2012年07月07日
★紫陽花

浜崎さん(仮名)は名古屋で女二人男三人の
5人兄弟の一人として生まれた
旧家の出で何不自由なく育ったそうだ
結婚し横浜で暮らし子供3人を授かった
旦那さんを癌で亡くした後は
次女と三年ほど暮らしたが
気を使うのが嫌だと自宅に戻り
一人で暮らし始めた
70歳の頃まではボランティアや
民生委員をしていたそうだ
その後知人や友人が相次いで亡くなった事や
動脈硬化の発作を起こしたこともあり
一人で暮らすことに不安を覚えていた
長男と暮らしたかったが
長男宅には妻の母親が暮らしているため
暮らすことはできなかった
それで僕の働く施設へ入所してきた
掃除好きで部屋はいつもきれいにしていた
同じ入居者の吉田さん(仮名)と仲が良く
いつも一緒に過ごしていた
浜崎さんは物忘れがひどく
特にお風呂に入ったことを忘れてしまい
よくお風呂に入れてもらっていないと
スタッフに詰め寄っていた
僕は浜崎さんが入浴の訴えが出るたびに
入っている事を説明した
初めはそんなはずはないと
浜崎さんは言っていたのだが
過去の入浴表や一緒に入った入居者の言葉に
「なんで忘れちゃうんだろう」と
落ち込んだように答えた
「浜崎さん 年取って物忘れがひどくなるのは当たり前だろ
物覚えがどんどん良くなっていったら気持ち悪いよ
浜崎さんが忘れても俺たちが覚えているから大丈夫!」と
周りのスタッフや入居者と笑い飛ばすと
「そうだね お願いね」と笑顔で答えてくれた
年を取ったんだから物忘れぐらいしょうがないと
笑い飛ばしてほしいと思っている
もちろんすべての入居者にあてはまるわけではない
言ってもいい人もいればよくない人もいる
年をとりおとろえていく人間の気持ちを
その年齢の半分にも満たない介護士や
他の人間にわかるわけがない
僕達は入居者と人間として向き合い
そして何度も自分自身とも向き合うことになる
自分の人間的未熟さ 弱さ 冷酷さを思い知る
時にはこの仕事が大嫌いだと思う事もある
浜崎さんの腹部にしこりがあるため
浜崎さんと娘が病院へと出かけて行った
病院から帰っきた娘が玄関先で迎えた職員に
隣でしょぼくれる浜崎さんをしりめに
「癌なんだって~!!」と笑いながら話した
僕たちは信じられない思いで娘を見た
浜崎さんの娘は看取り介護を希望した
看取りとは具合が悪くなっても病院には行かず
施設で自然に最後を迎える事だが
浜崎さんは癌だ かなりの痛みがでてくる
それを抑えるには介護施設では無理だ
病院やそれなりの施設で最後を迎えるべきだと
ナースや職員が説得したが娘たちは聞き入れず
追い出すつもりなら訴えると怒鳴り込んできた
結局 浜崎さんは看取りとなった
「浜崎さんの娘さん お金使いたくないのかな?
なんで病院に連れて行かないんだろう
浜崎さん癌だよ すごい痛みが出てくるのに
信じられないよ 実の娘だろ…」
僕たちは納得がいかなかった
それから浜崎さんは食事もとれなくなった
腹部の腫瘍も大きくなり皮膚が破れ血がにじみ始めた
「えらいよ えらいよ」と浜崎さんはよく言った
つらいという意味で浜崎さんの田舎の言葉らしい
ふくよかだった浜崎さんがげっそり痩せ
骨と皮だけになった
食事もとれないので水分だけでもと
スタッフが浜崎さんの部屋に行くたびに
すいのみで水分をすすめたが
それも飲めなくなってきた
どす黒い血と老廃物が混ざったものを吐き
同じものが下からも出てきた
腫瘍が小腸や他の器官と癒着していて
「お腹の中がグチャグチャになってるのよ」とナースが言った
僕が浜崎さんの部屋に入った時も
彼女は2度吐血した
彼女のパジャマを着替えさせると
細くやつれてしまった腕を伸ばし
「えらいから 手を握ってて…」と僕に言った
浜崎さんの手を握ると僕はたまらない気持ちになった
これは看取りじゃない 見殺しだ
スタッフは時間があれば浜崎さんの部屋に
なるべく顔を出すように心がけたが
忙しい為 痛みで心細くなった浜崎さんを残し
部屋を出ていかなければならないのが辛かった
仕事を終えた後 浜崎さんの部屋で
手を握りしばらく過ごした
苦痛の為呼吸も荒くなった浜崎さんに
他愛のないことを話した
僕たちは浜崎さんの部屋に童謡をかけたり
アロマポットを置いたりした
痛みに苦しむ浜崎さんに何かできないか
ケアマネと相談した
浜崎さんは花が好きだったので
浜崎さんと仲が良かった吉田さんと
庭から紫陽花をたくさん摘んできて
浜崎さんの部屋に持って行った
「浜崎さん 紫陽花だよ きれいだろ!」と
僕たちが声をかけると浜崎さんは
痩せ細った手を伸ばし紫陽花の花にふれた
ハアハアと荒い息をする
浜崎さんの顔に笑顔が見えた
僕は事務所に頼んで浜崎さんのアルバムを借り
浜崎さんのベッド横でアルバムを見せながら
写真の説明をすると浜崎さんが
目を見開いてアルバムを弱弱しくめくった
バカバカしいだろうが僕たちには
そんなことしかできなかった
その日の午後浜崎さんの長女と
次女長男が浜崎さんに面会に来た
午後4時頃だ 家族から浜崎さんの
具合がおかしいと職員に声がかかったので
僕はナースと共に浜崎さんの部屋に入った
目を見開き口は開けっ放しの浜崎さんの姿が見えた
一目で浜崎さんが亡くなっているのが分かった
浜崎さんの顔を覗き込むと
首元に嘔吐の跡があった
同じ部屋に3人も家族がいながら
何故彼らは嘔吐したことに気付かないのだろうか
呆然と浜崎さんの遺体を見る僕の隣で
浜崎さんの長女が携帯電話で
「もしもし~ 今死んじゃったー!」と
冗談でも話すかのように電話していた
ドクターが到着し死亡の確認を終えた後
僕達職員とナースで浜崎さんの体を拭き
着物に着替えさせた
その間家族は外で待っていたのだが
僕はこの瞬間をとても大事にしている
僕たちは浜崎さんの家族ではないが
浜崎さんと関わってきた人間として
この瞬間だけは僕達だけの
時間にして欲しいと思う
最後に浜崎さんをきれいにして送り出したい
それは介護職員だからとかではない
浜崎さんを見てきた一人の人間としてだ
浜崎さんの口の中をスポンジブラシで掃除すると
のどの奥に茶色の嘔吐物がたくさん取れた
詰まって亡くなった可能性が高い
あの家族は同じ部屋にいて
浜崎さんに寄り添う事もなく
いったい何をしていたんだろうか?
携帯をいじっている姿しか僕たちは見ていない
ただこれ以上浜崎さんが苦しむことなく
楽になったことは不幸中の幸いだ
入居者の方々が最後の別れをした
特に仲が良かった吉田さんは号泣だった
みんなで施設の玄関から
浜崎さんの遺体を乗せた車を見送った
夜7時過ぎ 就寝介助を終え
僕は一人浜崎さんの部屋を訪れた
部屋と言うのはそこに暮らす人がいてこそ
その人の部屋だと言える
たとえその人がそこに居なくとも
その人の気配なりなんなりを感じられる
その人が亡くなると同じ部屋なはずなのに
突然 気配というか存在感が消え失せ
まるで違う場所に来たかのような
不自然な違和感を感じてしまうものだ
ベッド横のサイドボードの上で
紫陽花の花が 今朝摘んできた時と
変わることなく花瓶に咲いていた
その花にふれた浜崎さんは
もういなくなってしまったというのに
Posted by ★ニヌファ at 21:39│Comments(0)
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