2012年06月07日
★Lostness

H君が僕の働く介護施設に来たのは
8ヶ月ほど前の事だ
体が大きく真面目すぎるほど真面目で
コミュニケーション下手な彼は
入居者にも誤解を招くことが多かった
それでも仲間に助けられ
なんとか仕事もなれた頃に
父親の具合が悪くなった
彼の父親は口から栄養がとれなくなった為
経管栄養と言って腹部にチューブを埋め込み
そこから栄養分を流し込む状態になった
病院から父親が家に戻ると
2時間に一回の痰の吸引が必要だった
介護の仕事はストレスがとても多い仕事だ
家に帰っても仕事の延長のような事をするのは
かなりのストレスがかかるものだ
H君は父親の為にそれをこなした
色々僕にも相談をしてくれた
彼の父親は何度も熱を出しその度に入院をした
それから しばらくして
H君の父親は亡くなった
会社にそのことを報告しに来たH君は
その大きな体を丸め
ボロボロ涙を流していた
それからしばらくして仕事に復帰したが
ボーッとすることが多くなり
注意力が散漫になり ミスが多くなった
夜も寝れないので医者から睡眠導入剤をもらい
服用していることを僕に告げた
夜勤明けのH君と話をした
H君はひどい顔をしていた
「自分の体の一部を持って行かれたようで
本当に心が痛いんです
父親がこの世界からいなくなった事が
まだ信じられないんです
もう どうやって生きていけばいいのか
わからないんです」そう 僕に言った
誰もが同じ日常を過ごしている訳ではない
悲しみや痛みとともに日々を過ごす者もいれば
喜びと幸福の日々を過ごすものもいる
現実はみな同じではない
H君は今 痛みと喪失感の中で生きている
大事な者を失った喪失感は埋めることはできない
なぜなら その人に代わるものなどないからだ
そして望もうと望まざるとにかかわらず
自分自身の心の傷と向き合うことになる
その傷も自分自身の一部なのだと
理解し受け入れるのには時間が必要だ
たとえば何かの理由で手や足を失ったとして
義手や義足をつける事になる
慣れるまでに時間がかかるが
やがてなんとか日常生活を送れるようになる
けれど 手や足を失ったことに変わりはない
喪失感や心の傷もそれと似ている
失ったものは二度と戻らない
喪失感や傷も自分自身の一部として
共に生きていくのだと僕は思う
亡くなった者が 自分の事で
残された者が悲しみ苦しんでいる様子を
ずっと見ているのは耐え難いことだと思う
だからと言って能天気に
「そんなに悲しんでいても
亡くなった人は喜ばない」と
僕は言うつもりはない
僕自身 亡くなったニヌファの事を
思わない日は一日もない
自分の手のひらを見るたびに
ニヌファをなでていた感触が
どうしようもなく蘇ってくる
H君は父親が元気だった頃 反発し
なかなか話もしなかったそうだ
「一日でもいいんです・・
オヤジと話ができれば・・・」
H君は疲れた顔で僕に言った
「時がたてばたつほどに
忘れていたような小さな事も
色々と思い出すと思う
たくさんの思い出がよみがえり
その思い出が全部 愛おしく思えてくる
今はオヤジさんの事 たくさん思ってあげて
そして話せなかったこと 話したかったことを
心の中でオヤジさんに話せばいい
そういう時間が今は必要だから
しばらく仕事を休みなよ・・・」
H君はポロポロ泣きながら
「すみません 男のくせに泣いちゃって・・」と言った
「大切な人を失ったんだ 泣いて何が悪いんだよ」
僕はH君の肩に手をおいた
誰もが痛みを抱えて生きている
その話をきちんと聞いたり
話したりできる相手はとても少ない
たいていは 相手の気持ちもよく考えず
安っぽい定型文のような
慰めの言葉を投げかけ
相手を不愉快にするものだ
僕自身ニヌファが亡くなった時
そんな経験をしたものだ
またH君の笑顔が見たいと僕は願っている
それまで仕事の仲間達と
彼が帰ってくるのを僕は待っている
そして その日はきっと来るだろう
かならず きっと
PS
ニヌファ 亡くなって4年近くもたつのに
夢にも出てこないなんてどうかしてる
今度 出てこなかったら本当に怒るからな
Posted by ★ニヌファ at 22:32│Comments(0)
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