★Who Am I
中学や高校生の頃は自分が何者なのかという事で
悩んだり 考え込んだりしたものだ
あの時期特有の流行りの病のようなものだろうか?
社会に出ると どう生きていくかで必死だった
自分が何者なのかは 自分が決めればいい
自分がそう思ったらそれでいいと思う
自分が何者なのか?
何か大きく壮大な謎にも聞こえるが
理屈っぽく 暇人が考えそうな事にも聞こえる
僕は 社会に出てからその事は
特に考え込むことなどなかったが
結婚式の時 姉が話してくれた
おふくろの父親とその弟が
戦争で亡くなった時の話しや
その後のおふくろや祖母の苦労した話や
僕の先祖達の話を聞いた時に
自分が何者なのか知った
僕は はるか彼方から続いてきた
沖縄の先祖達の命と血を受け継いだ者だ
太陽と海と祖先達の祈りとともに
それは今僕の中にある
そして それは僕の娘が受け継いでいる
あたりまえの事をいまさらと思われるだろう
誰だって みんなそうだと思われるだろうが
本当の意味で実感したのは
その時がはじめてだった
それは知ったのではなく 感じたのだ
僕は 欠陥だらけの人間だ
ただの普通の男で 嫁と娘がいて
幸せになりたいと願って日々もがいている
世間の多くの人達の中の一人だ
自分らしさも 考え過ぎてしまうと
自分らしいと言う檻に閉じ込められ
身動きがとれなくなってしまう
自分らしさとは 本当は考えて出てくるのでなく
感じるものかもしれない
人生は 白か黒かだけで
分けられるほど単純な物ではない
悪い意味でなく グレーも他の色も多く存在する
白か黒かでばかり物事を考えていると
その間から滑り落ちてしまう事もある
僕はいい加減な男だ
いや いい加減さを勉強中と言った方が
しっくりくるだろうか
若い頃と違い そのいい加減さが
大事な時があると言うのも知っている
受け流したり 切り替えたり
くよくよせずに やって行く事は大事な事だ
簡単な事ではないが・・・
経験や成長は別にすると
僕自身は 小学校の頃から
あまり変わっていない気がする
ぶっちゃけて言うと 今思うのは
自分らしいかどうかよりも
家族と幸せになれればそれでいいと思う
悩もうと 悩むまいと
結局の所 自分は自分だ
自分探しの旅になんか行く必要はない
自分はどこかにあるものではないからだ
自分は 自分自身の中にしかいない
人は いい意味でも悪い意味でも
その人以外にはなれないのだから
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