2009年09月16日
★愛情の過程

「犬とか飼いたいけど 死ぬと悲しいから飼えないわ」
以外にこういう事を言う人は多い
ニヌファが亡くなってからも言われた事がある
沈み込んでいる僕に「だから 飼いたくないの」という女性がいた
「ペットロスとかになりたくないしね」と
別にその女性に 怒りは感じなかった
ただ 悲しい人だとは思った
愛する人が亡くなったら悲しいから
人を愛さないと思うのだろうか?
たとえば 子供が事故で亡くなったら
子供なんかつくらなければ良かったと思うだろうか?
傷つく事が嫌だから 悲しむのが嫌だから
誰ともかかわり合いたくないと思うだろうか
誰かを愛したことによって
悲しんだり傷ついたりすることがある
だが 誰も愛さずに孤独に空っぽに
人の痛みも悲しみも知らず ただ一人で生きていくことに
生きている意味があるのだろうか?
たとえ亡くなったとしても 思い出しては泣いたり笑ったりして
その思い出は その人間の大事な一部となって共に生きる
結果だけを見て 物事を判断する人間は僕は嫌いだ
もちろん結果が大事な事があるのも事実だ
でも どうやって出会って どんな風に共に生きてきたのか
お互いがどんな存在だったのか そしてどれほど愛していたか
亡くなってしまうという 最悪の結果にしろ
その過程は とても愛おしく そしてとても重要なことだ
その過程に 笑いや喜びや悲しみがあって
その積み重ねの上に 表札のようについているのが結果だ
結果だけなら 生きたか死んだかしか書いていない
実体のない ただの紙切れのような物だ
その過程の 日々の積み重ねがあって初めてそれは意味をなすのだ
名前も 同じようなことが言える
子供の名前を付ける時 僕は字画とかなんとかは気にしなかった
親の気持も分からないではないが
字画で幸せになれるなら 全員幸せだ
僕が大事だと思うのは そこにどんな意味を持たせたのか
どんな願をもたせ どれほど愛情を注いだかだ
それによって名前は意味をなしてくる
ただの字から 実体のある感情のあるものになってくる
その名前を名乗る者が亡くなったとしても
その名前を口にする時 悲しみや愛おしさや
多くの感情の入り混じった 特別な物となって
名前は 存在し続ける
ニヌファは僕たち夫婦を照らし出してくれる存在になって欲しい
そう願いをこめて つけた名前だ
実際 彼はそうなってくれた
ニヌファという言葉を口にする時
僕達は特別な まるで何かの呪文のように感じられる
それは とても大事な呪文だ
今は悲しみが多いが それでも
思い出を消すことができて 悲しみを消すことが出来たとしても
そんなの 絶対にゴメンだ
ニヌファと共に生きた2年3か月は絶対に忘れない
それは 僕とともに生き続け
そして 僕の一部だからだ
Posted by ★ニヌファ at 09:55│Comments(0)
│★ニヌファ