★Father And Son
僕は 子供の頃から親父が大キライだった
親父は 自己中心的で 自分の思ったとおりに
物事が進まない事を とても嫌った
僕の親父は中学校の教員で
とても厳しくて よくぶん殴られたものだ
殴られる理由には 僕が悪いこともあれば
そうではない事もあった
棒で殴られたり 廊下に3~4時間ほど正坐させられたりした
二階にいた姉が 僕が殴られる音が
二階まで聞こえてきて ヒヤヒヤしたと言っていた
厳しい人だから 嫌いだったわけではない
自分勝手で 他人が傷つこうと関係なく
自分が常に正しいと思っている
僕は 親父をとても憎んだ
高校になるとロック好きの僕は 髪を伸ばし始めた
親父はそれが気に入らなくて
みっともないから髪を切れと よく文句を言った
床屋の前まで 引きずられて行ったこともある
絶対に嫌だと抵抗し 髪を切らせなかった
高三になると 友人達と一晩中酒を飲むことが多くなった
僕は 自分自身を不良だと思ったことはない
つっぱりとかでもなく 変な学ランも着なかったし
ケンカに明け暮れていた訳でもない
ただのロック小僧だったし
沖縄では 本土と違って酒を飲む事が
安易に不良というイメージにはつながらなかった
小さい頃から 祭りごとや行事で
泡盛が 身近なものだったせいもある
卒業してしまうと 本土や沖縄本島にみな散らばってしまい
友人達とは なかなか会えなくなってしまう
残り少ない時間を ともに過ごしたかった
その為 何度か朝帰りをした
朝 家に帰ると 親父が台所の椅子に腰掛け
腕組みをして 待っていて
「お前は いったい自分の将来をどう考えているんだ
お前のような奴が 親が死んだ後すぐに
家を売り飛ばして 金にかえるんだ!」
そう言って 僕を殴った
親父の言葉に 僕は我慢ならなかった
「今日 あんたが俺に言ったことは一生忘れないからな!」
僕は そう言って首にぶら下がっていたネックレスを
引きちぎって 親父に投げつけた
その後 僕は沖縄本島でしばらく暮らし
それから 横浜に来た
たまに 実家に帰る事があっても
親父と同じ屋根の下にいることに
息がつまりそうで 我慢できず
2~3日ほどですぐに帰ってしまった
何年かに一度会うぐらいが
僕達の関係には丁度よかった
会う事があっても よそよそしく
まるで 他人同士のようで
親子の関係とは とても言えるものではなかった
三重県に住む姉が 電話で
「この前お父さんが泊まりに来たとき お酒飲みながら
ニヌファには厳しくしすぎたって言ってたよ」と言った
「酒の席での話だろ 俺にはどうでもいい事だよ」
僕は そう姉に答えた
琉美が生まれ 親父が琉美に会いに来た時
嫁は 親父と仲良くしゃべっていたのに
僕達は 相変わらず よそよそしかった
親父が琉美を抱き上げたり キスしたりした
初めて そんな風に接する親父の姿に
僕は 少々とまどった
僕が家にいた頃は 想像もできない姿だった
帰りがけ 玄関で親父が 靴を履く手を ふと止めると
「お前の 子供が見れるなんて思わなかった
琉美が・・・琉美が 孫の中で一番かわいい」
そう ぽつりと言ってくれた
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