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Posted by TI-DA at
 

2009年09月15日

★白昼の死角










先日 仕事先の昼休みに



鳥そぼろ弁当を 頬張りながら



朝日新聞を見ていると



ふと とある記事に 目が止まった



「高齢者と運動」という記事で



今 スポーツとしての 吹き矢が



高齢者に 静かなブームという文字に



目が 釘付けになった・・・



思わず 飲んでいたジャスミン茶を



口でなく 目から飲むところであった



見間違いだろうか?



目をこすってみたが やはり間違いではなかった



吹き矢が ブーム?



吹き矢で心肺機能の向上うんぬんという記事だったが



そんな事なんかより 吹き矢という言葉にやられた



なんて エキセントリックな記事なのだろう



「危険が少ないスポーツとされ 



喘息の人にも 呼吸の鍛錬として 



効果的と考えられる



だが 体調が悪いときは 息を吐いたときに



発作が起こる 可能性があり



無理しないことが大切だ」



めちゃ 危険じゃん!



全然 デンジャラスじゃねーか!



「斉藤さん所の おじいちゃん亡くなったんですってね~」



「ちょっと聞いた? 吹き矢吹いて バッタリ倒れて



お陀仏ですってよ くわばら くわばら!」



「吹き矢? 吹き矢って いったいどうゆう事なの?」



なんて 話が 聞かれるかもしれない



葬式の日も あちこちで



「吹き矢で死んだんですって」



「吹き矢で亡くなったの?」



「吹き矢ですってよ」



なんて ヒソヒソ話が あちこちで聞かれ



「おじーちゃん なんで 吹き矢なんか 始めちゃったの~」と



遺族が 泣きながらお棺に しがみついたりなんかして



お棺の中に 吹き矢を入れるか どうかで



親族が ケンカになちゃったりなんかして・・・



僕どんどん頭の中で



話広げちゃう 癖があるんですよ



そしたら 面白くなっちゃって



一人で おっかしくて 笑い止まんなくなるんですね



しかも 記事の最後は



「健康の為には 毎日吹いたほうがいい



少なくても 週二回は してほしい」



ダメだ もう我慢できない・・・



最後に チロルを チロルを食わしてくれ・・・



週二回 吹き矢を 吹きにいくおじーちゃんを



想像しただけで 可笑しくてしょうがない



リュックの 後ろに長い吹き矢の棒さして



出かけていく おじーちゃん



出かけに 玄関で吹き矢の棒が ひっかかって



おじーちゃん ひっくり返ったりして・・・



やばい やばすぎる



スーパーニュースの木村太郎の



コメント並に やばい!



休憩室で 声を殺し ヒクヒクしながら



気づかれぬように 新聞で顔を隠し



一人 吹き矢ネタに 笑いを噛み締める昼休みだった



そういえば こないだもタクシーに乗ったとき



運転手さんの シートの背もたれの後ろに



運転手 木村太郎(仮名)と書いてあり



その下に 何故か



趣味 「釣り」と書いてあるのに



笑いを殺すのに 必死で



「うふふふ~  あ~ん~  かったるいー!」と



意味不明の言葉で「お客さん お疲れですね」なんて



運転手さんに おかしな気づかいをされた



なんで 趣味なんて書くんだよ?



どういうスタンスで客と接したいんだよ?



しかも 釣りと書いてあるのが



リアルで おもしろすぎる



もう やめて こんなんの



笑い 止まんなくなっちゃうからさ



あれっ みなさん ついてきてます?



なんか また 一人だけ感が・・・



笑いの 戦災孤児か 俺は!
  


Posted by ★ニヌファ at 10:00Comments(5)★日々の雑談
 

2009年09月14日

★故郷を思う























僕が ヤマト(本土)に来たのは 大学入試の時だった



一人で 新宿のホテルに泊まり



東京見物をして 勉強なんて全然しなかった



海外旅行に 来たような感じだった



言葉の通じる 海外に来た感じだ



笑っちゃうかもしれないが



ヤマトンチュー(本土の人の意)と



話をするのさえ ドキドキしたものだ



ものめずらしさで ウロウロした原宿で



生まれて初めて 雪を見た



運良く 大学に入学して



アパートも一人で不動産屋に行って決めた



沖縄も全然ブームでもなかった頃だ



沖縄の友人達と渋谷で 飲んでいた時だ



隣で 飲んでいるグループから



「沖縄の奴って とんでもない物ばかり食ってんだぜ!」



という声が聞こえてきた



僕の友人が 「頭きた 一言 言ってやる!」



そう言って 立ち上がろうとするのを みんなで止めた



ケンカになるのが いやだった訳ではない



別に 知ってほしくもなかったのだ 沖縄の事を



帰りの エレベーターでそのグループと一緒になったとき



全員で わざと 方言を喋り始めた



そのグループ全員 キョトンとした顔で



「どこの国の人たち?」と言うのを聞いて



エレベーターを降りた後 みんなで大笑いした




大学で仲間もでき 朝まで 飲み歩いたり 



東京生まれの友人に



色々 案内してもらったりもした



それなりに 都会の生活も楽しかった



観葉植物のリースの アルバイトも始めた



ハウスの中で 葉っぱを拭いている時だ



ラジオから「月ぬ美しゃ」が 流れてきた



大げさな言い方だが 体中が震えた



どうしようもない気持ちが 湧き上がってくる



島が 僕を呼んでいるのだ



沖縄の文化が 風習が 言葉が 音楽が



すべてが 僕の名前を呼んでいる気がした



都会で一人暮らしで 寂しいからとかでなく



僕ら沖縄人は きっと 島の一部なんだろう



島が離れてしまった かけらを呼んでいる気がするのだ



おかしな事を言っているだろうか?



でも 身体の中を流れる血が そう言っているのだ



沖縄が好きな方は けっこういるのだと思う



横浜生まれだけど 心は沖縄人だと嫁も言っていた



沖縄にも 良い所もあれば 悪い所もある



それを ひっくるめて 好きだと言ってくれるのだろう



子供の頃から 島で育った僕には



ゆりかごのような 場所なのかもしれない



ヤマト(本土)に比べ 貧しく 仕事も少ない



悲惨な戦争や 基地だってまだある



お世辞にも ステキなゆりかごではないが



沖縄の青い海が ゆりかごをゆらし



太陽が 見守ってくれた



オジーの三線と オバーの島唄が



子守唄代わりだった



僕の先祖達も ずっと そうやって育ってきた



今 沖縄はブームだ 



不思議な気がする



中には オバーが好きだと言う人までいる



たくさんの人に 沖縄を知ってもらうのもいい事だろう



観光で島がうるおって 仕事が増えるのもいい事だ



でも 沖縄の暮らしを 変えてはいけない



沖縄らしさこそが 沖縄の魅力なのだから



でも 無駄な心配なのだろう



沖縄の人間が 多少の変化はあれど



沖縄人でなくなる事など 考えられない



だって みんな あきれるほど



沖縄を愛しているのだから(笑)
  


Posted by ★ニヌファ at 21:21Comments(0)★ 沖縄
 

2009年09月13日

★ニヌファへ











































白く濁った右目と 昔と同じやさしい左目で



ひたむきに 迷いもなく 僕を見つめるニヌファ



お前と同じように心から喜んで 



見つめ返すことが出来なかったお父さんを許してほしい



新しい傷のふくらみを見つけるたびに



腫れあがった左足の腫瘍を消毒する時



ポタポタと落ちる お前の血を見るたびに



心が萎えそうになった お父さんを許してほしい



時々 おこる後脚の痛みに悲鳴をあげながら



救いを求めて僕のもとにかけよるお前に



背中を撫でてやることしかできなかった



お父さんを許してほしい



寝ている僕の枕もとに 頭を乗せて横たわるニヌファ



暗闇の中に聞こえる 薬の副作用の荒い息



お前の背中に手を伸ばすと



毛の柔らかさと 命の温もりを指先に感じる



夜の影に隠れて 泣きだしそうだった



弱虫なお父さんを許してほしい



お医者さんから もうどうしようもないと



痛みを抑えることもできないと言われ



「ニヌファを楽にしてやってください」という言葉を口にした時



お父さんは心臓をナイフでえぐられるような気持ちだったよ



注射をうたれ すぐにお前が静かになったとき



お母さんは 大声で泣いていたんだよ



「ニヌファ! ニヌファ! 大好きだよ! 



本当によく頑張ったね



こんなに痛い思いをして なんにもできなくてごめんね」といって



母さんはずーっと大きな声で泣いていたよ



周りの人たちも母さんの姿に もらい泣きしてた



火葬場からお前の遺骨をもって家に帰るとすぐに



お前の薬箱や お前が飲んでいた薬も全部捨てたよ



あんな物 見たくもなかったよね



お前の為に お父さんが



オジーやオバー達に これからうちの大事な息子が



そっちに行きますから お願いしますと頼んでおいたから



天国に行ったら オジーやオバーが待っててくれるだろう



「ニヌファです よろしくお願いします!」と



元気な声であいさつをしなさい



天国では お前は元の健康な体になって病気もなくなるから



思いっきり走り回って遊ぶといい



オジーやオバー達の言う事を聞いていい子にしていなさい



病院で泣いているお父さんとお母さんに



「こんなに思ってもらってこの子は幸せね」と



知らないおばさんが言ってたけど



それは違う



幸せだったのは お父さんとお母さんだ



病気のお前の世話をしていたことが



どんなに幸せなことだったか



お父さん達は 今更ながら そう思うんだよ 



お前が亡くなった次の日 



お父さんは 家にいるのが怖くて



夜まで母さんと 外を歩き続けたよ



何度も何度もお前の話をしては 涙が止まらなかった



母さんは ずっと注射や手術に頑張ってきたお前が



最後に なんであんなに痛い思いをしなきゃいけないのか



世の中おかしいと 泣きながらすごく怒っていたんだよ



お前と散歩した道も お前がトイレに使っていた駐車場も



今はすべてが からっぽに見える



お前と散歩した一歩一歩が お前が踏む枯葉のカサカサという音が



何度も何度も 嬉しそうに振り返るお前の姿が



とても愛おしく 幸せだったよ



お父さんの心は スポンジみたいにゆっくりと



お前を失った悲しみと苦しみがしみてきて



どんどん どんどん重くなっていくよ ニヌファ 



ニヌファ お父さんはどうしていいのか分からないんだ



こうやってお前に手紙を書けば



少しは 気持ちが落ち着くのかと思ったんだけど



どんどん どんどんお前に会いたい気持ちが大きくなって



お父さんは おしつぶされそうだよ



ちょっと先になるかもしれないけど



お父さんや お母さんが年をとって そっちに行く時は 



いつものように お前が一番先に走って迎えに来ておくれ



その時は ニヌファの好きだったみかんを持っていってあげよう



ニヌファ     お前がいなくてさびしくてたまらないよ
  


Posted by ★ニヌファ at 18:33Comments(0)★ニヌファ
 

2009年09月13日

★GOOD DAY










目を覚ますと 時計はすでに午前10時をまわっていた



昨日は 仕事で忙しかった



帰って風呂上りに缶ビールを2本ほど飲むと



疲れで そのまま寝てしまった



カーテンを開けると 陽の光が差し込んできた



しばらく目を細めて 光に慣れるのを待つ



遠くにランドマークタワーが見える



昨夜の雨が ウソのようだ



コーヒーを片手に ベランダに出て 外を眺めた



遠くで 散歩中の犬の ワンワンという吠え声が聞こえる



日蔭はまだ寒いが 日なたはポカポカと暖かい



2年ほど前に ここに引っ越してきたときは



横浜にも こんな静かな場所があるのかと思ったものだ



古い団地が多いこの場所は 建物の間隔がばかに広く



緑が多くて ゆったりとしている



我が家も 元は某企業の社宅だった



30年ほど前の団地を 外観はそのままに



中身をリフォームして ペットの飼えるアパートにしたものだ



初めて外観を見た時は ブルーになったが



外観と違う部屋の中と ペット可という条件に即入居した



騒々しい街中に暮らしていた頃が 



信じられないと よく嫁と話をする



嫁の両親が 孫に会いたいと電話してきたので



嫁と子供は実家に泊まりに行っている



今頃は 嫁の両親に甘やかされている頃だろう



久しぶりに 一人の時間を過ごした



最近は仕事やストレスで せわしなかった



その日にすべき優先順位ばかりに気を取られ



本当は 何も決めなくったっていい



ゆったりとした時間の中で



自分を解放する時間が必要だったのだろう



ステレオからは 最近お気に入りの



Duffyの「Warwick Avenue」が流れている



ゴチャゴチャになったDVDを片づけていると



僕が子供のころよく遊んだ



ヒーロー物のオモチャが出てきた



そう言えば この頃僕がなりたかったのは



宇宙飛行士やヒーローでなく 海賊だった



宝物を探し 世界の海を旅する海賊に憧れたものだ



結局 僕は海賊にはなれなかった



何故なら 船酔いしてしまうからだ(笑)



子供の頃のオモチャを手に 笑ってしまった



天気がいいので散歩しようと外に出ると



アパートの二階の奥さんが声をかけてきた



先日 お袋が送ってきたサーターアンダーギーを



沖縄好きの二階の夫婦におすそわけしたのだが



それが大変おいしくて 注文したいほどだと言ってくれた



宮古島好きで毎年 宮古島に旅行に行くという



旦那さんの姉にも あげたところ



宮古島での事を思い出して 泣いてしまったらしい



「そんなに喜んでくれたなら お袋もつくりがいがあります



また送ってきたら 食べてあげてください」と言いながら



毎回アンダーギーを作る時に



手を合わせて「美味しくなりますように」と



祈ってからつくるお袋の姿を思い出した



お袋は決して料理がうまい女ではないが



その姿勢が僕は好きだ



きっと思いが料理に乗り移ったのだろう



陽だまりの散歩道を 歩きながら



ちょっと遠回りをしていこうと思った



今日は いい日だ
  


Posted by ★ニヌファ at 13:49Comments(0)★日々の雑談
 

2009年09月13日

★オジー






















うちのオジーは 畑を持っていた



けっこう広い サトウキビ畑だった



小学校の頃 オジーの馬車に乗って



一緒に 畑に行くのが 楽しみだった



ゆっくりと 馬に引っ張られ



のんびりと 進む 畑の道



オジーの畑には 大きなガジュマルの木があって



その下に 小さな小屋があった



小屋の中にはカマドもあって 



農具の他に 四畳半ほどの板間もある



子供の僕には 秘密基地のようだった



畑仕事は チョッと手伝うだけで



後は畑の回りを散策して 遊んでいた



お昼に オジーと一緒に食べるオニギリは



オバーが朝作ってくれた 大きな おにぎりだ



オジーはそんなに 喋るほうでは なかった



「うりっ!食べなさい。」と言って



おにぎりを 何個もわたしてくれたっけ



お茶は 大きなヤカンに入っていて



オジーはヤカンから直接 お茶を飲んでいた



その姿がやたら大人で かっこよく見えたものだった



畑の帰り 疲れたオジーと僕は



馬車の上で 寝てしまった



途中でハッと 目を覚ますと



馬はのんびりと 道路脇の草を食べながらも



ちゃんと家にむかって 歩いてくれた



子供ながらに 畑道の夕暮れが



美しいと思ったものだった



「映画に行きたい」と オフクロに泣き付いた時



共働きの両親は 時間がないので



オジーに連れていってもらいなさいと言われ



オジーと 行く事になった



なぜかオジーはスーツに パナマ帽姿だった



「映画行くだけなのに?」と思ったのだが(笑)



オジー 結構 かっこよかったなー



泳ぎを教えてもらったのも オジーだった



水泳を教えてくれと 頼んだら



サバニ(小船)に僕を乗せると



「この辺で 泳ぎなさい」そう言って



突然 海に投げ込まれた



おぼれない為に 必死でバタバタしてたら



知らないうちに 泳いでいた



オジーを ひどい事をするものだとも思わなかった



こうやって みんな水泳を



覚えるものだと 思っていたのだ(笑)



オジーはニコニコしながら サバニの上で



タバコをふかし 僕を見ていた



うちのオヤジは とても厳しかったのだが



オジーは  優しかった



ベタベタした 優しさでなく



不器用な やさしさだった



若い頃は 結構男前だったと



オバーが 言っていた



24歳のころだ 僕は横浜で一人暮らしをしていた



田舎から オジーの具合が悪くなったと電話があった



沖縄に戻ると オジーに会いに行った



久しぶりに 見たオジーは



僕が知っている オジーと違い



とても小さくなって 布団で寝ていた



僕の事も もう分からなくなっていた



みんなが オジーの事を気遣って



もう歳なんだから 楽してほしいと



畑仕事も やめてもらって 



それから少しして 具合が悪くなってきたらしい



それから 1年ほど経ってからだろうか



オジーが 亡くなったと電話があった



妙な話だが 理解できなかった



意味は分かるのだが どこか遠くの



実体の無い話のような気がしたのだ



その日の夜 バイトから疲れて帰ると



ひさしぶりに姉から 電話があった



子供の頃の思い出話をしている時だ



オジーが亡くなったという事の



実感が 突然胸に飛び込んできた



その時に 僕はオジーの死を認めた



受話器を 握り締めながら



ワーワー 大声で泣いた



一緒に帰った 夕暮れの畑道や



 おにぎりを一緒に食べた 畑の昼休み



サバニの上の タバコをふかすオジーの笑顔



懐かしい風景が どんどん どんどん膨らんで



胸が 張り裂けそうになった



あふれる涙を 止める事が出来ず



姉の心配する声も 耳に入らなかった



あれから ずいぶんたった



二番目の姉が オバーは 時々オジーと



話をしているとの 話をきいた



目を閉じて なにやらブツブツ話しているらしい



ユタのオバー ならではかもしれないが



そんな時は ちょっとオバーが羨ましくなる



この歳になって 僕も色々オジーと話したい事があるのだ



なにより オジーの声をまた聞きたいと思うのだ



「うりっ! 食べなさい。」なんて声を
  


Posted by ★ニヌファ at 13:02Comments(2)★ 沖縄