2010年04月29日
★ 島っ子

1965年に僕は沖縄の小さな島に生まれた
東京や横浜に生まれた同じ年の
僕の友人達と比べても まるで違う子供時代だった
僕の年齢の10歳~20歳上の話のようだと
よく言われたものだった
駄菓子も売ってはいたが
今の子供ほど自由には買えなかった
腹が減れば 自分達で山や海で探しに行った
野イチゴを食べたり 海でカニや魚を取ったりした
島では家に鍵を掛ける風習などなかった
ほぼ顔見知りだったからだ
貧しいながら お互い助け合って暮らしていた
最新のオモチャも裕福な暮らしも無く
無い物の方が多かった時代だったが
僕達には 楽しい少年時代だった
小学校の頃だ 授業中にドカーンという音が聞こえた
何事かと みんなでざわめいた
その後 何度か聞こえたが やがて静かになった
それから しばらくして
クラスのM君が先生に呼ばれ
カバンを手に急いで家に帰っていった
後で聞いた話だと M君の父親が
禁止されていたダイナマイトを使った漁をしたらしい
ダイナマイトを海に投げ込むと
爆発のショックで 魚が浮いてくるのだが
それを何度かしているうちに
投げ込もうと手にしたダイナマイトが爆発し
バラバラになって死んでしまったらしいのだ
葬式に父親と出かけた僕が 目にしたものは
大泣きしながら棺桶にしがみつくM君の母親と
葬式の席で茫然と 大人達の中に立ちすくむみ
まだ父親の死を受け入れられないでいるM君の姿だった
その晩 M君と話をする機会はなかった
貧しい島で 家族の大黒柱を亡くすという事は
大変な苦労が M君の母親の肩にのしかかるという事だ
M君が学校に登校してきた時
「M君のお父さんが 亡くなりました
M君が困った事があったら みなさんで助けてあげて下さい」
授業の前に 先生がクラスのみんなに言った
「M君大変だろうけど お母さんを助けてあげてね」
先生の言葉にM君が肩を震わせて泣きだした
先生も教壇で泣いていた
島の人達が M君の家のために寄付を募り
集まったお金を M君の母親に渡したらしい
M君の母親は かつおぶし工場で働き始めた
その姿を 僕も何度か目にした事がある
お腹が減れば かつぶし工場に行けば
できたてのなまりぶしをくれたし
当時 僕が飼っていた愛犬が
なまりぶしを かっぱらったりしていたからだ
その後 僕は中学で別の島に引っ越したのだが
高校生の時に M君に偶然会った事がある
水産高校に入学したとの事だった
頭もあまりよくない自分が稼げる仕事は
遠洋漁業の漁師ぐらいしかなく
苦労して育ててくれた母親に楽をさせたいからと
M君が照れた顔で言った M君は本当に立派だった
卒業後 彼が遠洋漁業の船に乗ったと
友人達から聞いた
貧乏で何もない貧しい島に生まれた事を
僕は 一度も恥じた事は無い
むしろ そういう時代と場所に
生まれた事を感謝している
僕達島っ子は 太陽と海と島と
そこに暮らす人々の情けに育てられた
本当の意味で豊かな少年時代だった
今の時代のように 物に溢れた裕福な時代ではないが
少なくとも 互いを思いやる心に溢れていた
僕の少年時代はそんな時代だった
Posted by ★ニヌファ at 20:37│Comments(0)
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