

Mさんの食事介助の時は

色々くだらない話や冗談を言って

2人でよく笑いあった

Mさんの居室から帰るとき

いつも「またサボりにくるからさ」と

最後にそういって部屋を出るのが

僕は恒例になっていた

食事もスプーン1杯しか食べられなくなったMさんが

「あたし達って幸せだと思わない?」

そう僕に言ってきた

水分を運ぶ手を止め「なんで?」と僕が答えると

「だって 食べたいものたべられてさ」

Mさんが僕を見つめながら言った

ほんの少ししか食事がとれなくなった

Mさんのその言葉に

僕はなんだか切なくなってしまった

Mさんはさらに状態が悪くなり

肺も片方がダメになった

鼻に差し込むカニューラでなく

鼻と口を覆う酸素マスクを使用し

酸素の量も増やされた

食事はまったく取れなくなり

ゼリーだけしか摂取できなくなり

声も出すことができなくなった

食事介助でゼリーをMさんに飲ませていた時

いつものように僕はくだらない話と

バカバカしい冗談を言っていた

いつもと違うのは僕だけが喋っていることだ

それでもMさんは目だけで答えてくれた

目を大きくしたり細くしたりして笑ってくれた

介助を終えてMさんの居室を出る時

僕はいつものように「またサボりにくるからさ」と

ドアの所でMさんに声をかけると

声の出なくなったMさんが

酸素マスクに覆われた口で

「ま・っ・て・る・よ・・」と

声のない言葉で僕を見ながら言ってくれた

それから3日後Mさんは目さえも開けなくなった

脱水による高熱で苦しそうに肩で呼吸していた

家族は看取りを希望していたので

病院に入院することはなかった

Mさんの娘さんは毎日仕事帰りに来ていたが

具合がさらに悪くなってからは毎晩泊まっていた

Mさんと娘さんは本当に仲が良くて

具合が良かった頃はいろいろ食べ物を持ってきてくれて

僕たちにもよくおすそ分けをしてくれた

前にMさんの一人娘が

実は本当の子供ではないと聞いたことがあった

Mさんの旦那さんが再婚で連れてきた子供だったらしい

そのことをMさんはこう言っていた

「あたしが子供産んじゃったら 

あの子と自分の子を比べちゃうでしょ

そんなことしたら可哀そうじゃない

だから子供は産まなかったの」と

Mさんらしいやと僕は思った

そのことを娘さんも知っていた

娘さんはその思いを知っていたから

Mさんの事をとても大切に思っていた

娘さんとMさんを見ていると

血のつながりだけが家族ではないと思い知らされる

高熱が続いていたMさんが亡くなったのは

それからしばらくしてからだ

朝7時に連絡があり僕はすぐに施設に行った

Mさんの体をスタッフ何人かとふき

ナースが処置を終えると

娘さんも一緒に着物を着せた

みんなで生前のMさんの事で

冗談を言ったりして泣き笑いだった

Mさんは本当はもっと早くに亡くなっていたと思う

娘さんが一生懸命看病していたので

それを気遣って頑張ってくれたのだ

Mさんが亡くなった日は

くしくもMさんの誕生日だった

まるで「もうけっこう頑張ったからいいでしょ

あんたも元気にやっていきなさいよ!」

そうMさんが娘さんにいっているようだった

施設で働くと人は気持ちでも

死ぬことがわかるようになる

色々な病状もあるが最後のギリギリの所で

僕たちはそれを感じそれを見る

科学的な根拠などないが本当にそう思うのだ

Mさんが亡くなった夜

仲の良い女性スタッフからメールが来た

「寂しいね・・」とメールに書いてあった

Mさんが僕に「まってるよ」と最後に言ってくれたこと

その後居室を出て廊下で泣いたことをメールで送った

スタッフも家族もいろいろな夜を過ごしているのだ

しばらくして彼女からメールの返信があった

「また 泣けてきた・・・」と












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Posted by ★ニヌファ at 21:39│Comments(0)★日々の雑談
 
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